美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

画賛を読んで作品名を改めた具体例 小川芋銭の2点(1)

2015-07-29 21:57:52 | 小川芋銭
小川芋銭の作品とされるものに「草刈図」(大正13-15年)と「野狐狸」(制作年不詳)と題されるものが、茨城県近代美術館にある。

これらの作品は、以前、「雨中草刈図」、そして「野狐禅」と称されていた。

その名称は、私の記憶違いでなければ、それぞれの軸箱に貼られていたラベルに書かれていた作品の名称に由来するものであった。それをそのまま美術館が踏襲して、作品名としていた。

作者本人が軸箱に作品を収めて、作品名を書いたりしたものを、「共箱」といい、美術界では、真贋鑑定にも役立つから、これを重視するが、これらは、もとより「共箱」に由来する名称ではなかった。

では、なぜ「雨中草刈図」が「草刈図」に、「野狐禅」が「野狐狸」に改められたか。

その理由は簡単だ。

画賛を読むことによって、それらの作品名が改められたのである。

それまで、芋銭の作品を敬遠してきた私が、退職後の4年間、古巣で再任用されたのを機に、せめて館蔵品の芋銭の書いた文字はすべて読めるようになりたいと思い、密かに挑戦してみた。

すると意外にも、「雨中草刈図」と言われる作品の画賛には、「粒粒辛苦」で有名なこんな詩が書いてあるのが分かった。(読みと意味はネットで検索されたい。)

鋤禾日當午 汗滴禾下土
誰知盤中餐 粒々皆辛苦


画賛では、汗が滴り落ちているのは、太陽がカンカンと照っている中で、農作業をしているからなのだ。
雨中での農作業ではない。

それがなぜ雨の中になってしまったのか。
日傘を被り、日除けの蓑を被っているのだろうが、それが雨除けのものだと絵を読み取ってしまったからに違いない。

ほとんど墨で書かれているからよく分からないのだが、カンカン照りで光が銀色に反射しているようにも見えるのだ。

水墨だから雨や霧をつい連想してしまうのだろうが、やはり、画賛を読まなくては。

もう1点、「野狐禅」から「野狐狸」に変わった例は次回に書いてみよう。






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