みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

桜De一句

2018年03月26日 | 俳句日記

またも晴れたり日本晴れ。
青空を背景に真白な里桜が咲いていた。
一茶の句を思い出す。

《桜咲く 大日本ぞ 日本ぞ》 一茶

去年の今頃にも紹介したかも知れない。
私の大好きな句である。

笹丘小学校の裏門の染井吉野も満開を迎
えようとしている。

その下を休日預かりの子雀達がワイワイ
と下校していた。

桜の花は子雀ばかりではなく、人々の心
を高揚させる。
だから自然と記憶に残る事になる。
蕉翁がさらりと詠んだ句、

《さまざまな こと思い出す 桜かな》芭蕉

三百年も前の作なのに、誰かがきのう詠
んだ句のように新しい。
日本の国がある限り語り継がれる句だ。

芭蕉から50年後、蕪村は「洒落の人」らしく余裕をかましてこう詠んだ。

《傾城は 後の世かけて 花見かな》蕪村
《山姥の 遊びのこして 遅桜》 蕪村

おそらく花魁達を前にした戯句だろう。
真面目な句もあったのだが、面白く無い
ので紹介するのをやめにする。
蕪村はこれだから面白い。

初めに載せた一茶の句は、壮年の頃の作
だが、晩年の句には同情を禁じ得ない。

《夕桜 家ある人は とく帰る》 一茶

一茶が六十四歳で亡くなる6ケ月前に、
村全体の大火で家を焼かれ、土蔵に起居
していた時分に詠んだ句だろう。
村人と夜桜見物でもしていた時の作か?

更にこんなのもある。

《桜花 何が不足で 散り急ぐ》 一茶

五十歳を越えて授かった三人の子供達を次々に失った後に詠んだのか?
この方の生涯は涙無くしては語れない。

であるからか、戦時中この句を良寛さん
の次の辞世の句と抱き合せで、兵隊さん
達は良く口にしていた。

《散る桜 残る桜も 散る桜》 良寛

もはや、歴史的な慣用句と言える。

ここで終わると折角の花の色が褪せてし
まうので、俳人の粋な戯れを紹介する。

蕉翁の名句、

《花の雲 鐘は上野か 浅草か》 芭蕉

を念頭に置いて、約百年後、多分句会の
席だったのであろうが、近くの寺の鐘が
ゴンと鳴った瞬間一茶が戯れに詠んだ。

《あの鐘の 上野に似たり 花の雲》 一茶

同席していた一同は、やんやと喝采した
に違いない。
俳人は、越し方の労苦を句作に忘れる術
を知っているのである。

最期に、200年前の句なのに今後何世紀
も後の世に残る秀句を、もう一句紹介し
ておきます。

《世の中は 桜の花に なりにけり》良寛

こだわりを捨てて生きた良寛和尚らしい
練達の一句である。

私はまだ我が身の捨てようが足りない。
色即是空、空即是色。南無虚空蔵菩薩。

〈花ごよみ 幾つ開いて 桜かな〉放浪子
季語・桜(春)

3月26日〔月) 晴れ
昨日のブログに間違いがありました。
自民党の幹事会ではなく党大会でした。
慎んで訂正します。
意見の趣旨は変わりません。
頑張れ‼︎日本。












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