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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

限界集落

2009年11月16日 | 本の記録
限界集落 梶井照陰 著 フォイル
http://www.foiltokyo.com/kajii/kajiitop.html
本の感想が続いていますが、すごく読みやすい本だからです。
今回は写真集にエッセーがついている感じの本。
いまや限界集落の話はエコに負けないくらいニュースなどで取り上げられていますが解決の方向に進む気配はまったくなし。
過疎化して年寄りだけが住む集落は地方だけでなく、東京都下にもあります。
畑や田んぼ、住居、文化が消えるだけでなく、水害、生態系の変化、野生動物が人里に入り込む被害といった実害は都市に暮らす人にも結局ツケとしてまわってきます。
それが都市にいると伝わらないのですが、限界集落にいくと絶望的にはっきりと見えてしまう。
この本の中の写真だけ見ても一目瞭然。
文章を読んでもほとんど救いがない。
学校やお店もなく若い人間がもはや生活しようのない状態。
国や自治体から完全に見放された集落で生活する人達の唯一の救いは自分達が長く生きないことかもしれません。
とりあえず自分達は集落で一生を終えることができる。
ほとんど絶望的な本ですが、集落の写真は悲しいほど美しい。
そんな現状に著者は安易な慰めや社会批判に逃げることなく、ただ事実を受け入れ提示していく。
もう遅いかもしれないけど、私達はこの事実をしっかり受け止めなければいけないのです。(ひ)
|||(-_-;)||||||

30日間世界一周!

2009年11月15日 | 本の記録
「行くぞ!30日間世界一周」#08予告

30日間世界一周! 1巻
水谷 さるころ
イースト・プレス
http://www.tabi-ch.net/tabichnet_overseas_30days

マンガの感想は初めてかもしれません。
特に理由があってそうしている訳ではなく、ほとんどマンガ読んでないんですよねえ。
たまに読むと恐ろしく時間がかかって疲れてしまう自分がいたりして。
そんな状態なのに、なぜこのマンガを読んだかというと、旅チャンネルというCSの番組ではまってしまったから。
番組スタッフ2名と漫画家の3人だけで世界一周するという番組。
カメラは一台で予算も少ない、というと電波なんとかみたいな昔のヴァラエティ番組を連想しますが、ああいう品のない無理矢理なヴァラエティではなく、こちらは普通に旅をしていく。
普通に旅をしたって、予算と時間のないCSの番組なので、下調べもできていないし、現地のお店とバーターでなんてこともないから、いちいちトラブル発生。
ちっちゃいカメラ一台持っていたって誰もテレビ番組だと思わないから、カモられることもあるし。

男2人に女1人の珍道中の飾りのなさがとにかくいいです。
普通にケンカしたり、機嫌悪くなったりするし。
食べれば何でも美味しいといったり、ホテルの部屋に入れば、ベタホメするような旅番組みたくないですもん。

この本は全3巻のうちの第1巻。
日本からフランスまでの珍道中が描かれています。
テレビよりはマンガの方が細かい情報は当然詳しいし、映像になっていない裏話も分かる。
まあテレビの方を見ていれば内容は大して変わらず、面白かった余韻を楽しむという感じなんですけどね。
それだけに早く2巻、3巻を出して欲しい。
2周目をまだ見てないので再放送して欲しいなあ。(ひ)



月と6ペンス

2009年11月11日 | 本の記録
Ray Noble and his Orchestra "We´ve got the moon and sixpence" レイ・ノブルは「チェロキー」の作曲をした人
月と六ペンス
ウィリアム・サマセット・モ-ム作 阿部知二訳
岩波文庫

ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を見に行って、こりゃあ「月と六ペンス」を読まないと、と単純に思ったわけですが、予想以上に素晴らしい本でした。
もし、ゴーギャンを主人公にした物語を書くとしたら、どんな設定でどんな場面から話をスタートさせるでしょうか。
普通、ゴッホを登場させるでしょうし、パリでの画家としてのエピソードを中心に新しい絵画をもたらしたアーティストのひとりとしてゴーギャンを描きそうなものです。
三谷幸喜の芝居がまさにそんな感じでした。
といっても、あれはゴーギャンが主役という訳ではないか。

ところがモームはゴーギャンを思わせる人物の他は、絵を見る目をほとんどもたなくて、ゴーギャンの生き方もほとんど理解できない作家、凡庸だが商品性のある作品を描いているが絵に対する見識が非情に高い男などを登場させるのみで、ゴーギャンの友人といえるような人物はまったく登場してこない。

この小説が書かれたのが1919年というから、こういう「信用できないナレーター」(凡庸な作家)が物語を進めるというのはまったく珍しくなかったでしょう。
ストリクランドというゴーギャンをモデルにした人物の粗野な言動、一般的なモラルをもったく気にかけず自分の絵に没頭する姿勢を理解できないのに、彼の生き方に何か魅力を感じざるをえない。
私たちはゴーギャンの物語として、この作品を読んでいるから、「なんて駄目な作家なんだ」とか、「せっかく偉大な人物に会っておきながら、この体たらくは」なんて思ったりもしてしまうんですが、実際、今までにない変な絵を描く、すごく嫌な奴にあったら、こんな感じになってしまいますよ、多くの人は。
悪い印象を一旦持ったら、ストリクランドが笑うと、「ああ、また嫌みなことを考えてるんだ、こいつ」なんて思うはず。
そんな作家の目を通して、ストリクランドの行動を見る私たちは、「いや、この笑顔にはもっと深い意味があるはず」なんて考えてしまうのは、評価の高い絵の前に立つと無理やり価値を分かろうとする行為ににていたりもします。
この物語は作家がストリクランドとの出会いを回想する形で書かれているので、やたらにいい訳をしまう。
私だって絵を見る目はあるんですが、その作品はたまたま分からなかったんですよ、みたいな調子で。
それがおかしいんだけど、まあそれが普通なんですよね、本当は。

もうひとりのストルーフェという凡庸なアーティストを出したのもうまいですねえ。
自分に作家としての力量がないと分かっているのに、それなりに売れてしまう。
みんなが認めないストリクランドの作品はこれからずっと残るのに自分の作品はすぐ消えることが見抜けてしまう哀しさ。
先日見た「世田谷カフカ」にもこういう場面がありました。
このストルーフェは人の世話をせずにはいられない人物。
それが原因で自分の妻をストリクランドに寝取られてしまうのに、それでもお節介を辞めることができない。
方向性はまったく違うものの、ストリクランドに負けない破綻した人物なのです。
天才の才能を見抜けないのは哀しいが、分かってしまうのはもっと絶望的。
なんだか、先日の芝居の、人の心が読めてしまうが故に絶望に追い込まれる猿飛佐助のよう。
一流の作家というのは、実にさりげなく人間の絶望を描いてしまうものなんですね。
すごい。

この本を読んでもゴーギャンのことはほとんど分かりません。
そういうことに興味があれば、伝記を読めばいい、というのがモームの意見でしょう。
モームは彼が面白いと思ったゴーギャンのストーリーを書いた。
人は人のことなんて、まるで分からないのに分かったつもりにないりたいんだなあ、ということが分かる本です。(ひ)

裁判長!ここは懲役4年でどうすか

2009年10月01日 | 本の記録
工場猫物語~工場猫を探して

裁判長!ここは懲役4年でどうすか
北尾 トロ・著 文春文庫
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167679965

久しぶりに本の感想です。
これはねえ、結構くせ者な一冊でした。
裁判員制度もスタートして、この本の著者北尾トロは結構メディアに出る機会も増えています。
そんな人の書いた本だから、ライター的、メディア的視点から裁判を見る、なんていうほんだと勝手に想像していたもんですからギャップにびっくり。
裁判を見るのは国民としての権利、ジャーナリストとしての正義感がそこに向かわせるのだ、なんてノリはまったくなく、タダだし、雑誌から依頼された仕事だし、とんでもない人のとんでもない状況を見て楽しめるし、と自虐的なまでにデバガメ的好奇心を強調しながら、裁判傍聴の初心者から、中級者くらいまでになっていく過程が書かれている。
まあ、これを読んで裁判をぜひ傍聴しにいきたい、という気にはなれませんでした。
だって、読んでいるだけで(自分は全然そんなことしていないのに)妙に身につまされたり、馬鹿馬鹿しくなったりすることの連続。
雑誌に連載していたものを本にまとめただけに、一口食べるなら良いけど、一気に味わうには脂っこすぎるよなあという感じでした。
特に中盤以降は妙に犯人に自分を重ねて自虐的な気分になろうとしている作者に、本当はそんなに興味ないんじゃない、この事件? と聞きたくなることもありました。

そんな感じで、この本の面白さは裁判が面白いものかどうかということより、北尾トロが本当はどう思っているのか探るのが面白い一冊でした。

それにしても、裁判を傍聴して楽しんでいる人たちはまさにプロレスファンのようなノリなんですね。
ここで検察が強く出ないのは自信の現れにちがいない、などと勝手に心の内を想像したり、今回この裁判長ということは、この裁判波乱があるかも、なんて期待しながら傍聴したり。
果たして海外の裁判傍聴好きもそんな見方をしているんだろうか。
それともプロレスと同じようにはっきりとエンターテイメント性を求めるんでしょうか。
海外編をぜひ北尾トロに出して欲しい。
世界裁判傍聴の旅なんてどうすか。(ひ)

アリバイ・アイク

2009年08月09日 | 本の記録
Elmer The Great - Original Trailer 1933


アリバイ・アイク  
リング・ラードナー著 加島祥造訳 新潮文庫 1978年

家にあった古い文庫本を何となく読んでみたんですが、傑作でした。
新聞記者としてスポーツ担当になり、コラムニストとしても小説家として名高い人物ということは後から知りました。
アメリカでの知名度や作家としての力量と比べると日本の認知度が相当低いのにも驚きます。
彼自身が自分を作家と思っていなかったそうで、普通の小説とは違う味わいの文章になっているのも面白い。
普通の小説ならもっと前で終わっているのにという場面であえて話を切らず、その後もつづいていくのも面白いし、日本人にはない、ねちっこいユーモア感覚も興味深かったんですが、何と言ってもスポーツの描き方が素晴らしい。

野球、ボクシングといったスポーツが登場する短編がいくつかあるんですが、スポーツの圧倒的な才能を持つ者が持っている狂気の描き方のすばらしさ。
天才というのは自分の中の狂気と折り合いをつけて、凡人に近い日常生活を送らざるをえない哀しい人びとだ、と私は勝手に思っているんですが、そんな人たちの奇妙さを実に見事にラードナーは描いています。
ときに恐ろしく、ときに悲しく、ときにおかしい天才たち。
でも、彼らはそうやって生きていくしかない。
それを凡人の私たちにつたえるのは凡人の記者たちでしかないという事実も新聞記者だったラードナーは見事に伝えています。

この話にはスポーツ選手に限らずずいぶんおかしな人間が登場しています。
自分の家族や女性まで本気で殴り倒すボクシング選手や、ひたすら音楽にとりつかれた野球選手など、実際には関わりたくない人たちばかりなのに、そんな人間がとても魅力的に感じてしまう。
人間の魅力というのは、常識や良識といった範疇とは別のところにあるということじゃないでしょうか。
そんなことを強く思わせてくれる一冊でした。
などと書くと結構生真面目な小説だと思う人もいそうですが、ジャンル的にはユーモア小説。
何でもいい訳をせずにはいられず自分の人生までピンチに追い込むアリバイ・アイクが特に笑ってしまいます。(ひ)

怪笑小説

2009年06月15日 | 本の記録
怪笑小説
東野圭吾 集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-748846-2&mode=1

東野圭吾の本というと、今までほとんどエッセーしか読んでいません。
小説はひとつか、ふたつは読んでいるはずなんですが、この短編集には驚きました。

あまりにもクオリティが低すぎて。
この程度でブラックユーモアということに笑ってしまう。
文章が非常に読みやすくてこなれているだけに、アイディアのひねりのなさが圧倒的に目立ってしまう。
話の途中で前振りのように使われていたことも結局、最後に生きることなく、あまりにも分かりやすいオチのつながっていく。
なんだか、すごくつまらないオヤジジョークを本一冊分読まされた感じ。
これがブラックユーモアなら、コボちゃんだってブラックユーモアだろ、というレベル。
一番面白いのが本人が最後に書いているエッセー。
そこの部分がすごく面白いだけに余計小説の駄目さが目立ってしまう。

そういえば先日テレビで寺山修司のミニ特集のような番組をやっていました。
彼が答えているインタヴューの中で、完結している物語を自分は書きたいと思わない、半分は読者が想像できるところで終わりたいというようなことを言っていました。
この短編集はすごくこじんまりした円がきれいに書かれていて想像を加える余地がまったくない。
ゾーヴァの絵もいろんなストーリーを自分で組み立てられるところがよかったんだなあ、と思ったのでした。(ひ)



固いおとうふ

2009年06月10日 | 本の記録
らも 落語

固いおとうふ
中島らも 著
双葉文庫
http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/4-575-71147-0.html

元々は97年に出た本だそうです。
この時点でもアルコール、薬の問題を抱えていることがよく分かるエッセーで、こりゃあ長く生きられないだろうなあ、本人じゃなくても思わずにいられません。
このエッセーを書いているのはアルコール中毒から抜け出ようとしている頃で、どうしても長い小説が書けなくて短いエッセーを書きちらしているという時でした。
ひとつひとつは軽く読みやすい話になっているんですが、自分に対する一種の諦めのような感じが垣間見えるのが結構怖い気がします。
諦めというのが悟りの境地なんていう落ち着いたものになっているのではなく、水をいくらせき止めようとしても結局いつかはあふれ出すのが分かっているという感じ。
しかも、あふれて崩壊する自分を楽しみにしている部分もあるという雰囲気が漂っている。

という感じで固いとうふは、とうふだけに見た目はシンプルだし、余計なものは入っていないんですが、妙に固い。
とうふってこんな風に固いもんだったっけ?
食べられなくはないし、おいしいんだけど、何か腑に落ちない。
そんなことを考えているうちにいつの間にか完食している。

中島らもは禁酒をしていたときにもとうふを食べたんだろうか。
酒がないと、薬ととうふなんていう組み合わせはありだったんだろうか。

世の中にブロン中毒なんてものがあるのも初めてしりました。
アルコール異常に悲惨な禁断症状まであるなんて。(ひ)







笑う介護。

2009年06月06日 | 本の記録
笑う介護。
松本ぷりっつ 岡崎杏里 共著
http://www.seibidoshuppan.co.jp/cgi-bin/serch/_book_details.php?bookcd=4353

いつも読む本とはずいぶん毛色が違うんですが、必要に迫られてというか何というか。
こういうジャンルの本はすごく重苦しいものが多くて嫌になります。
話が飛んでしまって申し訳ないんですが、太平洋戦争について書かれた本や映画の異様な重苦しさというのにも近いものを感じます。
確かに重く苦しい事実だけど、でもそればかりじゃないし、それじゃあ人は読んだり見たりしてくれんだろう、という気がします。
誤解を恐れず言ってしまえば、他者に対して出すものは、ある意味すべてがエンターテイメントじゃなくちゃいけないだろうと思うのです。

などと長々と書いてしまうのは介護を扱ったひどい芝居を見たトラウマが残っているからです。
介護は地獄、認知症になった人間は人としての尊厳を失っていると言っているかのような表現には怒りを覚えたし、そんな単純な話じゃないから世の中大変なのです。

ようやく、この本の感想ですが一冊読み終わるまで結構な時間がかかりました。
すごく読みやすい文章とマンガなのに、読んでいるといろいろ思い出して身につまされてしまう。
この人の家はお母さんが病気を克服するし、お父さんの状態もめちゃくちゃ重いという訳ではないんですが、だからこそ大変。
自分でできることがあったり、勝手に外に出たり出来てしまう方が大変なんですよねえ、周りとしては。

というところで話は一気にそれるのですが、「笑う介護」というタイトルがすごいですね。
他の患者を励ますためにあえて道化役を買って出たお母さんの血が作者にも流れているに違いないと思わせる力強いタイトル。
苦しいことの多い介護だから自らの意志で笑わないとということなのでしょう。
このタイトルを聞くと「笑ゥせぇるすまん」や乱歩の「踊る一寸法師」をなぜか連想してしまいます。
「踊る一寸法師」の「踊る」は何だか強力な意志を感じて怖いタイトルだなあ、と子供心に思ったのを覚えています。(ひ)

探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子

2009年05月27日 | 本の記録
TV Jack ダイジェスト 超お宝映像?

探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子 龍の巻/虎の巻
松本 修/著
ポプラ文庫
http://www.bk1.jp/product/03009827?t=T

引っ越しの最中という頃、息抜きとして読んでいたんですが、すごい本でした。
この本、東京ではなかなか見つからなくて結局ネットで買いました。
「探偵!ナイトスクープ」のファンは東京にも結構いると思うんですが。
YOU TUBEで懐かしの映像を見る感覚でナイトスクープの四方山話を読もうと購入したんですが、思った以上に濃い。
遙かに濃い、濃密な関西ワールドが展開されてました。
番組プロデューサーの書いた本ですが、はっきりいって文章はうまくない、というかかなり稚拙な感じなのに、すごいパワーで書ききっていて最後まで読まされてしまう。
このプロデューサーの自分の番組制作能力に対する絶対的な自信もすごいですよ。
普通なら単に鼻につく嫌なやつなんですが、ここまでくると呆れつつも感心するしかない。
それも才能ですね確かに。
番組には時々、勘違いしているというか世間の常識から逸脱した依頼者がいて、それが面白かったりするんですが、プロデューサー自身がそうだったとは。
といっても、番組に対するまっすぐな情熱と冷静な判断力は当然ながらすごい。
どうすごいかは自画自賛の嵐なんで今更書く気にならないですけど。

そんな訳で上岡龍太郎や槍魔栗三助や越前屋俵太のエピソードを楽しみにしていたという部分では肩すかしも多かったんですが、すごい本には間違いありません。

印象的だったのはテレビ画面に入るテロップの話。
バラエティ番組でこれだけ多くテロップを入れたのはナイトスクープが初じゃないかという話がでてきます。
数年前から東京でも異様なくらいテロップが出るようになっていますが、ナイトスクープは発言をただ垂れ流しにテロップにする馬鹿な番組とは違い、どうしても強調したい言葉、制作者のツッコミをテロップにしているところがまったく違うということでした。
確かに最近のテレビは日本人総白痴化を狙っているとしか思えない、不必要なまでに大量のテロップを入れていますが、それとはまったく違う。
ここ一番テロップで笑いをとれる絶妙のタイミングで入っているんですね。
特に、ここで笑って良いのか、同情したらいいのか、微妙なVTR(ナイトスクープには結構ある)ですっきりと笑わせてくれるテロップの入れ方はすごいですね。

番組作りの厳しさというのが決していい方向にでていない気がする、バラエティ番組も結構あるんですが、ナイトスクープは熱意が変な堅苦しさや内容の動脈硬化につながっていないのが素晴らしい。
実はカメラワークや編集にも相当なこだわりがあるということも分かったので、その辺も注意してこれからは番組を楽しみたいと思います。(ひ)


出世ミミズ 

2009年04月23日 | 本の記録
エレファントカシマシ おはようこんにちは

出世ミミズ
著者:アーサー・ビナード
集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-746018-5&mode=1

著者を知ったのは週間ブック・レビューのゲストコーナーに出ているのを見たときでした。
話す日本語の見事さと同時に物腰の柔らかさがとても印象的でした。
詩人であり日本の詩を英語に訳す翻訳家でもある。
このエッセーを読むと出かけるのは自転車で書道や謡曲を習っているという生活ぶりなのが分かる。
そんな浮世離れした人物がなぜか池袋というおよそ似つかわしくない場所に住んでいるというのが面白い。
普通、栃木とか茨城辺りの人里はなれた村の古い家屋で完全自炊生活をしたり、思い切り下町情緒あふれる場所に住みそうなのに。
でも、古きよき日本を愉しみながらも今の時代から決して逸脱しない感覚を持ち合わせているからこそ、こんな面白いエッセーが書けるんでしょう。
ブッシュ、ポケモンといった話題が出てきても実に見事に話の中に取り込んでしまう。

きっと著者自身はこんなことを言われるのにうんざりしているでしょうが日本語の知識の豊かさに驚かされました。
でも、そんな彼が「的を射る」を「的を得る」と書いているのを見つけてこっそり喜んでしまったんですが(性格がゆがんでいてすみません)。

読んでいて一番共感したのは昔ベストセラーになった「声に出して読みたい日本語」の話。
この本の著者がテレビでコメンテイターをしているところを見るだけでちょっとむかつくんです(どんな話題でもテレビサイズのコメントに無難に処理して見せるところなんか)が、古典の名作の一部を抜き出して「使えて便利だ」と評したり、与謝野晶子を「官能的肝っ玉姉さん」などと言ったりする軽薄さは本当にひどい。
日本語に親しむということは日本語をいい加減に扱うということとは当然ながら違うんですよね。
古典に対する愛情を持っていないものが適当に扱ったりするとこういうことになる訳です。

最近、エレカシの宮本が突然キレたのが話題になってます。
詳しい事情は全然分からないんですが、確かに自分の作品を「食べにくい」なんていわれたら相当むかつくでしょう。
そういうバカに限って、作品をうまいこと食べ物にたとえてみた、とか、面白く言ってみたとか思っているはずで、そういうのがまたムカつく。
それはともかく、宮本って昔はテレビに出て悪態をつきまくりながら歌って、最後にマイクをフロアに叩きつけて帰ったりしていたのに、ずいぶんおとなしくなったもんだなあ、とずっと不思議だったんですよね。
この際、気に入らないことがあったら、どんどん切れていただきたい。
タモリ相手に突然切れて番組帰ったりとかしてくれたらいいのにと無責任に思ってしまう。
どうせ、そんな番組は見ないんですけどね。
緊張感たっぷりの昔のエレカシのライブ映像が見たくなった。

話はそれましたが、本の表紙に使われているBill traylorの絵は味わいがあってすごくいい。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=bill+traylor&lr=&um=1&ie=UTF-8&ei=l8DvSd_GH6aK6AOVlcDJAw&sa=X&oi=image_result_group&resnum=4&ct=title

アウトサイダー・アートの作家という分類が一応できるみたいですが、奴隷生活から開放された後、83歳という年齢で絵を描き始めたそうです。
そこから4年で1800枚以上描いたというのだからすごい。
某大学の先生の手にかかったら、彼の絵も一刀両断されちゃうんだろうなあ。(ひ)