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Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

新羅=ローマ文化国家説

2010-06-01 | 思索のかけら
新羅には、ローマ文化と深い関わりがあったとする説がある。 (由水常雄『ローマ文化王国-新羅』新潮社) それは、新羅時代の発掘物と、ローマの遺物の類似による仮説なのだが、 新羅に文化的な影響を与えていたのは、 中華帝国よりむしろローマだったというのである。 北魏以来、中華文化の受容を拒否し、 ローマ文化の色濃い影響下にあった新羅だが、 ローマ帝国の崩壊によって文化の輸入先を失い、 以降、はじめ . . . 本文を読む

ゲブ神族

2010-05-30 | 思索のかけら
ゲブは地殻の霊であり、 ヌトは(そういうものがあるとするなら)成層圏の霊であろう。 アポピスーアメンは物質霊ではないが、 地球の創造神として現れる場合は、地核を依代とする。 つまり、創造の場面で、 混沌の中に現れ出た最初の霊質の芯だからである。 しかし、盤古によって、地殻霊が地核の神に反旗を翻した場合、 アメンーアポピスは封じられてしまうか、あるいは、 ゲブと習合した形でしか出てこれなくなる . . . 本文を読む

イシスとしてのアマテラス

2010-05-30 | 思索のかけら
記紀のアマテラスには、持統の姿が重ねられているという。 “偽書”と呼ばれる古代文書の一つである“九鬼文献”には、 スサノオの娘であるアマテラスが登場するが、 これが天武系のアマテラスであり、持統に重ねられたアマテラスである。 彼女はイシスの系統であり、ネフティスではない。 先代の熊野本宮社の九鬼宮司は、深見の支持者として知られるが、 そうした縁があるのである。 *** 深見は、伊勢をダ . . . 本文を読む

宗教の硬直化

2010-05-29 | 思索のかけら
新興宗教が一般的に、教祖の言葉を絶対視して、 後の検討や新たな見解、進歩を生まず、 硬直化してしまうのは何故だろう。 それは、刻々と進化・深化しようとする人間の存在の、 ありのままの本質にそぐわない。 教祖に疑問を抱いたものは、教団に残れず、 自ら教団を立ち上げることになり、 小粒のカルト系新新宗教は、雨後の筍のように数えきれず発生する。 この無数の団体の中の一体幾つが、 本当に人類の精神性 . . . 本文を読む

精妙すぎる光明

2010-05-29 | 思索のかけら
アポピスーアメンは、はじまりの混沌の中に生じた、 まだ光になる前の最初の霊質の芯である。 “精妙すぎて認識できない光明”とは、こうした存在による光であり、 光明というよりはむしろ、ほとんど暗闇のように感じられるのである。 皆神山の大日堂、善光寺などにも、こうした光明が感じられる。 (正確には、善光寺にはアメン以外のみ仏も多く祀られており、 光となった光明も感じられるが) アメンの配偶神である . . . 本文を読む

ギリシャ神話

2010-05-26 | 思索のかけら
ギリシャ神話で“古い”神々とされていた、 ティターン神族が、古代エジプトのゲブ族にあたると思います。 ですから、ギリシャのオリンポスの神々は、 ゲブ族より更に新しく生まれた神々ということになります。 また、ギリシャ神話では、洪水により人類が滅ぼされた後、 新しく生まれた“英雄の時代”の人々も、 石から生まれたことになっています。 ギリシャの人々は石の神々以降しか知らない、 と考えた方が良さそ . . . 本文を読む

アイヌの神、エジプトの神

2010-05-23 | 思索のかけら
アイヌの神には、動物の姿を取って現れるものが多い。 けれど、動物自体を神としているわけではなく、 本来、人の姿である神が、動物の体を“着て”、 人の世界に現れるのだと考えているのである。 これは、幼い考え方のように思えるかもしれないが、 “化身”という考え方のなかった人々に、それを分かりやすく教えるための、 インダス人による喩えから来ているのだと思う。 アイヌの神々は、基本的に、縄文の神その . . . 本文を読む

捲土重来のとき

2010-05-23 | 思索のかけら
諏訪上社のモレヤの神は、本来、 高神産霊=シュウ=ブラフマーという、極めて根源神に近い神だと思う。 しかし、彼を祀る部族が中央での権力闘争に負けたために、 地方の一風神の地位に甘んじてきたのだろう。 深見は、諏訪大社上社本宮を信仰している。 シュウはおそらく、天武に下り、天武に従い、 天武とその子孫を守護することを告げたのだと思う。 そのため、天武は、 自分が根源神をも従えるだけの人間だと . . . 本文を読む

岩がついてきた話

2010-05-21 | 思索のかけら
岩霊、岩神という事をずっと書いているけれど、 まさか岩にこころがあるはずもない、 岩に霊なんてあるはずもない、というのが普通の感覚だと思う。 もちろん、わたしだってそう思っていた。 戸隠の岩山が、ペットのように好意を発散しながら、 わたしのところへやって来て、霊体に溶け込んでしまった、 という体験をするまでは。 *** 何年か前から、体調が許す限りは、 戸隠に行くたび、鏡池から戸隠連峰の . . . 本文を読む

古い魂・新しい魂

2010-05-13 | 思索のかけら
友人からの又聞きで申し訳ないのだけど、 ネイティブアメリカンは、 魂には、新しい魂と古い魂があると、言うのだそうだ。 古い魂は、遥か太古から生まれ代わりを繰り返している魂であり、 新しい魂は、そこから新しく分かれきた、 人としての生まれ変わりの比較的少ない魂である。 ここからはわたしの私観になるけど、 古い魂とは、おそらく旧人の頃から生まれ変わりを繰り返し、 人が人になる意識の黎明から体験して . . . 本文を読む

事代主=子供のホルスの可能性

2010-05-11 | 思索のかけら
事代主の言霊が“こ”を止める依り代、であり、 あまり良くないことは分かっていただけると思う。 事代主以外の七神の働きによって活性化する“こ”を、 ここで止めてしまっていることになる。 系図上、事代主の母親は神屋盾比売であり、これは、 “や”の神(シュウ系の神)に対する盾、という意味になる。 事代主は、御巫八神に入る皇室の祖神であり、 仮にこれが良くない、ということになれば、 宮中祭祀を行うほ . . . 本文を読む

悪神セト=子供のホルスの可能性

2010-05-10 | 思索のかけら
インドのシヴァ神に、良いシヴァと悪いシヴァがあるというのを、 ちらりと読んで、気になり始めました。 セトにも、 良いセトと悪いセトがあるのではないかと。 *** セトは、言霊的には“背・止”になり、 エジプトの背骨・ナイルの象徴でもあったオシリスを殺した神に、 ふさわしい名前だと思います。 ですが、本来のエジプト名はステク。 水を照らし来る、という言霊になります。 そもそも南エジプトの古 . . . 本文を読む

たたら場の人たち

2010-05-10 | 思索のかけら
古代エジプトの農民は、ゆったりとした生活をしていたそうです。 気候は温暖で、土地はナイルが豊かにしてくれる。 家は干しレンガで作れるし、それは王候貴族まで同じだったとか。 食べ物がなければ、パピルスの茎が食べられたそうで、 子供を育てるのにも、殆んどコストがかからなかったそうです。 普通、南国の、働かなくても食べられるような国は、 人は良くても、文化や思想は発展しないものですよね? 古代エ . . . 本文を読む

ゲブ=悪神スサノオ=盤古

2010-05-06 | 思索のかけら
先史時代が女系相続の時代だったと考えると、 大国主神話もまた、違う色彩を帯びて見えてくると思う。 つまり彼は、まず因幡の白ウサギの婿に選ばれ、 次に冥界のスサノオ=ゲブ系王朝の婿となったとは考えられないだろうか? “白ウサギ”は、依代・ウ・サギで、 ウは、古事記において高神産巣日・神産巣日に次いで生じたとされる 宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)=アポピス=天穂日、 サギは、日国狭 . . . 本文を読む

神を封じる道

2010-05-03 | 思索のかけら
考えすぎかもしれないのだけど、 オオヤマヅミはオオヤマ・アトゥム、 オオワタツミはオオワ・ト・アトゥムで、 大氏系のヤマの神、大氏系ミワの神を封じるための、 岩の神ではないかと思う。 ヤマ、は“ヤ”の神、 即ち“モレヤ”である諏訪神・シュウを祖とする神々、 ワ、はアメンの系統の神々だと思う。 安曇野・穂高神社の神は、オオワタツミとされるが、 本来は、縄文人・アイヌが開拓者を神格化した ボタ神 . . . 本文を読む