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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

写真が作るもの~その9 東京都写真美術館

2011年06月23日 | ぐるっとパス
泉谷しげる イメージの詩

コレクション展「こどもの情景-戦争とこどもたち」
2011年5月14日 ( 土 ) ~ 7月10日 ( 日 )
東京都写真美術館
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1349.html

ベッティナ・ランスの展示と一緒に見てきました。
そちらの感想にも書きましたが、ふたつの展示のギャップが大きかったのが印象的でした。
同じ建物なのに客層も全然違う。
戦争と子供というくくりはある意味反則です。
見ていて心を揺さぶられない訳がありません。
今度の大地震と津波の後も子供たちの映像は数限りなく登場しています。
とはいえ、学校に通う困難さや親と離ればなれの生活といったものはクローズアップされても、今の環境は子供達にとって安心なのか、これからのプランなんてものにはほとんど触れてませんけど。

この展示には戦中、戦後の子供達の様子が映し出されていますが、いかにも子供らしい顔をした子供が登場するのは戦後の作品に多かった気がします。
私は自分がこんなに子供らしい子供だった記憶がない。
いかにも「たくましく戦後の混乱期を生き抜く」というキャプションがぴったりな写真を見ていると不安になってくる。
今回の展示にはユージン・スミスの有名な子供の写真も展示されているが、その写真だって、あまりにも見事に作られた世界に冷める部分がある。
数多くの写真を見るうちに、自分には、いかにも土門拳的な子供の写真に抵抗があることが分かった。
キャパやスミスの写真は戦争に隠れている真実の一端を見せてくれたかもしれないが、そのインパクトが強すぎてずいぶん多くの真実を隠してしまったのも事実という気がする。
写真や映像の怖さですね。
ということで、子供の写真をたくさん見ているうちに、そこに潜んだ怖さをたっぷり実感させてくれる興味深い展示でした。

そうした作品の中、影山光洋の家族が写った写真になぜかほっとしました。
「芋っ子ヨッチャンの一生」の衝撃は未だに忘れられません。(ひ)



みるみるうちに~その8 練馬区立美術館

2011年06月22日 | ぐるっとパス
core of bells × 小林耕平 『PRECIOUS TIME ONLY YOU』 予告_01

PLATFORM2011
浜田涼・小林耕平・鮫島大輔-距離をはかる-
4月16日(土曜)~5月29日(日曜)
練馬区立美術館

いつも行っている練馬区立美術館ですが、今年度からぐるっとパスに参加しています。
ここは無料の展示も多いので、パスの有効期限にちゃんと有料展示を見るには注意が必要です。
今回の展示は思い切り現代美術。
一番誰にでも取っつきやすそうなのは鮫島大輔かな。
横尾忠則のY字路シリーズを思わす町の風景を描いた作品が並んでいますが、描かれているのは平面だけでなく、球体だったりもします。
http://www.geocities.jp/samehadakeikaku/sinnews.html

整備された個性のない町の光景には、球体ならではの歪みが生じている。
平面の作品も含めて、まったく奇をてらうことなく写実的に描かれた光景の中に潜む違和感が面白い。
作品として完成されすぎている球体よりも、平面の作品が個人的には好きでした。

浜田涼の作品は写真だが、何が写っているか分かるようで分からない。
http://www.hamadaryo.com/

ずらっと並んでいるのはピンぼけの写真ばかり。
目の端で一瞬見た光景とでもいうんでしょうか。
普段ボーッと歩いている私は多分、町の景色や人の顔をこんな感じで捉えている。
ぼんやりとした景色や人の顔に自分のイメージを加えて勝手に認識しているのだ。
何かのきっかけで、もう一度、その光景や人の顔を見るとまったく最初のイメージと違っているのでビックリすることが多い。
人間は普通に物を見ているだけで創作しているということなのだ。
そう考えると、鮫島大輔の絵画に感じる違和感は自分の創作を邪魔されることに対する違和感だったのだろうか、なんて思ったりして。

ともかく、ピンぼけの写真を見ることで、お客の方が創作を強いられることになる。
芸術がすでに展開されている作品ではなくて、これから芸術が始まる作品。

小林耕平は映像作品が中心。
何かが起こりそうで起こらない、でも何かが実は起こっていそうな映像をずいぶん長いこと見てしまいました。

core of bellsとのライブで使ったと思われる展示もありました。
どんなものだったか見たかったなあ。
こういうのは見ているより、やってみた方が面白い展示なんでしょう、やっぱり。(ひ)


昭和の昔、平成の昔~その6 科学技術館 その7 昭和館

2011年06月21日 | ぐるっとパス
国が違うとプロパガンダも

科学技術館
http://www.jsf.or.jp/

工芸館の後は食事がてら科学技術館に寄りました。
70年代チックな建物と展示が特徴的だった科学技術館も少しずつあか抜けて(?)きました。
シンラドームというスペースでは科学ライブショーの他、ドーム投影番組もあるそうです。
残念ながら予約でいっぱいになっていたので映像は見られませんでしたけど。
山口晃の漫画を読んで、地下の食堂でお昼を食べて帰りました。
地下の食堂は「ザ・スペース」という名前がついているそうで、こんな新メニューを作ったそうです。
http://www.jsf.or.jp/info/2010/12/post_337.php

なぜ昼食にブラックホール?
がんばる方向を間違っていないだろうか、科学技術館、と心配です。

昭和館
http://www.showakan.go.jp/

ポスターに見る戦中・戦後
【第2期:商業広告・文化催事を中心として】
4月19日(火)~5月15日(日)
昭和館3階 特別企画展会場
http://www.showakan.go.jp/

ついでにもう一箇所まとめて書きます。
この日は都営線一日券を使ったので、この施設のすぐ近く九段下から帰ったため、ここにも寄ったのです。

常設展示の方は前回とほとんど変わらず。
無料で借りられる音声ガイドを使いつつまわりましたが、ガイドのある部分が多すぎて、今回も2,3割しか聞いていません。
解説が長いと待ちきれませんね、どうも。

特別展示はポスターの展示。
常設展示の雑誌の広告もそうですが、戦中は普通の商品の広告まで戦争のことを織り込んでいる。
今やたらに、地震と津波に関するコメントや「がんばろう日本」のようなメッセージを入れるチラシ、CMが多いのと変わらない気がする。
結局、報道や企業は世の流れにのった方が得としか考えていなくて、それが加速された恐ろしい状態になっている。
筒井康隆の実験的な小説で、最後に世界は渦に呑まれたようになって無くなってしまうというのがありましたが、確かにそうやって世の中は滅びていくんだろう、という気がします。

宣伝している商品も古いし、広告のデザインもレトロですが、そういう根本的な問題は戦時中とまったく変わっていないんだなあ、という哀しい結論に至りました。(ひ)


ニック・ロウには見せられない~その5 東京国立近代美術館工芸館

2011年06月17日 | ぐるっとパス
他の作品の工程も見てみたい

ガラス★高橋禎彦展
TAKAHASHI YOSHIHIKO GOES TO THE GLASS
2011年3月1日(火)-5月8日(日)
東京国立近代美術館 工芸館
http://www.momat.go.jp/CG/takahashi2011/index.html

つづいて工芸館に行くというのも定番のコースです。
途中で国立公文書館に寄ろうかと思ったのですが、残念ながら休み。
諦めて、工芸館に入りました。
近代美術館とは思えない(失礼)オシャレな作品が並んでいました。
一見普通のガラス製品に見えるものも、よく見ると使い勝手の悪そうな、でも見ているだけで楽しくて手に触れてみたくなるようなものばかり。
http://panorama-index.jp/takahashi_yoshihiko/exhibition/?pSctay_ex_001

どこか倉俣史朗の作品を連想させます。
すごく柔らかそうなカーブを描くガラス作品を作るのは大変なようですが、その辺の分かりやすい展示がないのは残念。
たまにはここでも映像作品を見せて欲しい。

ガラスの無機質さや透明さ故なのでしょうか。
工芸館の床の間に置かれている作品もそれほど違和感なし。
展示室によって、光の当たり方が違って、ガラスケースに作品が反射するのが面白かった。
ガラスケースというのは大抵邪魔なものですが、こういう展示の場合、作品の一部になるんですね、面白い。
ケースに入っていない作品はぐるっと360度から見ることのできるものもあるました。
小さな作品が多いので、間違って倒したりしたら大変だ、と気になりつつ、いろんな角度から拝見しました。

明日から「普通に使える」コップを販売するみたいです。
http://panorama-index.jp/images/exhibition/tay/cop_ya_takahashi_yoshihiko_map.pdf

ほぼ日がかんでいるんじゃ混みそうですね。
いいコップを使ってみたい気はするけど、洗うのが怖い。
全部が親指の人間なので。(ひ)


無の存在~その4 東京国立近代美術館

2011年06月16日 | ぐるっとパス
中村宏トークイベントvol.1 於:練馬区立美術館

所蔵作品展 近代日本の美術
特集:草土社の作家にとっての〈草〉と〈土〉
テーマで歩こう:マチエール(画肌)の魅力
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20110222.html

空虚の形態学
Morphology of Emptiness
http://www.momat.go.jp/Honkan/Morphology_of_Emptiness/index.html

2011年2月22日(火)-5月8日(日)
東京国立近代美術館

ゴールデンウィーク終盤に行ってきました。
岡本太郎の企画展が終わりに近くて、かなり混雑してました。
外にぐるっと列が出来ているのを見るのは「ゴッホ展」以来?
藤田のときもそうだったかな?
私は岡本太郎を見ずに常設展だけだったので並ばずに、すぐ入れました。
テレビや新聞、雑誌でやたらに岡本太郎を取り上げているので、今回は見なくていいか、という気になりました。
数年前、写真美術館や世田谷美術館で企画展があったときは全然混まなかったのに、みんなマスコミに踊らされるもんだなあ、まあ、がんばって並んでよ、と冷ややかに見つめたりして。

ここは常設展示だけでもたっぷり見るものがあるので十二分に楽しめました。
「空虚の形態学」という展示はいかにも近代美術館らしいものでした。
企画展でも見た河口龍夫の中身がまったく見えない「無-発生」は府中市美術館で見た若林奮の「地下のデイジー」に近いものにも思えますが、こちらの場合は閉塞感がすごい。
封じ込めることで無の状態を生産する。
確認仕様のない観念が具体的に目の前に存在している訳です。

その若林奮の作品も展示されていました。
結構な数の若林奮の作品が近代美術館に寄贈されているようです。
手の輪郭や線の浮き上がった絵はどこかウィリアム・ケントリッジの作品を連想させます。
これもまた重苦しい。

見えないものを具体的に捕らえようとすると多くの作品が重苦しく密度の高いものになっているのが興味深い。
目の前にないものを捕らえようという行為自体に無理があるからなのでしょうか。
それとも無というものには、そういう重さがあるものなんでしょうか。

常設展示では中村宏のアーティストトークの映像があったのでじっくり見てきました。
といっても時間が経って内容を大分忘れてしまっているんですが、作品中に登場するセーラー服の女性や、絵画とデザインの仕事の違いなんていうものだった気がします。
混沌としたシュールな作品を、シンプルに分かりやすく話すギャップが印象的でした。

版画ではやっぱり浜田知明。
http://www.hirogallery.com/ASongofLove1957.html

このところずっと惹かれています。
シュールなのに不思議な哀愁を帯びた浜田知明の作品にはなんともいえない魅力があります。
もう少しまとめて作品を見てみたい。
かなりヘビーなものにはなるでしょうが。(ひ)








踊る線~その3 武蔵野市立吉祥寺美術館

2011年06月15日 | ぐるっとパス
SUIBOKU SPACE ~然(ZEN)~

うたう色・あそぶ線 山喜多二郎太展
2011年4月2日(土)~5月15日(日)
武蔵野市立吉祥寺美術館
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/

三鷹と吉祥寺はほぼセットでまわることになっていて、今回もその例にならいました。
どちらもいい展示だったので嬉しい。

山喜多二郎太という、ちょっと長い名前の画家の作品は初めて見ました。
東京美術学校の西洋画科の出身らしい、きっちりとした油彩画が最初に展示されていますが、その後の変化に驚きました。
ヨーロッパで西洋画を学ぶ者が多い中、あえて中国に行って水墨画のような作品を描くようになったというひねくれ者だったそうです。
その後、戦争が激化して画家も戦争画を描き従軍する状況の中、健康を理由に従軍を断り、牧歌的な農家の絵を描いて、戦争画がテーマの展覧会に出品しているというのですから、すごい。
http://www.miropress.net/Jirota%20Yamakita

こんな人は従軍していたら大変だったでしょうね。
というか、よく従軍せずに済んだなあ。
その後ずっと出身地福岡で作品を描き続けていましたが、50年に吉祥寺に出てきた頃から、だんだん作品が抽象画的になっていく。
風景画や人物画の中に抽象画的な雰囲気がどんどん強まっているのが分かります。
というと、少し前に見た牛島憲之を連想したりしますが、作品の雰囲気はかなり違いました。
山喜多二郎太は風景の中に潜む音楽的な要素を抽出しているとでもいうんでしょうか。
水墨画の影響を受けているためかどうかは分かりませんが、どの作品もすごくリズミカル。
晩年、作品が抽象的になっていけばいくほど、その要素はますます強まっていきます。
牛島憲之の作品のような郷愁といったものはなく、湿度のないカラッとした絵という印象です。
そういう意味では水墨画の影響を受けた作品を描いている時代からブレていないということかもしれません。

それにしても、こんなに自由な野放図な生き方をした人の暮らしぶりがとても気になります。
詳しい伝記が出たらぜひ読みたい。(ひ)


ガガーリンの夢~その2 三鷹市美術ギャラリー

2011年06月13日 | ぐるっとパス
Louis Philippe - With and Without You これはA面2曲目

ドーミエとグランヴィル~戯画と挿絵の黄金時代~
2011年 4月16日(土)~5月29日(日)
三鷹市美術ギャラリー
http://mitaka.jpn.org/ticket/110416g/

練馬につづいてグランヴィルを見ることができました。
今回は伊丹市立美術館、町田市国際版画美術館蔵の作品が多かったようです。
グランヴィルを見るのが2度目ということもあるのかもしれませんが、今回の展示は解説がかなり分かりやすかった気がします。
なぜ、この人は梨の形に描かれているのか、鴉なのか、といった、当時の世相が分かっていないと、ピンとこない部分も細かく説明されていました。
グランヴィル作品がそう多くなく、ドーミエの作品が多かったのも分かりやすかった理由なんでしょうね。
幻想的な味わいのあるグランヴィルの作品と違ってドーミエの方はストレートに風刺を行っている作品が多い。
雑誌としてはいろんな作品が載っている方がいろんな読者を捕まえられてよかったんでしょうが、今の時代に見ると、グランヴィルがやっぱり面白い。
特定の相手に狙いを定めて的確に批判するドーミエに対して、グランヴィルの方は批評の半歩先まで進んでいるために、見ているこちらまで批評の対象にされているような気がしてきます。
私たちは搾取されている庶民だと安心して批判なんかさせない凄みというんでしょうか。
だって、権力者以外も動物やバケモノなのですから。

とドーミエに批判的なことを書くのは簡単ですが、問題は版画にしても文章にしても、批評を書く際は単なる批判以上の魅力が文章にないと意味がないということですね。
そんな文章が書けるようにならないといけないなあ、と反省しています。

ところで、ドーミエとグランヴィルに批評されまくっていた梨に見立てられたルイ・フィリップ国王の名前を聞くとエル・レコードにいたミュージシャン、ルイ・フィリップを思い出します。
You marry youという12インチを持ってましたが、あのタイトルはどういう意味だったんだろう。
ジャケットもすごかったけど(大昔、渋谷のシスコでジャケ買いしました)。(ひ)


府中から始まる約60日間~その1 府中市美術館

2011年06月09日 | ぐるっとパス
恐怖劇場・アンバランス 即身仏だけでなく、蜷川幸雄や唐十郎や野坂昭如も登場

江戸の人物画 姿の美、力、奇
平成23年3月25日(金曜日)~5月8日(日曜日)
府中市美術館
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/jinbutsu/index.html

4月末に見に行ったので結構前の話ですが、ぐるっとパスを使って行った美術館の記録を書いていきます。
始めたのが4月末なので有効期限は残り半月くらい。
府中市美術館はたいして割引きにならないのですが、この展示がどうしても見たかったので最初に行きました。

昨年は同じ時代の風景画もしくは風景画的要素を持つ作品の特集だったと思いますが、今年は人物画。
昨年にまけないすばらしい企画展でした。
人物が中心に描かれているものというユルイ括りなのでいろんな作品が脈絡無くずらっと並んでいます。
休み中ということもあって結構混んでましたねえ。
どこかの大学生の集団と思しき女性たちがたくさんいて、作品の前でメモをかなりとっているのには困りましたけど。
メモをとるときは作品の前から外れて他の人の迷惑にならないようにするのが最低限のマナーだと思うんですがねえ。
結構、作品が見られず、困っている人が多かったなあ。
作品解説の文章を全部写しているんでしょうか、自分の感想を書き連ねているのか。
もはや作品にさえ大して目もくれず、ひたすら書くのみ。
授業の課題でレポートでも書くんでしょうか。
鬱陶しかったなあ。
イヤホンガイドを聞きながら、作品前に仁王立ちしている人と同じくらい嫌だ。
常に背後の状況を考えて見るようにしないといいディフェンダーになれませんよ。

とマイナス面もあったものの、作品自体はすばらしいものばかりでした。
若冲の「付喪神図」は人物画とはいえない、妖怪になった道具たちの絵です。
http://www.shinise.ne.jp/benrido/item/12039/

「付喪神」は「つくも」と読んで本来は「九十九」と書くそうです。
百年使い続けると、ものに命が宿り、妖怪になるという言い伝え。
大事に使って、きちんと供養してやると、おとなしくしていてくれるし、ひどい扱いをすると大変に目に遭わされるということだそうです。
ものを大切につかう教えですが、若冲の付喪神はどっちなんだろう。
おとなしそうにも見えるけど、いたずらしようとたくらんでいるようにも見える。
まっ暗な中に月明かりで浮かび上がったような妖怪たちの姿が妙にリアル。

円山応挙の「波上白骨座禅図」は森美術館で一度見ていますが、やはり異様さが際だっています。
http://museum.daijyoji.or.jp/03mokuro/03_02/03_02_05.html

座禅を組んでいる骨のリアルさが、どうしても「即身仏」を連想させます。
「木乃伊の恋」という、成仏しそこなった僧侶のミイラが煩悩の趣くまま大暴れする話もなぜか思い出しました。

他にも曾我蕭白、蘆雪、仙と見所だらけの展示でした。
人物画といっても、歴史上の人物や実在しない人物(や妖怪? )が多くて、描かれている内容もヴァラエティにとんでいます。
もう少し時系列や作風によって整理すると、日本の人物画の歴史の一端も見えてきたのではないか、という気もします。
今後、そんな展示もあったりして。
期待しましょう。

常設展示の若林奮も印象に残りました。
「鉄によって彫刻をつくるのではなく、彫刻によって鉄をつくる」と表現されるアーティストの作品が美術館を出てすぐのところに展示されています。
「地下のデイジー」はまるで花のように地下に根をはっています。
http://genki365.net/gnkf04/pub/sheet.php?id=940

大泉学園にある大岩オスカールの作品と何か近いものを感じます。
あの作品が今どんな感じになっているのか見に行きたくなりました。(ひ)

村田朋泰「スプライシング」

2010年11月20日 | ぐるっとパス
村田朋泰「スプライシング」
2010年10月2日(土)~31日(日)
NADiff a/p/a/r/t
http://www.nadiff.com/news/murata_gallery.html

十月の雨の日に行ってきました。
寒い雨の日に村田朋泰は体に凍みますねえ。
今回の展示は以前も見た「故き森の絵本」の映像が建物に入ってすぐにあったかと思うと、おなじみの「百色旅館ジュークボックス」がその先にあります。
自由にボタンを押して映像が見られるようになっていたので少し見てから地下一階へ。
「スプライシング(splicing)/すずらん理容店」という作品は実在した理容店が閉店になったことに刺激され作った、その店のミニチュア。
実際には利用したことがなくても、というか利用していないからこそ、その建物がなくなったとき、自分の中で意外な存在感をもっていたことに気づくというのはよくあることです。
壁の色や窓の形や屋根の雰囲気なんてものが通りの印象を決める重要な要素になっていたり、そこを通るときのこちらの気持ちまで左右したりします。
個人的に意外なのは、そういうものの精巧なミニチュアを作ったと言うこと。
ノスタルジーに浸るというのでも、建物の何かを再現するというのでもなく、まったく新たなものが作品としてできあがっている気がします。
トイレ前にあった「スプライシング(splicing)/朱の路(2002-2010)」という一転して抽象的な作品を見ながら、これから村田朋泰がどういう方向に進むのか、いろんな意味で気になってきました。

またしてもガチャガチャがあったのでやってきましたが、今度もはずれの4等。
これでクリアファイルが4枚になりました。(ひ)



完結編

2010年11月12日 | ぐるっとパス
フォルマント兄弟の都々逸

○34 ブリヂストン美術館 セーヌの流れに沿ってー印象派と日本人画家たちの旅
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

ぐるっとパス有効期間中の最後の週末ということで、この日が今回の最終編。
まずはぜひ見ておきたかったブリヂストン美術館から。
この日はこの界隈でイベントをやっていたため、いつもの無料バスも走っていませんでした。
会期早々なのに結構お客さんがいたのは、そのせいもあったんでしょうが、展示の充実振りも理由のひとつだったんでしょう。
ここの企画展はせいぜい1、2室の特集で、残りは常設展示ということが多いのに、今回は一部の常設展示以外はほぼ企画展示。
しかも、日本のいろんな美術館が所蔵する作品がほとんど。
なんだ、この力のいれようは。
1500円とってもおかしくないレベル。
セーヌ川を描いた風景画が洋邦問わずこれでもか、というくらい登場します。
川島理一郎の独特の味わいがある作品をアンリ・ルソーと一緒に見られるというのは嬉しいものです。

○35 NTTインターコミュニケーション・センター[ICC] みえないちから
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Vibrations_of_Entities/index_j.html

前回きたときチケットを使わなくてよかった。
有効期間ギリギリで企画展を見ることができました。
展示の中では「フォルマント兄弟のお化け屋敷」がお勧め。
体験もので見るのに予約がいるんですが、待つだけの甲斐は十分あります。
ここでは無料で映像を見たりできるんですから、時間の余裕さえあれば退屈することもありませんし。
待っている間に見たのは例によってビル・ヴィオラ。
今回は30分ほど待ち時間があったのでPalm Trees on the Moonという作品。
これが意外なほどまっとうなドキュメンタリー作品でびっくり。
古い文明の残る小さな島(というのがどこか忘れましたが)での儀式の様子と、そんなところにまで西洋文明がはっきりと入っていることの驚きを描いています。
この作品には儀式(というより祭り? )で音楽が演奏されるのですが、ビル・ヴィオラの作品はほとんど音が使われていないものでも、ひどく音楽的だなあと実感しました。
よけいなBGMや効果音をいれないことによって生まれる音楽性にだんだん惹かれています。

「フォルマント兄弟のお化け屋敷」をその後見たのですが、こういうのは自分で体験するに限るので内容については話さずにおきます。


そんな訳で今回のぐるっとパスはここまで。
八王子や小平や石洞美術館に行けなかったのが残念ですが、かなり満足のいく感じで回れました。
大分無駄なく効率的に回れるようになってきましたが、いまだに難しいのは一日乗車券の使い方ですね。
今回も一度しか使わず一枚余らせてしまった。
年度内だから無駄なく使わないと。(ひ)