Jacarandaの木の下で

2004年〜2006年
ザンビア共和国での在外公館派遣員の記録

12月31日。

2004-12-31 17:45:21 | Weblog
2004年も終わり。
南半球での年越しは2度目だけれど、相変わらず年末・正月の雰囲気なんて無い。
地球規模で厄年だった今年は僕にとっては最高の年だった。
思えば去年の今日の僕は、しがない無職24歳。
1年後の僕は地球を半周してここにいる。
そしてたくさんの新しい仲間とも出会った。
ホテルで働き、派遣員同期に出会い、ここへ来て職場の人間、ザンビア人等々、1年間とは思えないほどの情報が入りすぎて、僕の脳はスムーズにアップデートできる程できの良くないもんで先日パンクした。
以前から知っている仲間、新しい仲間には本当に力をもらった。
この場を借りて、ありがとう。

さぁて、2005年。
死なない程度に真面目にやりますか。

これからJICA所長宅で日本時間の年越しに合わせカウントダウンしてきます!

良い年を!

Christmas Day。

2004-12-30 08:55:57 | Weblog
28日。
仕事納めまであと1時間という所で突然目の前がちかちかし始め、まともに目が見えなくなった。
なんのこっちゃわからずにいるとガツンと偏頭痛が襲ってきた。
極度の偏頭痛。立っていられず、吐き気もでてきた。
しばらくぐったりしていたけれど、どうしようもないので運転中体中のしびれを感じながら帰宅。
帰って即寝。
友人からのカジノへの誘いの電話で起こされたものの、更に寝続け、今朝まで結局12時間以上眠りつづけた。
少しは回復したけれどまだまだ本調子はでない。

24日夜から26日までKasisi Children's Homeという孤児院で過ごした。
24日についた時には子供たちは既に教会へ出かけてしまっていた。
僕と友人も少し教会にお邪魔し、アフリカ流の教会儀式を堪能した。
数人の女の子が純白のドレスを着て、神父に踊りを捧げているよう。

寝袋持参で友人の部屋で寝たわけだけれど、硬い床に直で寝袋はかなり痛い。
夜中に起きては当たる面を変え、早く朝が来ることを祈った。

25日。
朝から子供に自己紹介をしたけれどなかなかなじめない。
この孤児院はポーランドの教会が経営していて、シスターと雇いの女性で子供の面倒を見ている。有名であるがゆえにドネーションがたくさん入り、物は溢れ、子供たちはザンビアのほかの子供達よりもきれいな服と靴を身に着けていた。
友人曰く、ものがあり過ぎるために逆にそのありがたみを感じることが出来ず、ひどい時には食事を投げ捨てていたらしい。そんな甘く乱れた態度を僕の友人は常に叱責している。

午前中、敷地内にあるチャペルでのお祈りに参加し、クリスマスソングを歌い、みんなに倣ってお祈りをした。
友人にKasisiの村、といっても学校と3件のキオスク(お菓子を売っているだけの小屋)しかないが、案内してもらい、後から来た僕の大家の女性二人と共に孤児院内を案内してもらった。
HIV/AIDSのウィルスを持った孤児は別棟に分けられ、入り口にはここで亡くなった子供の名前と、好きだったものが飾られていた。
部屋に入るとたくさんの子供たちが今までの日本人の隊員に教わった「幸せなら手をたたこう」「大きな歌」を日本語で僕らに歌ってくれた。驚きはもちろん、すごく嬉しかった。以前訪問した小渕優子議員は涙したらしい。
初めて目の当たりにするHIV/AIDSの孤児たち。中には薬の副作用で髪が抜けていたり、発疹がでている子供もいる。赤ん坊もたくさんいる。
ほとんどの子供たちは自分たちの病気のことを知らないという。もちろん気付いている子供もいる。この世に生まれ、親のせいで避けられずに受け継いだ病気を背負った子供たちだけれど、全く他の子供たちと変わらず元気に笑う。
昼過ぎより全員集合でクリスマスパーティー。
子供たちにはコーラとお菓子が配られ、食べ終わる頃に音楽スタート。
同時に子供たち、シスターたち、僕らは踊りだす。
びっくりするくらい小さい子供でも踊りがうまい。
そして、僕らに抱っこを求める。
子供二人を抱っこしながらのダンスはさすがにきつい。汗だくになりながらもひっきりなしに求めてくる子供たちの期待を裏切るわけには行かず、一瞬の父親になったつもりで抱きしめ、遊んだ。
みんなとこれ以上無い笑顔で踊り、歌っているのは本当に楽しかった。
久しぶりに「純粋」を感じた。

夜は次第に僕になれてきた子供たちに日本語を教えたり、簡単なゲームをしたり、小学生相手に本気の腕相撲で負けたり。
その間も、配られたお菓子をめぐって喧嘩している子供たちを友人は叱責していた。
彼は口では「3回死ね」とか言うものの愛情は深く、叱責できる彼の存在はものすごく大切で、子供たちも彼を嫌うことなく逆に心底慕っているんだなと思った。

再び来た寝苦しい夜を耐え、次の日は子供たちとおにごっこやサッカーをした。

幸い、ここはルサカから30分程度で行けるから、またすぐ来ると約束して僕は孤児院を後にした。

こんなにすがすがしく楽しんだクリスマスは初めてかもしれない。
日本でクリスマスに「キリスト」の名前を1回でも口に出す人がどれだけいるだろう。
街は人でごった返し、やれ恋人に高いプレゼントだのホテルだのってのが当たり前に一人歩きし、クリスマスという本来あるべきものが全くないんだなっていうのを実感した。
そしてそれがすごく異常で見当外れなことに見えた。
外にいるから感じられることなんだろうな。
Photo of Christmas In Kasisi

イヴ。

2004-12-24 05:04:28 | Weblog
明日はクリスマス。
日本では寒い夜空の下、輝かしいイルミネーションとクリスマスソングで幸せを感じている人や、外に一人で出にくい心病んでいる人がそれぞれのクリスマスを過ごしているでしょう。
昔は必ずといっていいほど悶々とした男だらけで集まり、麻雀大会という間違ったクリスマスを過ごしていた。
去年はインフルエンザにやられ、約束をしていた恋人と会えず、さびしい思いをさせてしまった。
今年も腹の調子が悪い。しかも「明石家サンタ」が見れない。
振り返ると、クリスマスに体調を壊す傾向にある。遺憾。
ザンビアは汗をかくほどの暑さも手伝って、雰囲気はあまりない。
ラジオでは賛美歌がながれ、ショッピングモールに行けばクリスマスソングの生演奏や、煌びやかな装飾があるくらい。

今年のクリスマスは明日から孤児院で過ごすことにした。
「Kasisi children's home」という、その関係では知られた孤児院がここから約30KMのところにあり、協力隊員の友人がボランティアで働いている。
250人程の孤児と親代わりのシスター達が共同生活をしている。
この日記の初めに書いたと思うけれど、僕の前任が帰国する空港に向かう直前に一度、一緒に訪ねたことがあって、彼らの別れの歌声で感動し涙を流した。
ずっとまた行きたいと思っていたけれど時間がとれないままだったので、今回、クリスマス会があるということで仲間に入れてもらおうと思った。

孤児院の子供たちの笑顔やたくさんの死を見てきた目を見たら胸が締め付けられる思いをするのは容易に想像がつく。
そこで僕なりの新しい考え方や、みんなに伝えられることを経験できたらいいと思う。

Happy Merry Chirstmas and God bless you☆
南半球ザンビア共和国より
Kasisi Children’s Home ホームページ

Where is Happy?

2004-12-23 17:23:42 | Weblog
昨日聞いた、本当にあった怖い話。

大使館ドライバーの一人は12月25日に生まれた。
キリスト教のこの国でこんなめでたい事はないと、彼の両親はその赤ちゃんに「Happy」と名づけた。
彼はすくすくと育ち、中学校へ進学した。
と、その入学手続きの際、校長先生が書類に彼の名前を「Happy」ではなく「Anthony」と書き間違えた。

それ以来、彼の名前は正式に「Anthony」になってしまった。

ザンビアらしい、ありえないけれど本当にあった怖い話。


現場へ!。

2004-12-22 04:28:14 | Weblog
体がだるい。
キャンプで雨に濡れたせいか、大きなイベントが終わって気持ちが緩んだせいか。

クリスマス、年末と体を壊すわけにはいかない。
そう思って早めに仕事を切り上げ、帰宅した。

そんな時に限って・・・
そんな時に限って、帰宅するや否や携帯がなった。
「ザンビア航空が墜落したらしいから空港に至急行ってくれ!」

風邪薬を飲もうとしたのに、眠くなっては運転も仕事もままならないのであえなく我慢した。
気が重かった。
邦人が乗っていないことを祈った。
同時に、クリスマスに向けてザンビアの家族に会いに来たであろう乗客とその家族のことを考えると辛かった。

空港に着くと、窓口はしまり、人がいない。
たまたま残っていた知り合いの職員に聞いてみた。
けれど、何も知らない。すべて問題なく着陸している。
大使館の方も情報が乏しく、詳細がわからない。
仕方なくしばらく待機。
ただ、この時もう大したことは無かったことがわかった。
10分後、連絡が入り、ルサカに来る前にチャーター機が不時着し、邦人、ケガ人はいないとの事だった。

惨事にならなくて本当によかった。