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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

あたりしかないくじ~その12 ちひろ美術館・東京

2011年11月17日 | ぐるっとパス
谷川俊太郎ライブ「ことばあそびうた」

谷川俊太郎と絵本の仲間たち
-堀内誠一・長新太・和田誠-
2011年10月26日(水)~2012年1月29日(日)
ちひろ美術館・東京
http://www.chihiro.jp/tokyo/museum/schedule/2011/0131_0000.html

いつ頃どこに出掛けたのか憶えていないので、適当な順番で感想を書いています。
今日はちひろ美術館。
谷川俊太郎を、彼の本に絵を描いている堀内誠一・長新太・和田誠とともに見ていく企画展。
なるほど、これなら美術館で谷川俊太郎を特集しても違和感がない。
質、両共に他の追随を許さない活躍をしている和田誠や長新太の絵は今までにたくさん見てきましたが、堀内誠一の絵はあまり見てこなかったようですごく新鮮でした。
どの絵を見てもとにかくおしゃれで洗練されている。
「マザーグース」は和田誠の絵の方しか見たことがありませんでしたが、まったく違うものですねえ(って、当たり前か)。
安定感を感じる和田誠の絵に比べて、堀内誠一の方は生き生きした動きがある。

谷川俊太郎の作品はそれなりに読んできたつもりですが、絵本はほとんど読んでいなかったので、内容の幅広さに驚きました。
「わたし」という、自分と人の関係を次々に挙げていく作品は、いかにも詩人谷川俊太郎という作品でよかった。
http://www.ehonnavi.net/ehon/1762/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97/

映像作品を上映している一角もあって、「これはのみのぴこ」の朗読を聞くことができます。
どんどん長くなっていく詩の朗読は大変ですが、さすが作者、ちゃんと一息で読み切るものですね。

ミュージアムショップに「俊みくじ」なるものが置いてあります。
http://www.chihiro.jp/blog/tokyo/1746

運が良ければグッズやチケットも当たるそうですが、単なるくじではなく、ひいた番号に応じて谷川俊太郎の言葉をいただけるというもの。
詩人の言葉を100円でもらえるなんて太っ腹。
当然、私もひいてきましたが、どういう言葉だったかは内緒です。
ありがたい気がするので、定期入れの中にそっと忍ばせています。
12月11日は展示が無料で見られるそうなので、そのときに行って一枚ひくのも良いかもしれません。
まだ、くじが残っているかどうか分かりませんが。(ひ)

そこはかとない~その10、11 三鷹市美術ギャラリー 井の頭自然文化園

2011年11月16日 | ぐるっとパス
ニャンニャンカーニバル

谷川晃一展 ~南の庭のアトリエより~
三鷹市美術ギャラリー
2011年9月3日(土)-10月23日(日)
http://mitaka.jpn.org/ticket/110903g/

三鷹と吉祥寺に行ってきました。
いつもなら三鷹市美術ギャラリーと吉祥寺美術館という組み合わせなんですが、ちょうど展示のない期間だったのでめずらしく井の頭公園に寄ってみました。
先に行った三鷹の方は谷川晃一展。
絵本を数多く出していることでも知られている人だそうで、谷川晃一という名前はまったく認識していませんでしたが、確かにこの絵は何度も見ている。
明るい色のシンプルな線で描かれた動物や物体は一度見ると忘れられない。
普通の絵本と違って、ちょっと異様な感じというか、気味の悪さのようなものがあるのが特徴でしょうか。
どの作品も「可愛い」では終わらない後味があります。
ちょっとイラッとくる感もあるし。

「芸術は難しくなんかない、誰にでも絵は描けるんだ、いろんなものが作れるんだ、ただ難しく考え過ぎているだけなんだ」

とおっしゃっているようですが、作品を見た方はしばらく釘付けになって、いろいろと考えさせられてしまう。
そんな単純に描いてないですよね、絶対。
なぜかTerry Johnsonを連想してしました。
昔、ヘタウマと呼ばれるイラストレーターや漫画家がいろいろいましたが、湯村輝彦の絵の不安感を煽る絵は他の人たちとは一線を画していた気がします。

シンプルだけど難解な作品でした。

久しぶりに行った井の頭公園は、なぜか動物がみんな休憩モード。
リス園のリスも走っているものは少なかったし、ケンカばかりしている猿もおとなしい。
時間帯の問題なのか、陽気のよさのせいなのか。
「大人のためのじっくりリス観察」なんてイベントが今度あるそうですが、動物の行動をじっくり一日見ているというのも贅沢ですね。
リスの方も警戒しそうですが。(ひ)


競演とまではいかなくても~その9 ニューオータニ美術館

2011年11月15日 | ぐるっとパス
36 Vistas da Torre Eiffel

北斎とリヴィエール 三十六景の競演
ニューオータニ美術館
2011年9月3日(土)-10月10日(日)
http://www.newotani.co.jp/group/museum/exhibition/201109_hokusai/index.html

北斎の『冨嶽三十六景』とアンリ・リヴィエール『エッフェル塔三十六景』を同時に展示するという興味深いものでした。
確かに『エッフェル塔三十六景』の展示を見たら、元となる『冨嶽三十六景』も見たくなります。
アンリ・リヴィエールの作品を見るのは多分初めてじゃないかと思うんですが、柔らかく優しいタッチからは北斎というより、川瀬巴水のような新版画に近いものを感じました。
『冨嶽三十六景』に自然の雄大さと異様さが描かれているとすると、『エッフェル塔三十六景』の方は突如パリに作られていった異様な建築物の造形を楽しんでいるところがある気がします。
私のような素人でも、迫力や完成度では比べても仕方ない差があるように思えます。

リヴィエールの作品はどの程度、実際の風景を描いているんでしょうか。
エッフェル塔の使い方が面白くて、建築現場の様子を描いた作品はタワーから周りの光景を見た構図になっているので、どこにエッフェル塔があるのかちょっと分からない。
それにしても、この版画に描かれているくらい、周りに高い建物がない状態だったら、エッフェル塔は相当目立つ建物だったんでしょうね。
今の時代になっては、富士山やスカイツリーを使っても、三十六景描くのは大変です。

北斎の『冨嶽三十六景』は何度か見ているはずですが、どこの美術館のもっているものがいい刷りだなんてことは当然ながら分かりませんでした。
一度、素人にも分かるように、有名なひとつの作品をたくさん集めて刷りや状態の良し悪しの見方を解説してくれるといいんですが。
でも、悪い作品といわれるのは、どの美術館にとっても嫌ですよね、そりゃあ。(ひ)

ドンとまとめて~その6、7、8 科学技術館、東京国立近代美術館、昭和館

2011年11月10日 | ぐるっとパス
Italian Futurism Tribute

レオ・ルビンファイン
傷ついた街
東京国立近代美術館 ギャラリー4
2011年8月12日(金)~10月23日(日)
http://www.momat.go.jp/Honkan/leo_rubinfien/index.html

所蔵作品展「近代日本の美術」
東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー
2011.8.6-10.23
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20110806.html

少しまとめて感想を書きます。
この日はこの3箇所と国立公文書館に行ってきました。
まず最初に行ったのが国立近代美術館。
企画展のイケムラレイコの方は後日、ぐるっとパスを使わず行ってきたので、また改めて感想を書きます。

常設展示では神原泰の特集がありました。
まったく知らない人でしたが、大正時代に日本最初の抽象画といわれる作品を発表した人物だそうです。
岡本太郎も連想させるポップで(といっていいのかな? )いかにも未来派という雰囲気の作品が印象に残りました。
詩人、評論家としても活動していたそうで、絵の隣に詩も展示されている。
画家として活動していた時期はそう長くなかったようです。
古賀春江も同時期、彼と一緒に活動していたようですが、シュルレアリスムの絵画を追求していった古賀春江のような人、神原泰のように絵画以外の分野に進んでいった人はそれぞれ少なくなかったようです。
より自由な絵画を描こうとして、絵画から離れていく人と、絵画の世界を追求していく方向に進んでいく人との差はなんなのでしょう。

「レオ・ルビンファイン 傷ついた街」は9.11以降の世界数カ所の都市の人びとの様子を撮影したもの。
時間も場所も少し括りが大きすぎて強引じゃないかという感想を正直、持ちました。
9.11テロは確かに衝撃的な事件でしたが、その影響を写真に撮ろうとすると、いかにもそんな解釈が出来そうな写真を作為的に選び出すだけの行為になるんじゃないかという疑問がわきました。
それじゃあ、自分たちにとって都合のいい街頭インタビューを多く流し、多くの庶民の意見にすり替えるTVニュースと変わりがない。
なんだか、こうした「作為の真実」にうんざりな日々を送っているので、一切選ばない大量の写真の展示でもしてくれない限り、こういう展示にリアルさは感じられない。
毎年、同じ町の同じ撮影ポイントからの写真を定点観測のように撮り続けて、その変化を見せてくれれば、ちょっとは納得しましたが。
しばらく前に、近代美術館で見た、都市の至るところにある、監視カメラを写した作品の方が感慨深かったなあ。

近代美術館を後にしてからは、科学技術館で昼食。
ここは食事のできるスペースが広くていいんですが、ただいま一部工事中。
この1、2年、公共施設の修理が多いなあ。
戦後建てられた、いろんな施設にそろそろガタがきている時期というのは本当みたいだなあ、と実感。
国立公文書館に入った後は、昭和館に行きました。
歩いていくにはちょっと時間がかかりますが、まあ運動だと思って我慢。
途中、横を通った武道館では踊りかなにかの大きなイベントをやっているようで、タクシーがずらっと並んでいました。
ここの常設展示には特に変化がないのですが、最後にアンケートにこたえるとクリアファイルをもらえるのがちょっと嬉しかったりします。(ひ)


のりこえるの人~その5 東京国立近代美術館フィルムセンター

2011年11月08日 | ぐるっとパス
なるほど
映画女優 香川京子
2011年9月13日(火)~12月25日(日)
東京国立近代美術館フィルムセンター 展示室(企画展)
http://www.momat.go.jp/FC/KAGAWAKYOKO/index.html

ブリヂストンが6時閉館になってしまったのですが、ここは6時30分までやっていてくれるので助かります。
夏と冬の電力需要が多い時期ならともかく、春と秋は長めに開館してくれるといいのに、美術館は。
そんな訳でフィルムセンターはがんばっています。
今回、また常設展示がちょっとリニューアルされてました。
もっと他の場面が見たいと嘆いたことのある「狂つた一頁」は違う場面を上映していたし、今まで見たことのない映画の映像もありました。
例のペンギンを蹴り倒すシーンもちゃんと見ることができましたしね。
地味だからといって、ぐるっとパスを買っても、ここにこないというのはもったいないですよ。

今回の企画展は香川京子でした。
香川京子のでている映画って何を見ただろう。
と思って調べてみると、「東京物語」、「天国と地獄」、「まあだだよ」とか、そこそこ見てました。
あんまり印象が残ってないです、正直言って。
結婚後、女優業を休養してから、復帰しているんですが、そのタイミングが五社協定に触れない時期だったそうで、フリーでいろんな会社の映画に出ています。
真面目で品のい女性の役がすぐにイメージされますが、谷崎の「猫と庄造と二人のをんな」に出ていたり、なんていう意外な役もやっているんですね。
自分からかけ離れた悪女の役だったので苦労した、という感想が書かれていました。
今回の展示は香川京子から寄贈されたものの展示が多く、本人の解説付きになっているのも見所。
映画撮影中の貴重な写真もあります。
数々の巨匠と呼ばれる監督達の映画に出ていますが、どの監督のときが大変だったか、なんてことまで書かれている。
サラッと書かれていますが、これは嫌だったんだろうなあ、という本音が見えてくる文章で、読んでいて楽しい。
まあ、今だからこそ言えることなんでしょうけど。

しかし、こうやって昔の日本映画に関する展示を見ていると、やっぱり監督の名前が一番に出てくるものだなあ、と今更ながら思いました。
今の日本映画は監督の名前が浮かぶものが割と少ないですね。
作者の分からない小説を読むような感じだな。(ひ)



タイミングがものをいう~その4 府中市美術館

2011年11月04日 | ぐるっとパス
神秘の画家 モロー&ルドン(1/8)

世紀末、美のかたち
9月17日~11月23日
府中市美術館
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/seikimatsu/index.html

土曜なのにずいぶん空いてるなあ、と思ったら、翌日が無料観覧日でした。
府中市美術館はぐるっとパスだと割引きだけなので、明日来ればよかったかなあ、と後悔。
でも、空いている状態でゆっくり見られるのもお得といえばお得だからなんとも言い難い。
工芸品は小さいから混雑していると見づらそうだから(と自らを納得させています)

展示は世紀末をテーマにガレ、ドーム兄弟、ラリック辺りの工芸作品が中心で、そこにルドンやゴーギャンの版画や絵画も入っているというものでした。
圧倒的に工芸品が多かった気がします。
改めて見ると、やっぱり、ガレやラリックの作品は不気味なものが多いですねえ。
香水の中には強烈な臭いの元が入っているように、美しい工芸作品には不気味な虫や造形がつきものなのかなあ、という、ありがちな感想が浮かんできます。
色がどぎついですし。
その中では健全な(?)作品が多いドーム兄弟の作品が印象に残りました。
どうも耽美的な工芸作品が理解できないみたいです。

ゴーギャンの木版画は見る度にいろいろ考えさせられます。
「10の木版画集」というタヒチで描かれた版画ですが、死霊を前にした少女達が描かれていたりします。
絵をどう解釈するかが、死というものをどう受容するかという問題につながりそう。
果たしてゴーギャンはどう考えていたのか、などと考えるとゴーギャンの術中にはまる気がします。

常設展では「水絵のせかい」という小特集があって、高橋由一や古賀春江の水彩画を見ることができました。
古賀春江は水彩画の作品が多いそうですが、有名な油彩画の作品はまったくイメージが違います。
ずいぶんと爽やかな感じで企画展の作品ともずいぶん違う。
面白いなあ。(ひ)






三井の蒔絵~その3 三井記念美術館

2011年11月01日 | ぐるっとパス
華麗なる<京蒔絵>―三井家と象彦漆器― 三井記念美術館

華麗なる<京蒔絵> -三井家と象彦漆器」展
2011年09月17日 ~ 2011年11月13日
三井記念美術館

http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

京蒔絵と言われても、残念ながらどんなものか全然頭に浮かびませんでした。
その京蒔絵も、文明開化後に消えそうになった伝統工芸のひとつでした。
そこをすくったのが三井家ということで、手前味噌な感じもしなくもありませんが、非常に豪華な展示でした。

蒔絵というと硯箱というイメージ。
見た目の地味さ、というか渋さに相反して、最高の素材に最高の技術をもって作られている贅沢の極みといえる代物。
明治以降も伝統を守り続けるのは大変だったでしょうが、日本独自のものだけに海外の金持ちや文化人たちも興味を持ちそう。
その辺が先日見た伊万里焼なんかとは違う気がします。
こちらは日本独特のものですから。

それにしても、蒔絵がこうしてずらっと並ぶと、お店にきているような感じもしなくもありませんでした。
すごい技術なんでしょうが、どう凄いのかはさっぱり。
象彦以外の蒔絵と並べて展示して解説してくれるといい気がするんですが、そうもいかないのか。
特徴としては、大きな作品が多く、細かい部分まで徹底的に作り込まれていることが亜sげられるんでしょうか。
一見、何の手も加えていないようなところまで、よく見るとしっかりと作り込まれている。
いわゆる余白は少なく、たくさんのモチーフが登場しています。
毎日、こういうものを見て生活している人はどんな気分なんでしょう。
独特の色合いが妙にリアルで夢に出てきそう。

中には三井家が天皇家に献上した品なんてものもあったんですが、そうか、財閥は昭和天皇の時代まで献上していたのか。
「舞楽蒔絵棚」という源氏物語をテーマにした蒔絵が描かれた棚ですが、どんなところに置いたんでしょう。
献上の前には、どんな品物がいいか、それとなく聞いたりするものなんでしょうか。
そんな些細なことが気になります。

個人的には象彦について、もっと掘り下げた記述を解説で読みたかった気がします。
これだけの伝統と人脈をもつところには相当興味深い話が多いはず。
代々の西村彦兵衛の作品もそれぞれ違うんだろうし。

京都には「象彦漆美術館」が今年できたそうです。
これから象彦の歴史が明らかにされていくのかな。(ひ)


止まらない文字~その2 ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

2011年10月27日 | ぐるっとパス
ヤポンスキー

浜口陽三・石川九楊二人展 光の消息
前期:9/1 ~ 10/2、中期:10/4 ~ 10/30、後期:11/1 ~ 11/26
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
http://www.yamasa.com/musee/pdf/hama_ishi.pdf

驚くべき展示でした。
インパクトという意味だと、今年見に行った展示のナンバーワンです。
石川九楊のことはまったく知らないまま見に行ったのですが、こんな書家がいるんですねえ。
源氏物語のいくつかの場面を作品にしているんですが、不思議な図形がずらっと並んでいるミニマムな絵画を感じさせる作品が、実は源氏物語の文章を使って描かれているのです。
これが文字? と思って、よく近づいてじっくり見ると、確かに文字。
芸能人のサインやヤポンスキーの絵を連想させますが、それがひたすらつづき、大きな一枚の作品に仕上がっています。
細密画に匹敵する濃密さに、見ているだけでクラクラしてきます。
源氏物語が頭に入っている人なら、その場面の内容と作品の関係まで楽しめるんでしょうが、私はまったく読んでいないので、どうして、こういう書になっているのかは分かりませんでしたが。

細い線がうねうねとしている様からはアンリ・ミショーも連想したのですが、この作品の場合、近くで見ると個性的なひとつひとつの文字が、遠くから見ると非常にバランスのいい綺麗な作品になっているギャップがまた面白い。

素朴な感想で申し訳ないんですが、この作品を見て手書きの文字というのは生きているんだなあ、と改めて実感しました。
それぞれの文字のつながりが響きあい、書く者の気持ちを反映している。
それに比べて、活字というのは読みやすいけど死んだ文字なんでしょうね。(ひ)


なぜグスタボ?~その1練馬区立美術館

2011年10月25日 | ぐるっとパス
磯江毅=グスタボ・イソエ 練馬区立美術館

特別展「磯江毅=グスタボ・イソエ―マドリード・リアリズムの異才」
2011年07月12日(火)~2011年10月02日(日)
練馬区立美術館
http://www.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=43

9月後半にぐるっとパスを始めました。
この展示が見たくて練馬区立美術館に行ったとき、500円入館料を払うより、やっぱりぐるっとパスの方が得だしなあ、と思って、つい始めた感じです。
秋ですしね、美術館以外の施設にも行ってみたいと思います。

今、写実的な絵画が世間で注目を浴びている気がします。
ホキ美術館ができたり、TVで特集が組まれたり、本屋の美術本コーナーでもよく見かけますから。
なんだか写実的な絵画というと、一見無機的で冷たい感じがするんですが、実際、作品を見ると結構違うというギャップがいいんじゃないでしょうか。
そう書くのは私が、TVでそうした絵画の製作現場を見ても、美術館で実際に描かれた作品を見ても、細密な絵からは、真摯さというか、ある種の宗教的な崇高さを感じたからなんですが。

磯江毅が残した言葉の中で印象的だったのは、自己を表現するために描くのではなく、対象の本当の姿を捉えようとして描いているというもの。
自己を消し去って、無の状態で描いているのか、と想像すると、すべての作品が般若心経のように思えてきます。
と書くと、ひたすらストイックな作品ばかり並んでいそうですが、シリアスでありながら不思議なユーモアを感じさせるのが実にユニークでした。
ひとつの作品の中でも、写真と区別がつかないほどのリアルさで描いている部分と、そうではなく絵画的な描き方をした部分が共存しているものも多い。
大体、新聞紙の上に女性が横たわっていたり、天井から鳥がぶら下げられていたり、と実に不思議な、それでいて、ある意味、生活感のありすぎる世界が展開されている。
リアルに描かれた女性や、動物や、オブジェの存在感が際だてば際だつほど、変なバランスの不思議な絵になっている。
そう、どの作品もなんだかアンバランスなんですよねえ。
ものをしっかりと見るということは、そのアンバランスさに気付くことでもあるんだろうか、という安直な結論が浮かんだりもしてしまいます。
それにしても、こういう絵画は人を黙らせて、じっくり作品を鑑賞させるパワーがあるのかな。
美術館は静かでした。(ひ)

数に溺れて~その30 江戸東京博物館

2011年08月04日 | ぐるっとパス
狩野一信 五百羅漢図

五百羅漢-幕末の絵師狩野一信 増上寺秘蔵の仏画
4月29日(金・祝)~7月3日(日)
江戸東京博物館 1階 展示室
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2010/03/index.html

ということで、間が空きましたが五百羅漢の感想を書きます。
廃仏毀釈や空襲だけでなく、3.11も乗り越えての展示は気合が入っていました。
全100幅を一気に見られるというのは贅沢すぎる企画です。
500という数字を出されると、みんなすべてちゃんと確認しようとしているのが不思議でした。
100×5ということで、一幅のノルマ(?)五羅漢(?)が見つからないと悩んでいる人が多かった。
羅漢の方はそんな小ざかしい考えをふっとばすようなぶっ飛んだものでした。
悪人に対してビームを浴びせたり、自らの顔から不動明王が現れたり。
教訓を伝えたり、仏教のありがたさを伝えたりなんていう範疇を超えた世界。
深川江戸資料館の展示がちょうど旅に関するものでしたが、まさにこれは百幅の羅漢図で味わう旅の世界。
異空間への旅でもあり、仏教の世界、人間の業の世界を巡る旅でもある気がします。
100幅見終わったところでなんだかほっとするところがありました。
解説にあるように、終盤の作品は勢いがなくなり、迫力がなくなっていますが、それも含めて全体をひとつの羅漢図、旅の記録として楽しめばいいんじゃないでしょうか。

個人的には終盤の作品を見て、すごい師匠をもった弟子のつらさになんだか同情的な気分になりました。
「終盤の絵は駄目だね」とか「下手だなあ、こりゃ」という感想をもらしている人が結構いましたが、無理やり100幅完成させなければならなかった弟子の悲劇を考えてみてください。
なんだか、その後の狩野派の終焉と、長い江戸という時代が終わることへの人々の期待と不安のようなものさえ、そこから感じ取れる気がします。

それにしても、こんなすごいものが生まれるのは混沌とした時代なんでしょうね。
何が天国で何が地獄だかわからないような世の中。
なんだか今の日本みたい、なんて話はつらすぎるのでやめておきます。(ひ)