みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

日光東照宮春季例大祭

2019年05月17日 | 俳句日記

徳川家みつば葵


5月17日〔金〕晴れのち曇り 午後から 風強し

戦前「勘太郎月夜」と言う歌が流行った。
歌手の小畑実さんがよく通る声で、戦後も軽快に歌っておられたのを思い出す。

その歌詞に、

“菊は栄える 葵は枯れる 桑を摘む頃 会おうじゃないか〜♪”

と言う一節がある。

時代に殉じた、故ある博徒を歌った歌であるから当然死地に赴く気概が謳い込まれている。
“桑を摘む頃”とはお盆の時期だ。
「五木の子守唄」の“盆が早よくりゃ早よ帰る”と同じ文脈なのである。

ところで近年、日本史も、世界史に於いても、これまでの一般的な歴史常識が古代史にまで遡って覆されて来ているようだ。
どうやら日本には世界最古の文明が有った由。

そうであればそれで目出度い事ではあるが、今の日本人が取り上げて得をする訳でもない。
タイムマシンが発明されれば、今の教科書なんてのは、丸っと意味が無くなって仕舞うのである。

と、いう事で「勘太郎月夜」だが、明治維新で
「葵」は枯れて「菊」が栄えたのか?となると甚だ心許ない時代考証の歌詞となる。
実は「葵」が頑張ったお陰で「菊」が輝いた。

だからこそ「大政奉還」が成り、列強を跳ね返す
近代国家が即応して出来上がったのであった。
徳川家の250年の治世は、世界に誇るべき国際関係上の成功例として歴史に刻まれるだろう。

では、太平洋戦争は?と思うだろうが「民族自決」を主張した黄色人種に対する“ワナ”であったという事が、今明らかに成りつつある。
「令和」はその始まりなのである。

「東照権現」様と「徳川慶喜」様の国際的評価が
これからいや増しに高まるであろう。

〈大江戸や 葵と菊の 大和かな〉放浪子
季語・葵(夏)