美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

岸田劉生の日誌的絵画「窓外夏景」 ― 青空の記憶

2015-07-12 10:56:59 | 日本美術
 画面に右上に「窓外夏景/千九百二十一年七月/廿日於鵠沼画房/二階写之/ 劉生画人画」、上端中央に「劉」の文字が書き込まれている。朱筆による書き込み。画中の青空に対比する強烈な朱色。

 この作品に描かれている風景は、例えば私にとっては、少年時代の故郷の風景と少しも変わらないような気がする。地方に行けば今でも日本のどこにでもあるような変哲もない風景だ。電柱も劉生が描いていた当時、もはや物珍しいモティーフではなかろう。ただ、画面構成の上で、無秩序に繁茂する緑の中に多少整序された奥行を暗示する。

 鑑賞者がここから読み取るのは、二階にいる劉生の眼に映った夏の濃い青空の記憶と、強い光の下で夏草が繁茂する鵠沼の日常的な光景そのものに過ぎない。彼の網膜上の記録や報告のようなものである。

 しかしこの報告は誰に見せるのでもない。だから、これは絵日記のようなもの、そう言ってしまうと語弊があるかもしれないが、日誌的な絵画である。茨城県近代美術館蔵。1921年(大正10年)作。

 劉生は、日常見ているその平凡な風景を、ここでは、神秘的なものに変貌させようなどとは思わず、むしろ俳諧的心情でその平凡さ愛しているように見える。
 
 彼はここでは、作品をこれ以上いじらず、むしろ、余裕を持って仕上げているのだ。しかし、劉生の他の作品に見られるある種の神秘感の表出や異化効果を好む鑑賞者にとっては、この作品ではいささか不満だろう。
 
 筆法もあの<実在の神秘>に達するような独特な緻密さではなく、むしろ稚拙味を帯びた素朴なものだ。
 
 評論家からこの時期の風景画は今ひとつ<絶対的魅力>に欠けると言われても仕方がない。これは、まさしく鵠沼の劉生が見た日誌的な光景であり、それ以外のものへの暗示や意味的な深化などは、認めたくとも認めようがない。

 ところで、この作品と全く同じ視点によるほとんど同じ構図の異なる季節に描かれた作品もある。
 「窓外早春」(1922年作)がそれである。もちろん、その他にも同じ視点からややクローズアップした作品などもある。視点やモティーフはいずれにも共通している。劉生は実際の風景を意外に忠実に描いていたのだなとこれらから分る。

「窓外夏景」は、こうした作品も念頭において見たほうがよかろう。そうすれば少なくとも夏の強い光と早春の柔らかな空気感の相違はいっそうはっきりする。それだけのことだが、まぶしい夏の光や青空の記憶と、早春の生暖かい空気感は、やはり絵画によってこそ、最も効果的にその視覚的・感覚的な実感を定着できるのではなかろうか。

 多くの人が経験済みだろうが、撮影したカラー写真では、思い描いていた青空の視覚的記憶とは違っていたというようなことがよくある。

 日誌的風景画と私は言ったが、網膜上の青空の記憶や空気感の視覚的定着も、画家本人にとっては、存外大事だったのかもしれない。それはどんなに平凡なモティーフであっても、ある瞬間の感覚的な記憶を呼び戻す生きた証になるからだ。

 劉生の日誌的風景画、それはまた、冒頭に触れた書き込みからして、文人画的形式を類推させ、そこには独特な俳諧的心情の発露が隠されているようにも思われる。

 劉生は、確かに文学的・詩人的気質の画家だし、劉生が好きな層にも、作品の神秘的な側面や、ややグロテスクな深刻趣味(西洋的なものであれ、東洋的なものであれ)を好む人たちが多い。が、一方でその反動のように―それがどこまで成功し、評価できるかは別にしても―まだ30歳の若さで、見ようによっては素朴な平凡さに帰着しかねないような、脱俗的境地とでも言うのか、あるいは、それとは正反対の制作意欲から出ているのか、極めて私的な世界を示す作品も並行させていた。


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