28日。
仕事納めまであと1時間という所で突然目の前がちかちかし始め、まともに目が見えなくなった。
なんのこっちゃわからずにいるとガツンと偏頭痛が襲ってきた。
極度の偏頭痛。立っていられず、吐き気もでてきた。
しばらくぐったりしていたけれど、どうしようもないので運転中体中のしびれを感じながら帰宅。
帰って即寝。
友人からのカジノへの誘いの電話で起こされたものの、更に寝続け、今朝まで結局12時間以上眠りつづけた。
少しは回復したけれどまだまだ本調子はでない。
24日夜から26日までKasisi Children's Homeという孤児院で過ごした。
24日についた時には子供たちは既に教会へ出かけてしまっていた。
僕と友人も少し教会にお邪魔し、アフリカ流の教会儀式を堪能した。
数人の女の子が純白のドレスを着て、神父に踊りを捧げているよう。
寝袋持参で友人の部屋で寝たわけだけれど、硬い床に直で寝袋はかなり痛い。
夜中に起きては当たる面を変え、早く朝が来ることを祈った。
25日。
朝から子供に自己紹介をしたけれどなかなかなじめない。
この孤児院はポーランドの教会が経営していて、シスターと雇いの女性で子供の面倒を見ている。有名であるがゆえにドネーションがたくさん入り、物は溢れ、子供たちはザンビアのほかの子供達よりもきれいな服と靴を身に着けていた。
友人曰く、ものがあり過ぎるために逆にそのありがたみを感じることが出来ず、ひどい時には食事を投げ捨てていたらしい。そんな甘く乱れた態度を僕の友人は常に叱責している。
午前中、敷地内にあるチャペルでのお祈りに参加し、クリスマスソングを歌い、みんなに倣ってお祈りをした。
友人にKasisiの村、といっても学校と3件のキオスク(お菓子を売っているだけの小屋)しかないが、案内してもらい、後から来た僕の大家の女性二人と共に孤児院内を案内してもらった。
HIV/AIDSのウィルスを持った孤児は別棟に分けられ、入り口にはここで亡くなった子供の名前と、好きだったものが飾られていた。
部屋に入るとたくさんの子供たちが今までの日本人の隊員に教わった「幸せなら手をたたこう」「大きな歌」を日本語で僕らに歌ってくれた。驚きはもちろん、すごく嬉しかった。以前訪問した小渕優子議員は涙したらしい。
初めて目の当たりにするHIV/AIDSの孤児たち。中には薬の副作用で髪が抜けていたり、発疹がでている子供もいる。赤ん坊もたくさんいる。
ほとんどの子供たちは自分たちの病気のことを知らないという。もちろん気付いている子供もいる。この世に生まれ、親のせいで避けられずに受け継いだ病気を背負った子供たちだけれど、全く他の子供たちと変わらず元気に笑う。
昼過ぎより全員集合でクリスマスパーティー。
子供たちにはコーラとお菓子が配られ、食べ終わる頃に音楽スタート。
同時に子供たち、シスターたち、僕らは踊りだす。
びっくりするくらい小さい子供でも踊りがうまい。
そして、僕らに抱っこを求める。
子供二人を抱っこしながらのダンスはさすがにきつい。汗だくになりながらもひっきりなしに求めてくる子供たちの期待を裏切るわけには行かず、一瞬の父親になったつもりで抱きしめ、遊んだ。
みんなとこれ以上無い笑顔で踊り、歌っているのは本当に楽しかった。
久しぶりに「純粋」を感じた。
夜は次第に僕になれてきた子供たちに日本語を教えたり、簡単なゲームをしたり、小学生相手に本気の腕相撲で負けたり。
その間も、配られたお菓子をめぐって喧嘩している子供たちを友人は叱責していた。
彼は口では「3回死ね」とか言うものの愛情は深く、叱責できる彼の存在はものすごく大切で、子供たちも彼を嫌うことなく逆に心底慕っているんだなと思った。
再び来た寝苦しい夜を耐え、次の日は子供たちとおにごっこやサッカーをした。
幸い、ここはルサカから30分程度で行けるから、またすぐ来ると約束して僕は孤児院を後にした。
こんなにすがすがしく楽しんだクリスマスは初めてかもしれない。
日本でクリスマスに「キリスト」の名前を1回でも口に出す人がどれだけいるだろう。
街は人でごった返し、やれ恋人に高いプレゼントだのホテルだのってのが当たり前に一人歩きし、クリスマスという本来あるべきものが全くないんだなっていうのを実感した。
そしてそれがすごく異常で見当外れなことに見えた。
外にいるから感じられることなんだろうな。
Photo of Christmas In Kasisi