みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

昭和の日に想う

2018年04月29日 | 俳句日記


「人生なんてアッ!と言う間のもんだ」
本当にそう思ってしまう。

《降る雪や 明治は遠く なりにけり》

と詠んだのは中村草田男先生だが、明治
34年生まれの氏が、昭和6年に母校の小
学校を訪ねた際の句である。

当時30歳、明治が終わってからまだ30年
しか経っていない。
随分と早熟な感性をお持ちだと思ってい
たら、東大俳句会でご活躍なさっていた
頃と知って納得した。

まあしかし、あの頃は今よりまして激動
のご時世、誰もが一抹の不安を抱えて生
きていた時代だけに、雪の中に佇んで校
舎を仰げばそんな気になるのも自然だ。

昭和の前半は、有史以来の激動だった。
団塊の我々も、その時代を引きずって生
きて来たとも言える。
けして穏やかな半生ではなかった。

特に福岡県の筑豊という炭鉱町で育った
私は、空を見上げればロッキード戦闘機
、地には米軍のジープが疾駆していた頃
に物心ついた。
朝鮮戦争の辺縁に生きていたのである。

労働争議も間近に見た。
荒くれ者の切った張ったも身近だった。
キューバ危機は中学の頃、大学に入れば
70年安保、御託に違わず渦中にあった。

社会に出れば保革伯仲の選挙戦。
世界はというとずっと冷戦が続いた。
そして昭和64年1月7日天皇陛下御崩御。
同時に昭和が終わる。

殉死なさった方も多くいらした。
昭和天皇と共に戦前戦後を生き抜いて来
られた方々の心情が、この歳になるとよ
く分かる。

昭和という時代はそんな時代だった。
私にとっても、天皇といえば昭和天皇で
あることは間違いない。
すでに30年、昭和は遠くなりにけり。



〈穏やかに 省みすれば 昭和の日〉放浪子
季語・昭和の日(春)

4月29日 〔日〕晴れ
昭和は終わっていたと思っていたら、宿
題が残っていた。
憲法改正と拉致被害者の救済である。
どちらも朝鮮戦争の終結とリンクしてい
る課題だ。
だからなのか、野党は板門店宣言を歓迎
するコメントを出さずにいる。




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