ミャンマー、1日目にいろいろ訪問して、今日は2日目です。
日航ホテルでの朝食です。 特にミャンマーという食べ物ではありません。
今日は東ヤンゴン総合病院に向かいます。 お仕事です。
当時、軍が政治をしていたので、アウンサン・スーチーさんは幽閉されていました。 こういう池の横の家です。 教えてもらいましたが、その方向を見るだけで軍に見られるとややこしいことになるので、それとなく眺めた程度です。
その後、民主化でスーチーさんが事実上の最高責任者になったのですが、2021年には軍のクーデーターで刑務所に収監されているとのことです。
この写真は船のレストランです。 帰国前の夜に行きました。
東ヤンゴン総合病院到着
ここには私の病院で研修を受けたウインさんがいます。 そのためにこの病院を訪問したのです。
たくさんの人が出迎えてくれましたが、新聞社カメラマンの要請で、ウインさんと記念写真です。
島津製のX線装置です。 多分日本から寄付したものでしょう。
私も使ったことがあって懐かしい。
もっと懐かしいのが、壁にある茶色い扉。 パスボックスです。 フィルム時代、暗室とのカセッテのやりとりにこの扉を使って受け渡ししていました。 扉の奥の部屋は暗室です。
フィルムが入ったカセッテです。 サイズが大角なので、胸部を撮影したのでしょう。 メモは患者の氏名か?
カセッテは日本の岡本製です。一目でわかります。
暗室の中。 現像タンクです。 汚く見えますが、現像液が酸化してすぐにこんな色になってしまいます。
壁にかかっている暗室ランプも懐かしい。
AGFAのレントゲンフィルムの箱。 テストで使ったことがありますが、アグファはドイツの会社で、当時コダックについで世界2番目に大きなフィルム会社でした。
フィルムハンガーです。 真っ暗な部屋の中で、レントゲンフィルムを一枚ずつこのハンガーに取り付けて、現像タンクに入れて現像、定着、水洗と処理をしたものです。 その後、自動現像機ができてハンガーは使わなくなって、その後はデーラートシステムになって暗室がなくても現像できるようになり、そして、ディジタルに変わってまったく銀塩フィルムは使わなくなりました。
左端が放射線科の先生、総看護師長さんたちと記念写真。
若い人たちがたくさんいたので聞くと、放射線技師の学生で、実習に来ているとのこと。 がんばれよと言って記念写真。
当時、私も日本の放射線技師の学校で教えていたので、とても身近に感じたのでした。
リハビリの部屋で、頚椎の牽引機があったので、牽引してもらっています。 みんな大はしゃぎ。
院長さんは女性です。 おやつが出されました。 ミャンマーらしい食べ物はこれが初めてです。 病院あげての大歓迎でした。
院長さんはじめ、みなさん送りに来てくれて、ウインさんが手を振っています。 わざわざ日本から会いに来てくれて嬉しかったようです。
この写真で病院の建物が分かりますが、ヤンゴンは中堅クラスの病院です。
ミャンマー つづく