みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

稗田阿礼と太安万侶

2018年10月11日 | 俳句日記


《八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
八重垣作る その八重垣を》

スサノオ尊が出雲の王として立った時に
詠った和歌である。
三十一文字の起源とされている。
ここから歌道を「八雲の道」と言う。

この「八重垣」を昨日の治水説に当ては
めて「八つの堰」と解釈しておきたい。
出雲を平定して領地に垣根を巡らし、宮
を建てた喜びの歌には間違いないが。

神話によれば、オロチを退治した後に尾
から三種の神器の一つ「草薙の剣」が出
て来ると言う下りがある、あれは砂鉄が
発見されたのだ、との説もある。


考古学的に実証されたという話は耳にし
ていないが、私もそう思いたい。
のちに斐伊川でとれた砂鉄で剣を打ち、
朝廷に献上したとする方が実感が湧く。



もう一つ剣といえば、オロチの首を撥ね
た十握剣(とつかのつるぎ)がある。
あれは天照様とスサノオ尊が高天原での
誓約の時に尊が腰にしていた剣だ。

それを天照様がバリバリと噛み砕いて息
を吹くと宗像三神が生まれ、尊が天照様
の勾玉を同じようにすると、五人の男神
が生まれたと本文には書かれている。

尊が命令により出雲へ立つ前の話だ。
以前書いたように、禊ぎや誓約で神が生
まれるシーンはポエムなのである。
剣も勾玉も砕かれてはいなかった。

洋の東西を問わず[神話]はポエムの裏側
にある歴史を推理することが楽しい。
古代ギリシャをポエムで読むとトロイ戦
争もぺレポネソス戦争も同時期に思う。


だが年代で言えば、両者には実に800年
の開きがあって、それを踏まえて読めば
一層興味が湧いて面白くなるのである。
だが[古事記]はそうではない。

同時代の歴史的事実をことさら神話=ポ
エムとして脚色している様が見える。
何故?誰が?、そこに諸説が生まれた。
[邪馬台国]が[古事記]に無い謎もだ。

史実として重要なのは天武天皇が[記紀]
の編纂を命じ[古事記]を担当したのが主
として稗田阿礼、[日本書紀]を担当した
のが太安万侶と舎人親王だと言う事だ。

太安万侶は天武天皇の崩御後25年経って
元明天皇から命じられ、再び稗田阿礼を
召し出し[古事記]の作成に当たった。
ここに脚色の必要性があったのかも?

(…つづく)

10月11日〔木〕早朝まで雨 日中曇り
秋篠宮殿下の「立皇嗣の礼」の
日取りが決まった。
国際関係では、その国独自の文化を
持つ国が尊敬される。

オリエント諸国や地中海沿岸諸国は、
それで保っているようなものだ。
古ければ古い方が良い。
来年から日本は更に見直される。

但し、うまく説明出来なければ、
その人は教養のある他国民から
バカにされる。

〈立皇嗣 千代の八千代の 実紫〉放浪子
季語・実紫(紫式部の実)秋









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