Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

鎖国

2010-03-17 | 戦国~天下泰平
戦国時代は、海外との交易の盛んな時代で、
織田信長が南蛮趣味であったのは勿論、
徳川家康も、関ヶ原に南蛮風の鎧で登場したりしている。

それが、二代将軍秀忠の時代に鎖国政策に転じ、
次の家光の時代に、体制として完成を見た。

徳川体制の間、鎖国が維持され続けたことが、
結果的に産業革命の輸入を遅らせ、
日本の近代化を遅らせたと批判する論者もいる。

だが、戦国乱世の傷の癒えきらぬ日本に、
勢力地図を広げることに意気盛んな列強諸国と
自由な交易を許している余裕があったかは、疑問である。

***

鎖国、鎖国と、
閉鎖主義の代名詞のように言われるが、

実際には、海外との交流を閉ざしていたのではなく、
海外との交流を幕府によって統制・把握していただけである。

特に、ヨーロッパとの交流は、長崎で一元化されていたが、
これは、日本列島の額のチャクラの位置にあたる。

“第三の眼”額のチャクラは、
認識作用の座である。

日本人は、目新しい華やかなものを好む。
先進文明から来るものであれば、
なんでもかんでも“良い”として受け入れる傾向がある。

幕府がいいものだけを取り入れようとしても、
各地の諸藩、諸勢力が、勝手に海外勢力と結び付いて
好きなものを取り入れ、大勢力になりかねない。

実際、戦国時代にはキリシタン大名が存在して、
宣教師を優遇し、教会に領地を寄付しかねなかったし、
日本人女性をヨーロッパに奴隷として売り渡し、その数50万ともいう。

徳川体制の崩壊は、
独自に海外との交易を行い、力をつけた、
薩摩の財力なしには有り得なかっただろう。

諸勢力が独自に力をつければ、
いまだ戦国の記憶の残る世の中では、天下の泰平は危うい。

戦乱であれた国土で、生きるだけで精一杯だった民たちに、
溢れるような新文化を受容する力があるかもわからず、
受容しても、支配階級の特権化を進めるのみの結果にもなったろう。

認識作用のフィルターを通して、
受け入れられるものだけ受け入れていこう、というのが、
その本来の趣旨だったのではないだろうか?

その後の体制の硬直化については、
なんとも言えないけれど。

***

大本神諭には、
日本を外国から守る事が神意であった、という、
記述が見える。

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