何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

「千の夢ひとつの愛」その6

2012年09月24日 01時09分36秒 | Weblog
9月24日


高橋忠史、経済的大ピンチ、東京に居て、路上(車上)生活中、誰かCD買って下さい。よろしくお願いします。

だいぶ前ブログに、震災地、石巻に行った帰りのバスの中で出来た詩に滋賀県守山市の藤木猛さんが企画してくれたライブで曲が出来たと紹介した「この空涙で濡らしましょう」が、今日、詩曲共に完成しました。近々ホームページの方で聞いてもらえるようにしますが、ここに完成した詩だけ掲載します。


 「この空涙で濡らしましょう」  作詞作曲 高橋忠史


すきとおった青い空
ゆっくり流れる白い雲
この空涙で濡らしましょう
あなたの笑顔がにじんで消えて
見えなくなるまで濡らしましょう

あなたと見上げた遠い空
ぽっかり浮かんだ白い月
この空涙で濡らしましょう
忘れる事など出来ないけれど
見えなくなるまで濡らしましょう


私は風 あなたは夢
かなわぬ思い とどかぬ風
この空涙で濡らしましょう
変わらぬ愛を誓うたびに
見えなくなるまで濡らしましょう

すきとおった青い空
ゆっくり流れる白い雲
この空涙で濡らしましょう
あなたの笑顔がにじんで消えて
見えなくなるまで濡らしましょう



「千の夢ひとつの愛」その6



 (はだか)


 そう、高橋忠史はずーっと、はだかで生きてきた。はだか言うても服は着てるでぇ、人に自慢できるような一物ももってないしな。

…お前はあほか、余計な事言わんでもみなさんわかってるわ。それに、お前の一物なんて誰も見たいとおもえへんわ。…

 それはわからへんでぇ。この1000日、いや1449日間、男一人で日本中駆け回ってきたんや、艶っぽい話が何にも無いちゅう方がおかしいやろ。
音楽やってなかったら僕はくそがつくほど真面目で面白みの無い人間やけど。くそ真面目やからって言うても性的欲求は普通にあるし、恥ずかしい話、女性に対するスケベ心はくそ真面目に生きようとしてるからその反動でごっついあると思うでぇ。
 と、そこで問題や。スケベ心がごっついある、そやからその反動で、女性に対してめっちゃ弱虫になってしまう。弱虫というよりも、スケベ心を見透かされた無いと思て、ガチガチの石みたいに硬直してしまうんや、言うとくけど一物や無いで。

…一物の事はもうええって…

 心がな、女性を前にすると固まってしまうねん。そやから、その様を知られたくないと思て、今度は必死に無表情を装って、無関心な振りをするねん。貴方には興味がありませんみたいな。
 心の中では興味津々、お近づきになりたくて、いっぱいいっぱいしゃべりたいと思ってるんやけど無口になってしまうねん。
 まぁ、そんな事やから、1000日連続の最中に、何度も、甘い蜜の誘惑の入り口に立ったんやけど、、一歩前に踏み出せば、新たな経験として見知らぬ甘い蜜の世界に飛び込めたのに、石みたいに硬なって、すっかり臆病者になってしまって、前やのうて一歩後ずさり、二歩後ずさりで結局、何んにも無かったわ。期待さして悪かったな。

 楽譜の前で硬直してしまうのと一緒で、女性に対する何かトラウマみたいなもんがあるのかなぁ。
 数は少ないけど、そんな状況になったとき、必ず、典子さんと子供達の事が浮かんで来よる。
 僕の人生にとってかけがえの無い家族を失う事になるかもしれへん事はでけへんもんな。


「僕は辞めさされた事は無い、いつも自分のほうから辞めてきた」


  (消した450日目)


 ここまで書いてきたけど1000日連続ライブのエピソードって何んにも書いてへんなぁ。

…ホームページに日記は残してあるんやろ、興味のある人はそっちを覗いてもろたらええやん。それより気になるんやけど、1000日連続ライブの1449日間で、一日だけライブが無かった事にした日があるやん。あれはなんでやの。…

 結局連続ライブの最中も、連続ライブが終わっても、何の説明もしてないんやけど、その事で、高橋忠史に対して不信感を持って、その後何の連絡も無い人が結構沢山居る。
 でも、仕方の無い事や。
 その人達は、こう思ったんやろな。
高橋忠史の為に連続ライブが途絶えないように協力応援してきたのに、たった一人の考えで何の説明も無しで、どうしてそんな簡単に終わらせてしまえるんだ。それまで協力してきた人たちの努力が無になってしまうことを考えた事があるのかと。

 離れていった人達が居るからってその日の事、いや僕が唄った事は唄ったんやけどライブは成立しなかったって決めたその日の日記を消さなかったら、僕のライブを続けさせてくれるためにその場を提供してくれたその人が傷ついてしまうと思ったからなんです。

 はだかの僕がいかんのや。何でも思ったままに書いていたホームページの日記が原因やったんや。その日記の内容にクレームが来たのはその日の一回だけなんやけど、ひょっとしたら、同じ思いで、僕の書く日記に腹を立てていた人は沢山居たのかもしれん。

 その日のライブの様子と僕の思った事をいつものようにはだかになって正直に書いたんやけど、その場を提供してくれた人にとってそうとうに腹の立つ文面だったようで、長々としたクレームのメールが来た。
 それに対して、返事のメールを送ったんやけど、僕の書くメールの文章にも腹を立てたようで、再度非難のメールが届いた。
 1000日連続ライブ中は人の家に泊めて頂く事が多かったんやけど、この日はホテルに泊まっていたので、夜遅くまで考えた。
 どうしたら僕の気持ちがわかってもらえるんやろうかと考えに考えたが、怒りに火が付いた状態の相手に、どんな説明を加えてもメールのやり取りって奴は火に油をまく事になってしまう。
 どう考えても、怒りの収まらないその人の事を書いた日記を削除するしか手段は無いという結論に達した。
 それでもその人の怒りは収まらないだろうが、どれだけ説明をしてもわかってもらえ無い状況の中で、僕がとれる責任とは、日記を削除し、その日のライブは無かったことにする事。僕の頑張ってきた449日間が無になってしまうという、僕にとって一番つらい決断をする事が、その人に対する責任の取り方だと思った。

 実はその日の成立しないとしたライブに、週刊誌のAERAの取材の為にフリーライターの方とカメラマンが同行していた。
 事前に1000日連続ライブの思いや僕の経歴なんかの取材は終わっていて、誌面に掲載される事が決まっていた。ライブの雰囲気を撮らせて欲しいと言う要請があったのでその日に来てもらったんだ。
 週刊誌AERAに僕の1000日連続ライブの事が掲載されると言うのは、大きな力になる。はずだった。
 でも、その記事が掲載されると言う事はその日のライブを成立したものにしなくてはならなかったし、日記も残さなければ成らなかった。それでは場を提供してくれた人の怒りは収まらないだろう。翌日、フリーライターの人に掲載を取りやめてくれるようにお願いする電話を入れた。
 僕にとっては大きな痛手だった。と同時に、フリーライターとして活動されている人に記事の掲載を断ったのだから、その取材に掛かった費用は自腹になってしまっただろうし、原稿料ももらえなくなってしまったはずだ。
 掲載まじかに断りの電話を入れたのだから、きっと彼女(フリーライターさんは女性でした)の信用も落としてしまったはず。
 僕はいまだに彼女に対して責任を取っていない。いつか必ず恩返しがしたい。その為には、音楽を通して知名度を上げ、もう一度彼女に取材してもらう日を作るしかない。この夢、きっと叶えてみせる。

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