何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

喉がつぶれるまで

2012年08月14日 22時39分14秒 | Weblog
8月11日

昨夜、ライヴ終了後、あんまりいい気持ちだったので日本酒を2合一気に飲んで夢工房に戻った。すぐに眠らせてもらったのだが、横になったとたん吐き気が襲ってきてトイレで吐いた。固形物は無く透明の液体だけだった。よく考えたら、昨日は朝からヨーグルトとあんパンしか食べていなかった。
これじゃ体重が増えるはずも無く、益々落ちてゆくばかりだ。

7時前に起床、6時間ほど眠ったが身体中がだるく眠い、一般道を走っていたので緊張感が持続してはいたが時折睡魔が急に襲って来て何度か平手でほっぺたを殴りながら走った。
先日、他人をも巻き込む事故を起こしそうな状態で運転するのは無責任だと苦言をもらった。早くもその状態で運転せざるおえない状況になってしまった。

道の駅おおたきには10時半少し前に到着。寝不足と居眠り状態の緊張感で胃が痛み始めていた。到着してすぐに胃薬を飲み、車のシートを倒し、しばらく休んでいたら胃の痛みも少し楽になってきたので、道の駅正面玄関駐車場ライヴ会場に出掛けた。
今日は前回と違い天候は雨模様。前回は建物内の吹き抜けになった風も通らない中庭でのライヴで炎天下、地獄の熱さだった。それに比べ今日はたまに雨が降ったが、仲山さんが用意してくれていたテントがあったので雨に濡れる事も無く、風が吹き抜けるので熱さに体力を奪われる事も無く、地元のおばさん達の踊りも雨の降りだす前に終わり。チャラさん達のダンスも小泉さんの弾き語りも、前回よりパワーアップして、明るく元気いっぱいなライヴだった。僕は疲れと胃の痛みで一回目のライヴが終わった後、すぐに車に戻って胃薬を飲み、シートを倒して1時間ほど眠った。少し体力も戻り、2回目も優しい歌を選んで楽をしない、原点復帰の為の全力のライヴが出来て、何とか役割を果たす事が出来てほっとした。

時間的に考えて、ライヴ終了後すぐに出発して夢工房に戻らないと、バッカスのライヴに余裕をもって望めないのだが、後片付けも手伝わないで立ち去る事は出来ないので、テントの片付けを手伝ってから出発した。

道の駅ライヴに来てくれた城戸ひとみさんを足立区の自宅まで送って帰る約束をしていたので、彼女を乗せて夢工房を目指した。出発時点ですでに4時を少し回っていた。
来る時3時間以上掛かったのだから、帰りは行楽帰りの車で道が混むのはわかっていた。案の定千葉市内に入る頃から道は混み始めた。それでも八千代市に入るまでは夢工房に7時半ごろには着けそうな感じがしていたのだが、八千代市に入る頃から渋滞が始まり、ノロノロ運転どころか、トロトロ運転。まさかの渋滞に浜田さんに何度か連絡をして、待ってもらった。しばらくして渋滞の原因が、大きな爆発音と共に理解出来た。八千代市の花火大会だった。予想外の花火大会に邪魔されて大幅に到着時間が過ぎてしまったが、夢工房に着いて浜田さんの車に乗り換えてバッカス到着は8時半。
昨日来てくれると言っていた佐藤さんが、昨日買って帰って「証明…あかし」を聞いていたら、息子さんも気に入ってくれたらしく、親子そろって来てくれていた。1ヶ月前のライヴで大泣きしながら聞いてくれた古渡君、浜田さん、ひとみさん、お客さんの数は昨日と同じで少なかったが、バッカスのママ、しげみさんも含め、僕の歌を愛してくれている人ばかりのライヴ。身体も声も疲れきっているのだが気分は最高。最初出なかった声もライヴ中にどんどん声量が上がっていった。後半は声が潰れ始めたが、優しい曲を選んでごまかすより今の持っている力を全力で出しきって最後までチャレンジし続けて唄い切ろうと頑張れた。
そんな自分をほめてやろう。

どんなに疲れていても、2時間近いライヴを終わった時点でテンションは最高潮に上がっている。身体は疲れきっているはずなのだが気持ちは切れていない。バッカスライヴが終わり、浜田さんに夢工房まで戻してもらって、ひとみさんを足立区の自宅に降ろしたのは1時前だった。
長い長~い1日だった。

今日の功労者は、1日中付き合ってくれた、城戸ひとみさんだ。疲れきった身体で運転しつづけられたのは、車に乗せた彼女を傷つけるような事があっては成らないという緊張感と、最後まで無事に自宅まで送り届けなければならないと言う責任感を持てたからだ。
責任を果たせて、僕は小平市に向かった。

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