みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

「野生の思考」

2018年08月25日 | 俳句日記


「野生の思考」は「具体の科学」と言わ
れています。
言葉も文字も無い時代に、人類がどう思
考を始めたかを探求するのです。

正解を得るにはタイムマシンに乗って、
旧石器人にインタビューしなければなら
ないでしよう。
残念ながらそれは現在でも叶いません。

ならばどうするか?
未開人を観察すれば何かのヒントが得ら
れるのでは無いか?
博士もそこまでは思い付いていません。

博士の興味は、西洋社会の混乱に疑問を
持った事に始まります。
一体今迄の学問とは何だったのか?人類
とは?社会とは?それが知りたい。

第一次大戦後の良心を持った青年の当然
な疑問だったでしょう。
博士は、人類の起源からそこの処を知る
為に地球上の民族に興味を覚えました。

そして、昨日書いたような経過を辿り、
未開人の高度な思考構造に出会います。

言ってみれば偶然の産物だったのです。
しかしそれは驚く程のものでした。

古代人(未開人)は、只々生存するために
自然と対峙しなければなりません。
自然が発信する情報は、生きる為の必須
認識で、そこから思考が始まります。

例えば、時間と空間認識、気象と季節、
動植物の生態等、欠落すれば死にます。
博士は、その認識能力の精緻さに驚いて
「具体の科学」と呼びました。

更なる驚きは、その認識が物的欲求に限
らず知的欲求にも及んでいる事でした。
知的欲求が充足されなければ思考の領域
は広がりを持ちません。

知的欲求は飛躍的に旧石器人の脳の発達
を促して、紀元前3万年頃には現代人と
同等の構造を持つに至ったのです。
逆にそれ以来発達していないのです。

つまりは現代人も野生の思考の構造の儘
に生活をしているのです。
知見の蓄積は確かに爆発的に増えました
が、思考の構造は昔のままなのです。

博士は著書「野生の思考」でそのことを
現代人に突き付けたのです。
友人であったサルトルへの大変な皮肉で
あったと思います。

さしずめ学歴三ケ月のエジソンは「野生
の思考」を最大限に発揮して人類に貢献
した偉人と言えます。

電灯の発明はブリコラージュの賜です。

明日は博士と日本について書きます。

8月25日〔土〕曇りのち晴れ
遠方から楽しい仕事のお誘いがあった。
趣味と仕事の違いは社会的な責任を負う
か負わないかである。

ブログが途絶えても誰にも損害はない。
仕事が途絶えたら人様に迷惑が掛かる。
これ実は野生の思考の発露なのだ。
健康は大事にしなければならない。

〈下駄重し 入会い墓地の 秋の草〉放浪子
季語・秋の草(秋)





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