みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

冬の雨

2018年12月03日 | 俳句日記


12月3日〔月〕雨

どの季節の雨も、人の思いや行動を阻害するものだが、梅雨時のシトシト降り続く長雨と冬の雨は
とりわけ人の想念を内向きに閉じ込めてしまう。
今朝から降っていた雨は、午後には時雨れた。

いつもならピーチク・パーチクと賑やかな登校姿を見せる子雀たちも、冷たい雨に肩を縮める。
替わりに傘や雨具の色彩が風景を華やかにしているのが救いと言えば救いだ。

名人達の句にも、その辺りの事情が知られて興味深いものがある。

《冬の雨 柚の木の刺の 雫かな》蕪村
刺=トゲ

茫洋とした春の海を、のたりのたりと丸め込んだり、菜の花を前にして月を東に日を西に置いて、
天空をハイビジョン絵画にした蕪村も、冬の雨には柚子の木のトゲの雫に視点を置いたりする。

梅雨の長雨に、紫陽花の葉の上のカタツムリに眼を向ける心境と同一のものであろうが、この観察眼が天明俳諧の粋と言うものだろう。
ところがである、我が蕉翁はこう詠む。

“初時雨”も冬の季語である。

《旅人と 我名呼ばれん 初時雨》芭蕉
《初時雨 猿も子蓑を ほしげなり》芭蕉

と、旅の途次の寂しげな心境を詠ったかと思うと

《面白し 雪にやならん 冬の雨》芭蕉

と、こう来る。
“この冷たい冬の雨も、情趣豊かな雪に変わるのだろうなぁ”それも面白いと詠み切るのである。
蕉風俳諧の“軽み”の極だと言える。

和歌は三十一文字の素直な感情表現だが、俳句は十七文字の悟り表現だから恐ろしい。

〈子雀の 翼濡らすな 冬の雨〉放浪子
季語・冬の雨(冬)


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