人間が社会的な動物であることに関して、
ふつう、異論はないと思う。
人は一人で生きることはできず、
例え少数であっても、群れを形成する。
それなのに人間には、集団生活に必要な本能が、
充分に備わっているとは言えない。
人は例えば、蟻や蜂のようではない。
鳥やサルより、個人的で、
個人としての欲求は、集団としての欲求に、
優越する。
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もし、社会生活を円滑にする、集団としての本能が . . . 本文を読む
"ヴェーダ"においては、
人や神、すべてを含めた世界の背後に、
宇宙がそれに従って運行するところの
"法"があると考えられた。
これを"リタ"と呼ぶ。
最初、人々は、リタに沿って生きるため、
"ブラタ"という誓いを守っていた。
後世になって、リタから生じ、すべての秩序を決定し、
またリタと一体化する"力"として、"ダルマ"という概念が生まれた。
このダルマに基づく行動規範として、"ダルマス . . . 本文を読む
インダス文明の後に古代インドへやって来たアーリア人と、
古代イランに住み着いたアーリア人は、
最初、同じ集団に属していたらしい。
共に、"ヴェーダの宗教"と呼ばれる、
一つの神話・祭祀体系を奉じていたという。
"ヴェーダ"の神々には二つの系統があった。
"デーヴァ"と呼ばれる、自然神や英雄神の系統と、
"アスラ"と呼ばれる、社会制度を神格化した神。
例えば、ヴァルナ=王権神、ミトラ=契約 . . . 本文を読む
空想的すぎるかもしれないけど、わたしは、
超古代・古代文明を想定している。
なにもない所から、自ら土地を開き、文明を開いた。
彼ら古代人の価値観なら、わたしは信頼できる。
古いヨガは、インダス文明に基づくと言われる。
バラモン・ヒンドゥー教は征服者のものだ。
既に征服者の時代だったけど、お釈迦さまは、
インダスの手法により、インダスの叡知を得たのだと、
わたしは思う。
征服者の気風を嫌った . . . 本文を読む
もちろん、歴史というのは、人間のドラマであり、
先人たちの生きた道のりだと思う。
それを知って、飯の種になるのか?
と言われればそれまでだけど、
歴史を学ぶことのメリットは沢山ある。
歴史という大きな流れの中で現代を位置付けることで、
少し離れて、客観的に、現代を見ることができる。
似たような時代背景と比較することで、
これから世の中がどのようになっていくか、
自分なりに、幾つかの仮定をする . . . 本文を読む
一神教の神と、日本の神々を比べたとき、
顕著に違うのは、
一神教の神は人の意識と共にあり、
日本の神々は、無意識に棲んでいる、ということだと思う。
どうやらこれは、
それぞれの民族を取り巻く環境と関係しているようだ。
ユダヤ人が生きたのは、
先進文明によって開発し尽くされた、砂漠に近い地域である。
ユダヤ人を含むセム族は、先住民族の築いた文明を乗っ取り、
より多くの取り分を求めて、お互いに . . . 本文を読む
わたしには、言葉が記号だという考え方が理解できないのである。
なんかシニカルになってる人が、よくそういうこと言いたがるけど。
どうしても分かんないし、
頭の中に嵌まんないし、
そういう世界観ってなんかつまんなそうで、
入り込みたくないって思う。
まあでも、仏教の“空”も、一見はそういう感じだから、
一概に否定しちゃいけないのかな、とも
思う。
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言葉は響きで、
それ自体が働きを持つの . . . 本文を読む
勝海舟は、佐久間象山の妹を妻に迎えていたから、
長野とは縁が深い。
わたしが通った小学校の体育館には、
額に入った勝海舟の書が飾られていた覚えがある。
校長先生の話に出てきたような気もするけど、
あの頃はまだ、
勝海舟の事自体しらなかったし、
書にも興味がなくて。
もったいなかったなぁ、と、今にして思う。
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わたしが、勝海舟をことさら好きになったのは、
ハワイ王朝に関係した逸話によ . . . 本文を読む
出口直には世に落ちておりた精霊(かみ)や、
埋もりてありた仏の精霊(みたま)を
もとの守護にいたして、
人民を救けて、
畜類、鳥類、虫族、餓鬼までも
みなたすける神が守護いたしておるから、
この直にいわしたことも、書かしたことも、
みな世をもつ神の言葉のかわりであるから、
疑ごうておりたり、敵対うてきたら、
どえらい“すこたん”をくうぞよ。
大本神諭 明治三十二年旧七月
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“すこ . . . 本文を読む
相手と自分を置き換えて、気持ちを理解しようと思うけど、
考えれば考えるほど、分からなくなる。
彼らがどんな気持ちで、新興宗教を作ったのか。
作らなくてはならなかったのか。
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大本の出口直さんは、望んだわけではなく
勝手に神さまに使われてしまったのだけど。
羞恥心の強い人だから、
気が違ってしまったのではないか、
恥さらしだ、と、さんざん悩んで、
自分に起こった事の正体を知るために、 . . . 本文を読む
修験道というのは、
日本古来の自然信仰と仏教をメインに、
道教などをも習合したもののようだ。
その目的は、大乗仏教と同じく
衆生済度と成道にあるらしい。
けれど、仏教のようには、出離を言わない。
つまり、世の中や人々の醜さをいとわない?
解脱より、救済に重点がおかれる。
貧困や病などの、現実を生きる人々の苦しみを救うこと。
それだけ見れば大乗仏教的だけれど、
仏教的な救済においては、現世利 . . . 本文を読む
仏教自体が厭世的とは言えないかもしれないけど、
仏教は厭世から入る教えだ。
世の中の醜さ、人々の醜さ、
人生と自分自身の醜さ。
仏の教えを本当に必要とするためには、
それを厭い、そこから抜け出ようとする気持ちが、
必要だと言う。
そこから本当に救い出してくれるのは
仏の教えだけだから。
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世の中の、人々の、ネガティブな面。
例えば、
近視眼的で世俗的な欲望を満たすために、
我こそ . . . 本文を読む
日本語の“新興宗教”という言葉は、
侮蔑を伴う気がする。
良くないイメージの言葉なのである。
わたし自身が“新興宗教”と付く宗教を、
一段軽く見てしまうから。
イスラム教系新興宗教、と呼んだとき、それは、
教えをイスラムから取り入れた、新しい、用心すべきカルト、
というイメージを持つ。
でも、バハイはそうではない。
イスラムであるべきだったのに、迫害され、追い出された教えである。
わたしは . . . 本文を読む
バハオラは、バハイ教の開祖にあたる。
バーブはその先駆者である。
言ってみれば、イエスとヨハネみたいな物だと思う。
バハイ教におけるバーブは、ヨハネより重視されているかもしれないけど。
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バハイ教は、十九世紀ペルシアで生まれた。
今のイランである。
バーブもバハオラもイスラム教徒で、そもそも
そこから逸脱する気は全くなかったと思う。
それは、ユダヤ教を逸脱する気のなかった
イエスに . . . 本文を読む
沖縄でのひき逃げ事件の報道で、
基地の入り口に赤い鳥居が二つ並んでいるのを見た。
あれって、どうなのかな?
俺たちは神さまだ、って言ってるみたいなものなんじゃないのかな?
一応説明すると、あれは日本では、
聖域の入り口を象徴するものですよね?
外国だと何ていうのかな…
でもとにかく、神への門なんですよ。
皇居の入り口にだって、鳥居なんかありません。
天皇=現人神のファシズム時代ですら。
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