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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

日本の喜劇人

2011年03月01日 | 本の記録

ダウンタウンと香川登志緒先生

日本の喜劇人  (新潮文庫)

 

 

小林信彦

ずっと気になっていながら読んでいなかった本です。

読み終わってから、そういえば、こんな感じの本を読んだことがある、と思って思い出したのは、ピーターバラカンの「魂(ソウル)のゆくえ 」。

ソウルミュージックが黒人だけのものからアメリカ全土、そしてそれ以上に広がっていく中で大成功をおさめる黒人シンガーが数多く登場していくものの、やがて、最初の色を薄めていったソウルミュージックは良くも悪くも別のものに変わっていき、衰退を迎えていく。

それと同じようなことが日本の喜劇にもあったんですね。

ごく一部の人間しか見ることのなかった舞台の芸能がテレビという大きなメディアに登場し、喜劇人が日本全国に知られるようになる。

喜劇が一般にまで浸透するものの、テレビの波に呑み込まれ、舞台で演じられる喜劇はやがて衰退していく。

そんな大きな時代のうねりの中で、森繁久弥、由利徹、渥美清といった、私には晩年しか知ることのない面々がどんな役割を果たし、どんな力をもっていたか、小林信彦は実に明快に示している。

ある意味、独断的とも言える、文章の明快さには本当に驚きました。

おそらくは多くの喜劇人や関係者から嫌われたでしょうね。

喜劇を愛しているからこそ、喜劇人たちと、ある一定の距離を保とうとする作者は非常に正しい。

というか、そういう人じゃなきゃ批評をしちゃいけないですよね。

 

それにしても、この本を読むと森繁久弥の影響力の強さが分かります。

漫才やコントをやっていた人間が、いつの間にかドラマで「味のある脇役」をやっている姿を見るなんていう、おぞましいパターンは彼の時代から続いていることだったんですね。

香川登志緒と沢田隆治の話も面白い、というか、もっといろいろ知りたい。

そういえば、ダウンタウンを初めて見たのは沢田隆治のやっていた「花王名人劇場」だったと思う。

香川登志緒がダウンタウンを高く評価していた話は有名だけど、沢田隆治はどう思っていたんだろう。(ひ)

 

 

 

 

 

 


嫁してインドに生きる

2011年02月16日 | 本の記録
タゴールと岡倉天心の関係についても触れられている一冊
嫁してインドに生きる  
タゴール暎子
ちくま文庫

インドについて知りたかったので古書店で購入しました。
300ページ弱の本が定価440円ということにビックリ。
ちくま文庫って今やかなり割高なイメージなのに昔は安かったんだなあ、と変なところに感心。
ちなみに87年に出版されています。
今は手に入らないだろうと思ったら論創社というところから販売されています。
2310円もしますが・・・・・・。

日本人の女性がインドの男性と出会い、周囲の反対もものともせず結婚し、インドや日本で生活した日々と、インドについて書かれたエッセー。
前半は日本人がいきなりインドで暮らす大変さについて書かれている興味深いエッセーなんですが、自分の家系、インドの文化についての説明が相当多くて、文章としては正直退屈なものになっています。
まあ、旦那さんになったインド人男性はインドでも名家といえるような家庭の出身なのでいろいろ書きたくなるのは分かりますが。
学校の先生から自慢げに四方山話を聞かされているような気もしなくもありません。
そういえば、この方はインドの人たちに日本語を教えたりもしているようです。

興味深いのはタゴール瑛子さんの順応する能力の高さ。
最初はかなり違和感をもっていたインド文化に、かなり早く適応して、後半は日本人や日本文化に対して、インド人の目線から批判とエールを贈っています。
身分制度の厳しいインドでいい生活ができているから適応早かったんでしょうが、食べ物や気候に対する不平不満が少ないし、大家族の生活にもかなり早く慣れている。
旦那さんの仕事の都合で大家族生活が長く無かったのもよかったんでしょうか。

もうひとつ面白いのは時々話の中に出てくるインドの昔話や言い伝え。
インドの男性が母親を崇拝しているエピソードとして登場する、母親から宇宙一周して早く帰ってきた方を優れていると認めると言われたふたりの息子の話なんてツッコミどころが多すぎます。
かなり馬鹿馬鹿しい話なので、詳しくは書きませんが。

それにしても、これって、どういう読者を対象に書かれた本なんでしょうかねえ。
タゴール家の人名が巻末にずらりと書かれているんですが、こんなに書かれても困るよなあ。
しかも名前を挙げてあるだけで、それぞれの関係はまとめてくれてないし・・・・・・。
インドについて興味があり、話が思わぬ方に脱線する不思議な本を読みたい方はぜひお読みください。(ひ)


ベルカ、吠えないのか?

2011年02月02日 | 本の記録
ベルカ、吠えないのか?
古川 日出男 著 文春文庫
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167717728

20世紀の歴史を犬で語るという途方もない物語でした。
壮大なストーリー展開に身を任せて、ただただ読み続けるのみ、という一冊。
文庫には「イヌたちの系図」という、大まかなイヌどおしのつながりが書かれているんですが、20世紀の歴史が系図に書かれたくらいでは理解できないように、あんまり役に立ちません。
同じ名前の犬が何度となく登場するし子供が尋常じゃない数生まれて世界各地に広がっていくんですから。
時間や場所や人や犬があまりにも錯綜するストーリーに、何が何だか分からなくなりながらも、犬のしっぽにしがみつくようにして、激動の物語に必死についていけばいい、という訳です。
古川日出男の本はこれが初めてだったんですが、最初は気になったぎこちない台詞や地の文が読み続けるうちに気にならなくなる、というのは、これはこれでいい文章なんでしょうね。

物語全体についての感想がきにくいので思いついたことを箇条書きにしてみます。

後半のソビエト崩壊のくだりからは今のエジプトのことを連想せざるをえなくて、民主化した後の行く末を不安に思わずにはいられませんでした。
革命の裏では犬たちが暗躍しているんでしょうか。

20世紀の物語だけに、当然、アメリカとソ連が舞台の中心になっています。
そこに日本の軍用犬の末裔が関わり続けている、というところが面白いんですが、なぜあえて日本の軍用犬にしたのか、という作者の意図がもうひとつつかめなかったのが残念。
こちらの読解力が低いだけといえば、それだけかもしれませんが。

怪犬仮面という、ルチャリブレのレスラーであり、マフィアのボスである男の物語が面白い。
怪犬仮面という名前からなぜかサリンジャーの「笑い男」を連想してしまいました。
楽しくも哀しいものがたりであるところも共通してますね。
そして、物語内物語ともいうべき、小さいエピソードの作り方がどちらの作品もうまい。
特に「ベルカ、吠えないのか? 」は歴史の流れの大枠さえ頭にいれておけば、後はただ個々の物語を楽しんでいけばいいという、それぞれのエピソードの独立したクオリティの高さが際だっています。
まあ、そうでなければ、とても、こんな大風呂敷を広げすぎた物語は読めませんね。(ひ)

ハイ・フィデリティ

2011年01月13日 | 本の記録
A面ラスト The Smiths-Oscillate Wildly

ハイ・フィデリティ
ニック ホーンビィ著 森田 義信 訳
新潮文庫

なぜか今頃読みました。
大昔に買ってあったもののどうも途中までしか読んでいないんじゃないかとふと思い、読み始めました。
すると、どうして途中で辞めたのか分かりました。
ずいぶんイタいところがある本なんですね、これが。
ロックをマニアックに聴き続けるうちに、それが困じてレコード屋(決してCDじゃありません)の主人になってしまった男の話。
同じように音楽ばかり(でもないか)を聞いているうちに、こんな体たらくになっている身としては、思い当たることが多かったです。

とはいえ、重要なのはそういう状況的なことではなく、すごく好きなことがあっても、そこから半歩退いたところから見ていることしかできない自分に対するコンプレックスものだという気がしました。
音楽が好きなら演奏するという発想にいかない人間が世の中にはいる。
好きだからこそ、おおそれとはできない、というか、やりたくないという人間が。
私もそんな人間なので、ミュージシャンと知り合いになることに対する、複雑な感情の揺れ具合が素敵でした。

まあ、私の場合、この小説の主人公より更にひねているみたいで、自分のベスト5を簡単に人に話したりはできません。
自分と趣味の違う人に音楽やバスケの話なんてとてもできませんし。
でも、自分で選曲したカセットは人にあげたことがある。
そういうことをするのはカセットテープの時代で終わってしまったなあ。
A面一曲目はニック・ロウの「恋するふたり」かポール・キャラックの「ウォーク・イン・ザ・ルーム」で始めようなんて、考えたりする幸福な時代は。
A面とB面のない音楽なんて信用できません。(ひ)

海炭市叙景

2010年12月13日 | 本の記録
熊切和嘉監督作品『海炭市叙景』予告編

海炭市叙景
佐藤泰志 著 小学館文庫
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784094085563

佐藤泰志の本が文庫になっている、と驚き、映画になると知って更に驚き、本を買ってしまいました。
佐藤泰志はずっと読まなきゃなあ、と思いつつ読んでいない作家だったのです。
知ったのは松村雄策が彼の自殺について書いたエッセーを読んで。
ということはきっと1990年なんだろうなあ。
一部では高く評価されても、一般には知名度のない作家にはよくあることですが、絶版になった彼の作品は古本で手に入れようとしてもかなりの値段がついていました。

読んでみると、これが想像以上に素晴らしいものでした。
「海炭市」という架空の町を舞台にした作品集になっています。
全部で18の物語が書かれ、それぞれがまったく独立している。
同じ町が舞台になっているというだけで、登場する人も境遇もまったく異なっているんですが、すべての人がそれぞれの狂気を抱えつつ、生きている姿が描かれています。
「海炭市」はかつて炭坑で栄えたが、今やかなり寂れている、という、いかにもドキュメンタリー番組に出てきそうな町。
そうした見捨てられた町で暮らす人びとの悲哀、というものを描いた作品と考える人が多そうだし、映画もきっとそういう視点で撮られてるんじゃないか、と勝手に想像するんですが、実はそんなことはこの作品にとって、ほとんどどうでもいいことだという気がします。
この18のブツギレの物語を読んでいると、人は他の人の悩みを想像すら、することができない、というか、想像しないようにしているからこそ、狂気に至らず生きていけるんだ、ということが分かってきます。
ここに登場してくるすべての登場人物は圧倒的な孤独を抱えながら、それをなんとかやり過ごそうとしている。
それは田舎がどうとか、暮らし向きがどうとかいう問題ではなく、すべての人間が抱えざるをえない恐怖なんじゃないでしょうか。

冒頭の話が謎を孕んだドラマチックなものになっているので、最初のうちは、その続きが出てくるんじゃないかと期待しながら読んでいました。
それが裏切られていくうちに、この作品の独特の魅力にはまってしまった感じです。
全体としては地味な物語の冒頭に、異質なストーリーをもってくる構成も見事だなあと思わざるを得ません。
これで佐藤泰志が再評価されて、他の作品も簡単に読めるようになるといいなあ。(ひ)





燃える天使

2010年12月01日 | 本の記録
燃える天使
編・訳:柴田元幸
角川書店
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200807000294

短編小説の翻訳です。
昔に比べると、こういう翻訳物の短編傑作選という感じの本は大分少なくなっている気がします。
この本も最初に出版されたのは99年。
当時、青春・恋愛というテーマで「月刊カドカワ」や「エスクァイア」に翻訳の連載をしていたという文が解説に。
どっちの雑誌もお亡くなりになってますからねえ、時代を感じます。
そういえば、少し前、駅でくれるフリー雑誌に柴田元幸の翻訳の連載があったんで驚いたんですが、最近読んでないなあ。
フリー雑誌って運が良くないと手に入らないから。
ああいう雑誌で紙がやたらに良かったり、執筆陣が豪華だったりするものがあるんですが、発行部数はそんなに多くないのかな。
フリー雑誌だけあって、当然ページは短く、詩の翻訳や聖書の一節の翻訳なんかが載っていた気がします。

こちらの本は普通の雑誌に載っていたものなのでそれなりに長い作品が多い。
これはどういう意味なんだろうと、少し考えるようなトリッキーなものが目立つのも20世紀後半ならではでしょうか。
もっと前にはカーヴァーやリンチがブームになった時代が日本にもあったんですよねえ。
今や分かりやすいものが正しいという、恐ろしい時代になってますが。

印象に残ったものをいくつか挙げておきます。
○「猫女」スチュアート・ダイベック
一番有名な作家を挙げるのはなんか悔しいきがしますが、面白いから仕方がない。
腐っていく町の様子を見事に描いたパンクな小説。
短いアニメにして欲しいなあ。
リアルな絵にされると嫌だけど。

○「影製造産業に関する報告」ピーター・ケアリー
長編作品が有名なオーストラリアの作家だそうです。
影をつくる工場ができて、その影が人気になる。
環境に悪いとか健康に悪いという噂もあり、なんとなく後ろめたい商品であるが、みんなこっそりと買ってしまう、という設定。
そんな設定なのに、作品のタッチは妙にリアルで、それが妙におかしい。

それにしても、最近の文庫は軽くて字が大きいから読みやすいけど、かなり割高。
200ページほどで600円近くするとは。(ひ)

さようなら、ロビンソン・クルーソー

2010年03月13日 | 本の記録
さようなら、ロビンソン・クルーソー 小松左京、かんべむさし編
集英社文庫
http://www.huruhonpo-tama.jp/SHOP/2320.html

かなり古い本です。
昭和53年に発売されたものを古本で買ってます。
かなり痛んでますが、その状態の本を買ったのも結構前だと思います。
アシモフの雑誌からのセレクションによるSF短編集。
そう聞いただけで時代を感じますが、作品もハードSFやパズルものありと相当年代を感じさせる構成。
読んでいて辛くなるようなものが多かったんですが、短編集っていい作品が隠れてるもんですね。
最後の3作品は今読んでも面白い。
特にゴードン・R・ディクソンという作家の「時の嵐」という短編が素晴らしい。
地球を正体不明な嵐が襲い、多くの人や動物が死に、生き残ったものもほとんどがおかしくなっているという世界。
SFにはありがちな設定ですが、口を利かない女の子とおとなしい豹と旅をする男は分かれた妻に会うためオマハまで行こうとするが最後に重大な事実に気付く。
それだけの話なんですが主人公の哲学的ともいえる葛藤の描き方が見事。
それまでSFの物語として距離をおいて読んでいたのが一瞬にして目の前の現実になったような凄さに目眩をおぼえました。
こういうのがあるからSFを読むのがやめられないんだよなあ。(ひ)
o(^o^)o

夕子ちゃんの近道

2010年02月15日 | 本の記録
夕子ちゃんの近道
長嶋有 講談社文庫

大江健三郎賞受賞作なんですね、これは。
第1回がこの作品で次が岡田利規。
岡田利規というのは知的な人が一度はやられてしまう作家なんですかね。
私は知性が足りないのであんまりピンとこないのかもしれません。

長嶋有を読むのは久々でしたがいいですねえ。
何が一番印象に残ったかというと、台詞の書き方。

「へえ」どんなだった。瑞枝さんが尋ねる。

普通だったら

「へえ。どんなだった」瑞枝さんが尋ねる。

と書きそうなものですよね。
「どんなだった」は台詞なんですが宙に浮いている感じ。
次の「瑞枝さんが尋ねる」は主人公の台詞なんですが、そこまでの間というか浮き具合が変な落ち着きのなさ、というか余白を生み出していて、まさに宙ぶらりん状態の主人公の現状や精神状態を示している。
人の言葉が自分に落ちてくるまでの間が長いというんでしょうか。
こういう台詞が次々に出てくることで、最初は変だなあ、と思っていたリズムに慣れてしまう。
そして、変な主人公の世界になじんでしまうんですね。
大体、これはいつの時代のどこの話なんだろう。
相撲の話なんかが出てくるから、最近のことだというのは分かるけど、実に現実離れしています。
仕事もなく、ひとりぼっち、だけど、お金には困っていないし、仕事や住むところもある。
バブルは完全に終わった世の中でなんとなくバブル、みたいな不思議な世界。
今更ながら80年代を思い返すと、こんなバブルを自分もすごしていたなあ、という気がする。
ほとんど何の恩恵も受けなかった気がするけど、なんとなく仕事はあったし、一部の人を除けば、なんだか妙に自由でのんびりした空気があった。
フラココ屋はもうなくなってるんだろうなあ、きっと。

にんべんの話ですが、私は「優」でなく「有」なんだと単純に思いました。
大江健三郎のようなひねり方はできないですね、当たり前か。(ひ)

中国行きのスロウボート

2010年01月30日 | 本の記録
中国行きのスロウボート 村上春樹著 中公文庫
今更どうしてこの本なんだと言われそうですが、たまたま家で見つけたというだけです。
村上春樹は昔から好きで結構読んでいるんですがかなり適当です。
本も映画も音楽も新しいものに対するこだわりがないのです。
というか余程のものでなければ新しいものを選ぶ意味なんてないんじゃないでしょうか。
娯楽に限っていえば。
まあそんな話はさておき、この本の話を。
村上春樹の最初の短編集で表題作を含め、七つの短編が入っています。
どの短編も読みやすいし、小説を書くというのがどういう行為なのか、というのがテーマになっている気がします。
そういう意味ではつげ義春の漫画やエッセーを連想しました。
こういうのを読むと気が引き締まる思いがします。
私は小説を書かないんですけどね。
「午後の最後の芝生」という作品が一番よかったなあ。
たぶん小説を書くというのは芝生を刈るような行為であって、それ以上でもそれ以下でもないんでしょう。
サリンジャーの訃報を聞いたからそんなことを考えた訳じゃないんでしょうが。(ひ)
(ΘoΘ;)

幽霊

2009年12月11日 | 本の記録
徹子の部屋 08/05/12 1/3 

幽霊
北杜夫 新潮文庫
http://www.shinchosha.co.jp/book/113102/

どのくらいの方がご存じか分かりませんが、「みうらじゅんDS」というテレビ番組がありました。
多分BSとCSの両方でやっていたし、少し前にパルコ劇場でイベントをやったりもしていました。
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/v1390.html

これが恐ろしくディープな番組でして、みうらじゅんが青春時代ずっと書きためていた「ひとり同人誌」の内容を紹介していくというもの。
マンガ、詩、音楽をすさまじいペースで描き続けた、その異様なペースと内容にも驚かされますが、ずっと残し続け番組にまでしてしまうということもすごい。
ちなみにDSとは「どうかしている」の略です。

と、どうしてこんな話をしたかというと、「幽霊」を読んでいて「みうらじゅんDS」が頭に浮かんで仕方なかったからです。
文章は美しいし、幼年から少年、そして青年になろうとする、ひとりの若者を見事に描ききった文芸作品という評価はもちろんできるんでしょうけど、話として聞いたら相当「どうかして」ますよ。

だいたい、お前はどうしてそんなに虫のことしか頭にないんだ。
母親のことも恋も哲学的な思考も過去の思い出も、みんな虫を通してなんだ。
とか、いろいろ突っ込みたくなる。
でも、「みうらじゅんDS」で今現在のみうらじゅんが過去の自分を突っ込んでいるときのように、それは愛のあるツッコミなんですね。
「どうかしてる」とは思っているけど、「どうかしてる」ものなんですよ、みんな。
そんな過去の自分を無かったことにするかどうかだけで。
みうらじゅんのようにひとり同人誌を作っていない主人公は、自分の中に閉じこめていた記憶や感覚を徐々に紐解いていく。

自分の中にあった、ある感覚が不意にある過去の出来事や記憶につながって驚くことがあります。
そうか、だから、こんな景色が自分はすきなんだ、とか、この音楽が苦手なんだ、とか。
まあ、歳を重ねると、そんなことは考えなくなってきますが、若い頃にはそういうことがあったよなあ、と思ったりしました。

この小説は北杜夫自身のことも盛りこまれていますが、小説なので事実とは大分違っています。
どの辺までが本当のことなのか比較してみたくなりますが、そこも「みうらじゅんDS」に似ているかな。(ひ)