一般に「ブロック経済」と言えば、
1930年頃の大恐慌から第二次大戦に至る期間の各国の経済政策を言う。
各国は当時の植民地や友好国とブロックを組み、
保護貿易によって域内の内需拡大を試みたが、
それが結果として世界全体の経済を委縮させ、
第2次世界大戦につながったとされる。
この反省が現在までの自由貿易を推進する動きとなっているのだが、
アメリカの経済対策に盛り込まれた「バイ・アメリカン」条項が、
保護貿易の悪夢を思い起こさせるため、G7でも批判の対象なったようだ。
さて、少し歴史をひも解いてみよう。
第1次大戦後の1919年、敗戦国であるドイツ、オーストリアは
連合国と「ベルサイユ条約」を締結した。
この条約にはいろいろな内容があるが、
ここで関係するのは、莫大な金額の賠償金支払いである。
当時の国際金融の流れには、この賠償金が
ドイツ、オーストリアからイギリス、フランスへ流れただけではなく、
もう一人のプレーヤー、アメリカが絡んでくる。
戦時中、連合国、イギリス、フランスは、アメリカから戦費を借用しており、
いわゆる戦時債務の返還にも賠償金をあてがっていた。
一方でアメリカは戦後のドイツ、オーストリアに民間投資を盛んにしており、
この金がまた賠償金としてイギリス、フランスへ回ると言った関係だった。
金が回って万々歳、と行くのではなく、ドイツの借金が増えるだけで、
また金の回りも十分ではなかったため、賠償金支払いは滞り、
フランスの軍事的行動もあって、ドイツ経済は疲弊し、
超インフレ、いわゆるハイパーインフレが起こった。
アメリカは第1次大戦で直接の破壊がなく、農業工業ともに発展、
ヨーロッパ経済の疲弊に伴って、経済的繁栄を謳歌していた。
国民の投機熱は高まり、株価は上昇の一途、
1924年から1929年までの5年間に平均株価は5倍となった。
そして、1929年10月、ニューヨークでGM株が売られて大暴落する。
メディアにも煽られて暴落は続き、1ヶ月で約半値まで下がってしまった。
株の下落は、回り回って、信用不安、信用収縮によって
1931年オーストリアの銀行を破綻させ、アメリカの債権の焦げ付きを起こし、
さらなる銀行の破綻、企業倒産を招いた。
1933年に就任したアメリカのルーズベルト大統領は
公共事業による内需拡大を目指し「ニューディール政策」を取った。
ドイツは、同年ヒトラーが首相となり、
軍拡とアウトバーンに象徴される公共事業による経済回復を目指した。
また、各国は自国と植民地、友好国などを囲い込み「ブロック経済」で、
保護貿易による景気回復をもくろんだが、逆に世界全体の回復を妨げた。
世界経済がブロック経済により分断されたことで、各国は対立を深め、
やがてドイツ、イタリア、日本が軍事力による対外進出を行い、
第2次世界大戦へと向かっていく。
このようにして見ていくと、現在の状況が大恐慌当時に似ていて、
保護貿易がさらなる危険域へ踏み込むことになると懸念される。
バイ・アメリカン条項はその最たるものとして批判される。
TVでの報道を見ると、鉄鋼産業の労働組合が、この条項に熱心で、
アメリカの税金がアメリカの産業につぎ込まれるのは当然だ、
(税金で行われる公共事業はアメリカの企業に支払われるべきと言うこと)
と言っていたが、このドル安円高の中、
対日輸出に活路を見いだせないものかと思った。
(対ユーロ、対ポンドではドルは値上がりしているので、ヨーロッパ向けは不利)
今回の記事とは直接関係はないが、
軍拡は公共事業としての面も持っていることがわかる。
近隣諸国の中には、大きな軍事力を有して脅威を感じさせる国もある。
しかし、それらの国では「軍」が公共事業の性格も持っていることを思うと、
軍に就職して生活の糧を得ているだけの人も多くいると思われ、
必ずしも規模に応じた脅威となっているとは限らないと言える。
(自衛隊のことではありません。自衛隊員は国と国民を守るために働いています)
1930年頃の大恐慌から第二次大戦に至る期間の各国の経済政策を言う。
各国は当時の植民地や友好国とブロックを組み、
保護貿易によって域内の内需拡大を試みたが、
それが結果として世界全体の経済を委縮させ、
第2次世界大戦につながったとされる。
この反省が現在までの自由貿易を推進する動きとなっているのだが、
アメリカの経済対策に盛り込まれた「バイ・アメリカン」条項が、
保護貿易の悪夢を思い起こさせるため、G7でも批判の対象なったようだ。
さて、少し歴史をひも解いてみよう。
第1次大戦後の1919年、敗戦国であるドイツ、オーストリアは
連合国と「ベルサイユ条約」を締結した。
この条約にはいろいろな内容があるが、
ここで関係するのは、莫大な金額の賠償金支払いである。
当時の国際金融の流れには、この賠償金が
ドイツ、オーストリアからイギリス、フランスへ流れただけではなく、
もう一人のプレーヤー、アメリカが絡んでくる。
戦時中、連合国、イギリス、フランスは、アメリカから戦費を借用しており、
いわゆる戦時債務の返還にも賠償金をあてがっていた。
一方でアメリカは戦後のドイツ、オーストリアに民間投資を盛んにしており、
この金がまた賠償金としてイギリス、フランスへ回ると言った関係だった。
金が回って万々歳、と行くのではなく、ドイツの借金が増えるだけで、
また金の回りも十分ではなかったため、賠償金支払いは滞り、
フランスの軍事的行動もあって、ドイツ経済は疲弊し、
超インフレ、いわゆるハイパーインフレが起こった。
アメリカは第1次大戦で直接の破壊がなく、農業工業ともに発展、
ヨーロッパ経済の疲弊に伴って、経済的繁栄を謳歌していた。
国民の投機熱は高まり、株価は上昇の一途、
1924年から1929年までの5年間に平均株価は5倍となった。
そして、1929年10月、ニューヨークでGM株が売られて大暴落する。
メディアにも煽られて暴落は続き、1ヶ月で約半値まで下がってしまった。
株の下落は、回り回って、信用不安、信用収縮によって
1931年オーストリアの銀行を破綻させ、アメリカの債権の焦げ付きを起こし、
さらなる銀行の破綻、企業倒産を招いた。
1933年に就任したアメリカのルーズベルト大統領は
公共事業による内需拡大を目指し「ニューディール政策」を取った。
ドイツは、同年ヒトラーが首相となり、
軍拡とアウトバーンに象徴される公共事業による経済回復を目指した。
また、各国は自国と植民地、友好国などを囲い込み「ブロック経済」で、
保護貿易による景気回復をもくろんだが、逆に世界全体の回復を妨げた。
世界経済がブロック経済により分断されたことで、各国は対立を深め、
やがてドイツ、イタリア、日本が軍事力による対外進出を行い、
第2次世界大戦へと向かっていく。
このようにして見ていくと、現在の状況が大恐慌当時に似ていて、
保護貿易がさらなる危険域へ踏み込むことになると懸念される。
バイ・アメリカン条項はその最たるものとして批判される。
TVでの報道を見ると、鉄鋼産業の労働組合が、この条項に熱心で、
アメリカの税金がアメリカの産業につぎ込まれるのは当然だ、
(税金で行われる公共事業はアメリカの企業に支払われるべきと言うこと)
と言っていたが、このドル安円高の中、
対日輸出に活路を見いだせないものかと思った。
(対ユーロ、対ポンドではドルは値上がりしているので、ヨーロッパ向けは不利)
今回の記事とは直接関係はないが、
軍拡は公共事業としての面も持っていることがわかる。
近隣諸国の中には、大きな軍事力を有して脅威を感じさせる国もある。
しかし、それらの国では「軍」が公共事業の性格も持っていることを思うと、
軍に就職して生活の糧を得ているだけの人も多くいると思われ、
必ずしも規模に応じた脅威となっているとは限らないと言える。
(自衛隊のことではありません。自衛隊員は国と国民を守るために働いています)
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