みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

クリスマスイプ

2017年12月24日 | 俳句日記

山下達郎の「クリスマスイプ」も大かた
オールドソングの部類に入って来た。
ビングクロスビーと同じショーケースに
並んでいても可笑しくない。

ところが、20世紀に始まった映像の世界
は、紙媒体の世界の矛盾を簡単に止揚し
、我々凡人を百聞の煩悶から一見の世界
へと一挙に解放した。

更に、ジョッブスという神が開いたITの
扉は、神にしか知り得なかった時空の真
実を、我々凡人がまるでワープするよう
に瞬時に知り得る道に誘ってくれた。

すると不思議な事が起きる。
100年前のクリスマスソングも昨日今日
発売されたそれも、同じショーケースに
並び視聴者の批判に晒されるのである。

つまりは、芭蕉のいう「不易流行」の奥
行きがグンと広がったのである。
創造を業とする者にとってはたまったも
のではない、もはや誤魔化しは効かぬ。

プロメテウスは人間に火を与えたが故に
ゼウスの怒りをかった。
スティーブもそうなってなければよいが
⁈と思ったりもする。

この事はこの先確実に社会的格差を拡大
して社会不安を煽るからである。
教育投資もベーシックインカムの論議も
それを読んだ政策だと認識して欲しい。

もう一つ読者に問いたい事がある。
クリスマス(生誕祭)も、実はローマ皇帝
コンスタンティヌス及テオドシウス二代
とキリスト教団の妥協の産物なのだ。

AD313年コンスタンティヌス大帝はミラノの勅令を出してキリスト教を容認。

AD392年、皇帝テオドシウスはキリスト教を国教とした。

ローマは元々多神教の世界であった。
二人の皇帝は、キリスト教団の取り締ま
りの為の内政費の削減とゲルマンとの戦
いの兵士として、キリスト教信者と握手
をしたのである。

その時、キリストの生誕祭をローマ市民
が伝統的に行っていた冬至祭のある一日
に合わせたのである。
冬至祭は数日間行われていた。

「汝、殺すなかれ」はイエスの大切な教
えである事は誰も知っている。
それを「同胞の為ならば戦え」としたの
が、この時からである。

私も聖書ぐらいは読んでいるし、イエス
の優しさは理解している。
信仰は個人の段階では善以外の何物でも
無いが教団となるとそうもいかない。

以来今日まで、人類の歴史は血に彩られ
て来たのである。
ローマ帝国は強大になり過ぎた。
古典文献学の権威、哲学者ニーチェはそ
れを知っていた。

帝国主義がヨーロッパに勃興する時代、「ツアラストラ」を書いて神は死んだと
警鐘を鳴らして世界に知らせた。
最早、今の信仰に救いはないと。

ジョッブスという神様が、私の様な凡人
でも瞬時にそれらの事を知ることの出来
る時代を与えて下さった。
知る時代から感応する時代に入った。

〈ニーチェさえ イブにロマンス 語りしか〉放浪子 季語・イブ(冬)

12月24日〔日〕曇りのち雨
「イブ」の夜、淡いロマンスに夢を描い
ていた方には誠に申し訳ないが、知る事
についてのスピードには加速度がついて
来ている。
ぼやぼやしてると置いていかれる。
何かが大きく変ろうとしている。










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