何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

やっと静岡県掛川市

2014年12月02日 07時46分24秒 | Weblog
お寺を朝八時に出発。29号線を姫路方面に走り来た道を東京へ。やっと静岡県掛川まで来た。

昨夜はくんちゃんの家にみんなが集まり、夕食と娘さんのお誕生会とライヴの打ち上げ。
元青年団の結束は20年経っても強力だ。20代に腹を割って本気で語り合い喧嘩して笑い合った関係は40代になってそれぞれ守るものが出来ても変わらないようだ。
音楽の道を選んで、ずっと団体行動を嫌い、一匹狼になりきって回りに牙をむいて生きてきた僕にはうらやましい関係だ。でも、その音楽のおかげで彼等だけではなく全国様々な青年団を経験した仲間達と出会わせてもらって今もこうして付き合ってもらえている。僕は幸せ者かも知れない。ありがとうの気持ち一杯で過ごした夜でした。

宿坊に戻って寝る前にメールを開いたら、ライヴ会場まで20キロもあるのに自転車で駆けつけてくれていた潤くんから届いていた。彼もまた20年の付き合いだ。そして今、障害者になった僕の先輩になった。僕は運動機能障害、潤くんは知的障害。違いはあっても不自由な障害と闘いながら生きて行く仲間だ。
彼との出会いは、20年ほど前、毎年八月に原爆投下された広島市で行われている全国青年団の平和集会に唄って欲しいと日本青年団協議会から依頼があって、それならと、戦後、中国から命からがら逃げて引き上げ船で戻ってきた京都の舞鶴から広島まで歩いて行く事にした。

兵庫県内は、ずっと付き合いの深い播州労音各地域の人達に助けてもらい、後は各地の青年団にお世話になって無事広島の平和集会当日にたどりつけた。その途中でお世話になった鳥取で自転車で高橋忠史と広島まで行きたがっている青年がいるので連れて行ってもらえないかと頼まれてしまった。その青年が潤くんだった。

続く。

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