新羅には、ローマ文化と深い関わりがあったとする説がある。
(由水常雄『ローマ文化王国-新羅』新潮社)
それは、新羅時代の発掘物と、ローマの遺物の類似による仮説なのだが、
新羅に文化的な影響を与えていたのは、
中華帝国よりむしろローマだったというのである。
北魏以来、中華文化の受容を拒否し、
ローマ文化の色濃い影響下にあった新羅だが、
ローマ帝国の崩壊によって文化の輸入先を失い、
以降、はじめ . . . 本文を読む
ゲブは地殻の霊であり、
ヌトは(そういうものがあるとするなら)成層圏の霊であろう。
アポピスーアメンは物質霊ではないが、
地球の創造神として現れる場合は、地核を依代とする。
つまり、創造の場面で、
混沌の中に現れ出た最初の霊質の芯だからである。
しかし、盤古によって、地殻霊が地核の神に反旗を翻した場合、
アメンーアポピスは封じられてしまうか、あるいは、
ゲブと習合した形でしか出てこれなくなる . . . 本文を読む
記紀のアマテラスには、持統の姿が重ねられているという。
“偽書”と呼ばれる古代文書の一つである“九鬼文献”には、
スサノオの娘であるアマテラスが登場するが、
これが天武系のアマテラスであり、持統に重ねられたアマテラスである。
彼女はイシスの系統であり、ネフティスではない。
先代の熊野本宮社の九鬼宮司は、深見の支持者として知られるが、
そうした縁があるのである。
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深見は、伊勢をダ . . . 本文を読む
新興宗教が一般的に、教祖の言葉を絶対視して、
後の検討や新たな見解、進歩を生まず、
硬直化してしまうのは何故だろう。
それは、刻々と進化・深化しようとする人間の存在の、
ありのままの本質にそぐわない。
教祖に疑問を抱いたものは、教団に残れず、
自ら教団を立ち上げることになり、
小粒のカルト系新新宗教は、雨後の筍のように数えきれず発生する。
この無数の団体の中の一体幾つが、
本当に人類の精神性 . . . 本文を読む
アポピスーアメンは、はじまりの混沌の中に生じた、
まだ光になる前の最初の霊質の芯である。
“精妙すぎて認識できない光明”とは、こうした存在による光であり、
光明というよりはむしろ、ほとんど暗闇のように感じられるのである。
皆神山の大日堂、善光寺などにも、こうした光明が感じられる。
(正確には、善光寺にはアメン以外のみ仏も多く祀られており、
光となった光明も感じられるが)
アメンの配偶神である . . . 本文を読む
ギリシャ神話で“古い”神々とされていた、
ティターン神族が、古代エジプトのゲブ族にあたると思います。
ですから、ギリシャのオリンポスの神々は、
ゲブ族より更に新しく生まれた神々ということになります。
また、ギリシャ神話では、洪水により人類が滅ぼされた後、
新しく生まれた“英雄の時代”の人々も、
石から生まれたことになっています。
ギリシャの人々は石の神々以降しか知らない、
と考えた方が良さそ . . . 本文を読む
アイヌの神には、動物の姿を取って現れるものが多い。
けれど、動物自体を神としているわけではなく、
本来、人の姿である神が、動物の体を“着て”、
人の世界に現れるのだと考えているのである。
これは、幼い考え方のように思えるかもしれないが、
“化身”という考え方のなかった人々に、それを分かりやすく教えるための、
インダス人による喩えから来ているのだと思う。
アイヌの神々は、基本的に、縄文の神その . . . 本文を読む
諏訪上社のモレヤの神は、本来、
高神産霊=シュウ=ブラフマーという、極めて根源神に近い神だと思う。
しかし、彼を祀る部族が中央での権力闘争に負けたために、
地方の一風神の地位に甘んじてきたのだろう。
深見は、諏訪大社上社本宮を信仰している。
シュウはおそらく、天武に下り、天武に従い、
天武とその子孫を守護することを告げたのだと思う。
そのため、天武は、
自分が根源神をも従えるだけの人間だと . . . 本文を読む
岩霊、岩神という事をずっと書いているけれど、
まさか岩にこころがあるはずもない、
岩に霊なんてあるはずもない、というのが普通の感覚だと思う。
もちろん、わたしだってそう思っていた。
戸隠の岩山が、ペットのように好意を発散しながら、
わたしのところへやって来て、霊体に溶け込んでしまった、
という体験をするまでは。
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何年か前から、体調が許す限りは、
戸隠に行くたび、鏡池から戸隠連峰の . . . 本文を読む
友人からの又聞きで申し訳ないのだけど、
ネイティブアメリカンは、
魂には、新しい魂と古い魂があると、言うのだそうだ。
古い魂は、遥か太古から生まれ代わりを繰り返している魂であり、
新しい魂は、そこから新しく分かれきた、
人としての生まれ変わりの比較的少ない魂である。
ここからはわたしの私観になるけど、
古い魂とは、おそらく旧人の頃から生まれ変わりを繰り返し、
人が人になる意識の黎明から体験して . . . 本文を読む
事代主の言霊が“こ”を止める依り代、であり、
あまり良くないことは分かっていただけると思う。
事代主以外の七神の働きによって活性化する“こ”を、
ここで止めてしまっていることになる。
系図上、事代主の母親は神屋盾比売であり、これは、
“や”の神(シュウ系の神)に対する盾、という意味になる。
事代主は、御巫八神に入る皇室の祖神であり、
仮にこれが良くない、ということになれば、
宮中祭祀を行うほ . . . 本文を読む
インドのシヴァ神に、良いシヴァと悪いシヴァがあるというのを、
ちらりと読んで、気になり始めました。
セトにも、
良いセトと悪いセトがあるのではないかと。
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セトは、言霊的には“背・止”になり、
エジプトの背骨・ナイルの象徴でもあったオシリスを殺した神に、
ふさわしい名前だと思います。
ですが、本来のエジプト名はステク。
水を照らし来る、という言霊になります。
そもそも南エジプトの古 . . . 本文を読む
古代エジプトの農民は、ゆったりとした生活をしていたそうです。
気候は温暖で、土地はナイルが豊かにしてくれる。
家は干しレンガで作れるし、それは王候貴族まで同じだったとか。
食べ物がなければ、パピルスの茎が食べられたそうで、
子供を育てるのにも、殆んどコストがかからなかったそうです。
普通、南国の、働かなくても食べられるような国は、
人は良くても、文化や思想は発展しないものですよね?
古代エ . . . 本文を読む
先史時代が女系相続の時代だったと考えると、
大国主神話もまた、違う色彩を帯びて見えてくると思う。
つまり彼は、まず因幡の白ウサギの婿に選ばれ、
次に冥界のスサノオ=ゲブ系王朝の婿となったとは考えられないだろうか?
“白ウサギ”は、依代・ウ・サギで、
ウは、古事記において高神産巣日・神産巣日に次いで生じたとされる
宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)=アポピス=天穂日、
サギは、日国狭 . . . 本文を読む
考えすぎかもしれないのだけど、
オオヤマヅミはオオヤマ・アトゥム、
オオワタツミはオオワ・ト・アトゥムで、
大氏系のヤマの神、大氏系ミワの神を封じるための、
岩の神ではないかと思う。
ヤマ、は“ヤ”の神、
即ち“モレヤ”である諏訪神・シュウを祖とする神々、
ワ、はアメンの系統の神々だと思う。
安曇野・穂高神社の神は、オオワタツミとされるが、
本来は、縄文人・アイヌが開拓者を神格化した
ボタ神 . . . 本文を読む