Jacarandaの木の下で

2004年〜2006年
ザンビア共和国での在外公館派遣員の記録

断水。

2005-09-27 04:14:33 | Weblog
大使館では先週初めからずっと断水が続いている。
水は井戸から引いた水と、水道局から供給される水を混ぜてタンクに入れ、そこからモーターを使って事務所屋上にある第二タンクに持っていき、後はその圧力で各蛇口からでる仕組みになっている。
今までも断水は珍しくなかったけれど、今回はあまりにひどい。
まずは水道局からの水が止まった。これは雨不足の影響と、水道局のシステム自体の故障が原因。
それが復旧したと思ったら、うちのモーターがいかれた。
何度も修理を重ねていつ爆発してもおかしくないような配線や、それに加えて、水が止まっている間にモーターが空回りしてたのが原因。
起こりうる全ての悪事が一度に起こり、現地職員と共になんとか復旧させようと努力しているが未だ回復せず。

断水が起こるとどうなるか。
まず、トイレが使えない。
今はタンクには水があるからそこからバケツでくみ出し、用をたすごとにそのバケツからトイレに水をくむ。あるいは、幸運なことに、大使館の目の前はインターコンチネンタルホテルがある。トイレに水をくむことを拒む上品な人はわざわざホテルに足を運んで用を足す。
次にお茶が飲めない。そして食器を洗えない。
これはまずいと最近は自宅から30リットルほどタンクで水を持参している。

とはいっても、こんなことはちょっと我慢すればなんとかなる。
一番の問題は、大使館脇にある現地職員宿舎は大使館のタンクから水を引いているため、そこが止まると4世帯に一滴たりとも水がいかない。
彼らは水を近くの外務省からもらってきている。
約一週間も限られた水で生活をしている。

水不足はここルサカに限ったことでなく、今年は雨不足のせいで全土に深刻な問題であって、それこそ地方に行くと、数キロ離れた井戸でさえ水が枯れている。
それに比べると、僕らは断然恵まれているので不平を言う資格は無い。
大使館脇に住む現地職員も早く復旧して欲しいとは言うが、地方の厳しい生活を経験しているため、あまり不平も言わず、普段は腹の立つのんびり態度や無気力なザンビア人気質が今回ばかりは良い方向に働いているように感じる。

明日には業者の手が入り、回復する見通しがついている。



新聞一面。

2005-09-21 07:39:17 | Weblog
今日のPOST紙の一面は衝撃的な記事と写真だった。

ある現地人教師が自殺を図ろうと、朝8時に約30メートルの鉄柱に登った。
すぐに発見され、警察や消防も出動。
そのまま8時間が過ぎる。その間、懸命の説得が続く。
はしごの長さが足りず届かない。炎天下のため、なんとか水を与えようとしたが彼は受け取らない。
下ではゴスペルを歌う群衆、マットを用意するものもいた。
苦肉の策として、紐をひっかけ、傾けて救出しようとしたそのとき、鉄柱は途中から折れ、マットを持っていた人間は驚いてマットを放り投げて逃げ、彼はそのまま
地面に叩きつけられ死亡した。

地面に落ちた瞬間の写真まで新聞に掲載されていたのは不愉快だった。

草の青さ、樹の強さ。

2005-09-21 07:02:09 | Weblog
いよいよ街道のジャカランダが満開に近づき、街を色づけている。
当たり前に咲いている花だけれど、彼らの語らない強さを感じる。
この国では乾季に入ると半年以上雨が降らない。ただ一滴も。
容赦ない陽の光に土は乾き、砂埃を上げる。
そんな環境をまるで知らないかのようにジャカランダは自信満々に咲き誇っている。
きっと自分が一番輝く時を知っているんだろうな。
どんな環境であっても、どんな条件であっても、一度根を張ったからには使命を全うする。
その強さや美しさはこの国の宝物だと思う。

2年生。

2005-09-15 08:00:37 | Weblog
今年もまたジャカランダが綺麗に咲いている。
なんだかんだで1年が過ぎ、ザンビア2年生になっちまったな。
振り返れば「あぁこんなもんか」の1年間。
何を得たか?う~ん、たくさんあるだろうし、大したことでもないかもしれない。
とりあえず、今は日焼けで顔の皮がぼろぼろ。ここに来て何回目かな。
朝の挨拶をニャンジャ語でするようにしていたら、最近はザンビア人が日本語でするようになってきた。館内では結構日本語が流行ってる。
車も運転できるようになったし、独り暮らしにもなれた。ソファーを部屋に入れたせいで、食事のあと少し横になると十中八九朝まで起きない。ブログが滞ってるのもそのせい。
そう、このブログのおかげで、みんなの近況もしれるし、知らないところで僕を知る人も増え、多少なりともアフリカを気にかける人が増えてくれたのも一つの進歩。
いわゆる「正社員」的な仕事もこれが初めてだし、随分慣れてしまったせいで先輩には「来た当時は可愛かったのに」と言われる始末。
この一年、国に慣れることと平行して現地職員との人間関係を構築するのには力を入れた。挨拶は当たり前のこと、誕生日には一人ひとりプレゼントを渡し、彼らの体調に気をかけ、できる範囲で相談に乗った。
一年である程度は「僕」という人間を知ってくれたと思う。
おかげで休暇から帰ったら必要以上に暖かく迎えてくれたし、誕生日には食事も抜くほどお金の無い現地職員が急いでプレゼントを買いに走ってくれたし、ザンビア一周年の寄せ書きまでもらった。こんなに嬉しいことはそうないよ。

次の一年、仕事内容はおおよそこの一年と変わらないけれど、もっと上手にこなしたい。で、ルーティーンワークだけじゃなく、現場に近いから思いつく改善や後回しにされがちなことをケアできたらなと思う。
家で眠ってるいつからあるのか分からない食べ物や冷蔵庫の中身なんかも整理しなくちゃな。いつか使うだろうと思ってためてきた使い古しの油ももういらないし。

こんなところに来なければ会えない人にもたくさん会った。
国会議員はどうでもいいとして、色んな形で国際協力をしている人がたくさんいることを知れたのはすごく貴重だと思う。
国際協力って一言じゃ言えないくらいやることが多くて、しかも効果や結果がすぐ見えるものじゃないからそれに注ぐエネルギーやモチベーションは中途半端じゃとうていできない。
同じくらいの歳の人間が青年協力隊員として自分の計画で現地の人間を育てているのは尊敬に値するし、刺激になる。
それぞれが違ったバックグラウンドを持って、色んな事をしてきたんだなって思うとボケーっと遊んできただけの自分が恥ずかしくもなる。
「選挙で首相がかったね。うれしい?」ってザンビア人に聞かれて「いや、特になんとも思わない」なんて返事すると「どうして?」なんて言われる。勉強不足だし、これと言った意見もないし、特に期待も無い。どれだけの日本国民が「小泉政権が続いたからあのねのね・・」なんて言えるか分からないけど、自分なりのビジョンを持たねばなと思ったりもする。

そんなわけで、あと一年。気が付いたら和民で軟骨から揚げ頼んでましたみたいな速さだろうけど、何はさておき健康で突っ走っていこう。
結局誰も僕を訪ねてこようとしないけれど、みんなにとってもアフリカで生活できるチャンスがあるのはきっとぼくのいる後1年です。迷う一歩がたくさんの道を開いてくれるよ。

だいぶぐぅたらになってきたけど、これからもよろしく。

旅日記の続きは気が向いたら書きます。

夏休み。

2005-09-05 07:17:07 | Weblog
1ヶ月近くもさぼってる。
明日から夏休みをとって、車で国境を渡りジンバブエ側のカリバ湖で2泊3日のバカンスしてきます。おいおい、休みすぎじゃあないですかと言われそうですが、ルールですのですいません。
帰ってきたら今度こそ旅日記の続きを書くのだ。