何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

所々…記憶喪失

2015年08月07日 21時06分56秒 | Weblog
あまりの暑さに昼間は動けないので、夕方、駅までさんぽした。その時の写真です。

記憶が所々無くなっているのは最近の事ではない。
大阪に居た、高校を卒業してから22歳で東京に向かうまでの大部分の記憶が消えている。
それに気付いたのは40代の頃。
「ももんが」というハードロックバンドを組んで何度かライヴをしているのだがその頃の記憶は無い。
金がなくてご飯が食べられなくて、栄養失調で肋膜炎を起こし、実家で療養していた事もあったが、脳にも栄養が失調していたのかも。

僕の病気「脊髄小脳変性症」は、運動機能をつかさどる小脳で、記憶をつかさどる大脳に異常は無い。だからボケや認知症では無い。
ジェットコースターのような人生で、スリル満点の出来事が60を過ぎても次から次からやって来る。総ての記憶は脳に残されているらしいが、何処にしまったか分からなくなるらしい。
昨日のブログも記憶が入り乱れている。有住さんとの出会いは「東京」の後じゃなく、そのもっと前の「26・夏」の後、ショットガンの宣伝マンとして才谷音楽出版にいた今林くんが引き合わせてくれた。と有住さんがコメントをくれた。

過去の事よりこれからの事の方が大切。いつもそう思って生きてきた。
過去に全国発売されたレコードも全部は手元に残して無い。
という事で、これからのblogの記事も記憶違いがあったり間違いがあったりしますが、僕の生きてきた人生の大きな流れに影響をおよぼす事では無いのでご容赦下さい。

所々記憶を無くすのは、明日を未来を築く考えを、育てるスペースを創る為。

今日は茶碗を持つのも大変になって来ている。
持てないと嘆いても、何も起こらない。
じゃあ、何をすればいいのか、考えて考えて考えぬくしかない。
たとえ答えが出なくても。それが生きるって事だと思うから。

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