みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

鏡物

2017年03月02日 | 俳句日記

 毎度、お早いお運びで感謝申し上げます。

 昔の歴史書を「〇鏡」などと申しますな。「大鏡」「今鏡」「水鏡」「増鏡」なんてぇのは、学校で

習いました。

 「歴史は、社会をうつし自らを照らす(=反省する)ための鏡のようなものである」と言う考え方が

日本には神の代からありましてね、それで「〇鏡」と著したんですな。

 

 「鑑みる」(かんがみる)=手本、先例に照らす。と、言う言葉もここから来たのだそうです。

「三種の神器」の「鏡」は、政(まつりごと)を行うには、この教えを尊びなさいという御印しだと

言うことだそうですよ。歴史を学ぶということは大切なことなんですねぇ。

 

 ということで、八つぁんと熊さんはご隠居さんのところで異国の事情と歴史を教わっています。

酒を飲みながらですんで、どこまで身になっているのかは知りませんけどね。

 

「あんときゃ、工藤様が長々とお話になってらしたんで、あとさきがこんがらがっちまって」

「ご隠居さんは懐紙になにか書きつけておいででしたね?」

「うむ、せっかくのご講義だからと思って懐紙と矢立を用意しておいたのさ」

「俺っちとは心掛けが違いますねぇ。なあ熊」

 

「だよな。それでね世界ってのはそんなに戦争ばかりしてましたんですかい?」

「らしいなぁ、ばあさんそこの書付をちょいと取っとくれ」

「いや、それならあっちが」

「いや、すまないね。どれどれ、まずはエゲレスだな。お国が出来たのが千年前だな」

 

「日本ではいつごろです?」

「お前さん達に言って分かるかな!? 平安時代の初めごろだ。わかるかい?」

「いや、わからねぇ」

「弘法大師が活躍なさっているころだ。」

 

「ああ、あのころですかい」

「熊、おめぇ分かってんのかい?」

「いや、お大師さまは知ってるぜ。そうとう前の話だ」

「そうそう、そう思っておけばいいんだよ。それから内戦が続いて、十字軍の戦争が二百年続いて、

終わったと思ったらフランスと百年間戦争をして、それも終わったらまた内戦が三十年つづいて、

それから七十年ぐらいは内輪の政権争い位ですんでたのが、さっき言った大航海時代でオランダや

スペインやフランスと三百年間戦争のしっぱなしだ」

 

「そんなに続いて、みんな死んじまわなかったのが不思議ですね」  

「いやね、お互いの領土の取り合いなんだから、話し合いながら休み休みやるんだな」

「日本じゃ考えられませんね。庶民はくたびれっちまう」      

「もともと作物が実らない島国で、海賊の国だからね。それが仕事なんだよ」 

 

「それだけではない。大陸では百年もの間バテレン同士で宗教戦争をやっている」

「いつごろです?」

「信長様の時代から家光様の時代ぐらいにだ。それで日本が巻き込まれたらいけないので

伴天連追放令や鎖国をやったんだよ」

「そういうことですかい」

 

「おかげでここ二百年、平和な暮らしが続いているんだよ」

「こちとら、ちょっともしらなかった」

「それがここにきて、異国の勢力争いが大きくなってきた。その中にロシアも加わったり、

お隣の清も安南やビルマを攻めている、五~六年前の話だ」

「それで林子平先生がご禁制の本をお書きになったということですね」

 

「そういうことだ。ご公儀も頭の痛いことだと思うよ」

「なんとか防げねぇもんですかね!?」

「みんなが心掛けを持つことだろうなぁ。志士のみなさんばかりにまかせるのではなくて」

 

 このお噺のほんの十年ほど前に浅間山が大噴火をおこし、二万もの人が死んでるんですな。

その影響で奥羽をはじめ東日本には天明の大飢饉がおこり、田沼意次が失脚をして松平定信の

寛政の改革が始まった。とたんにフランス革命が起こり、ロシアのラクスマンが強く開港を迫り、

二年後にはイギリスが北海道の周辺の海図を作成しだす。翌年にはロシアが勝手に択捉島へ

上陸する。いやはや大変な時代が訪れたもので、八つぁん達もきがきではありません。

 

 実は、幕府はなんの有効な手を打つこともなく、文化文政と天保の地震、そして極めつけの

嘉永七年(1854年)十一月の東海・南海連動大地震、死者三万名。

安政二年(1855年)十月の安政大江戸大地震、死者一万名。

 この二つの天災が、幕府にとどめを刺すように大政奉還を迎えさせることになるのです。

もはや、幕府の財政は破たん状態で、もはや、外国に対抗する力はありませんでした。

 

 ところが、天佑神助とはこのことでしょうかねぇ?よりによって、

アメリカは、南北戦争。

ヨーロッパは、クリミア戦争(トルコ、ロシア、イギリス、オーストリア、フランスetc.)。

イタリアは、リソルジメント(イタリア統一内戦)。

プロイセン(ドイツ)は、デンマーク戦争。

清は、太平天国の乱。

以上、みごとに当時の強国は自国のことに掛かりきりでした。

 

 これらのことが無ければ、確実に日本は欧米の分割統治の時代に入ったでしょうね。

大東亜戦争終戦の時に、再びこの天佑神助が訪れます。奇跡再びです。

 米ソの対立に深まりが生じていました。これがなければミズーリー艦上で、分割統治に

調印させられていたでしょうね。

 でも、これらの時は国民の間に、神の代以来の平和な国体を守るという意思がありました。

意志の無いところに奇跡は起こりませんし、起こせません。

 

 天災は仕方のないことです。命だけは銘々で守りましょう。

だけど、人災はひとびとの心掛けで回避が出来ます。戦争は人災ですよ。抑止の効く現象です。

 八つぁん熊さんでさえ、子や孫のために勉強しょうと発念しました。心意気に見習うことです。

  =お後がよろしいようで=

 

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三月二日(木)  曇天 時折薄日 夕刻より雨

         遅く起きる、川への義理を欠く

         「のだめカンタービレ」を夜半まで

         何びとにも自己啓発の教育映画

         若者に共感することしきり

         灯油買う

         

         

         


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