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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

楡家の人びと

2013年04月16日 | 本の記録
楡家の人びと
北杜夫/著
新潮文庫
http://www.shinchosha.co.jp/book/113157/

久しぶりに本の感想を書きます。
昨年、世田谷文学館で齋藤茂吉の展示を見た際、この「楡家の人びと」の詳しい紹介や楡家の再現模型まで目にして、ぜひこれは読まなければと思い、ようやく手に取ったものの、かなり分厚い本でした。
三島由紀夫を始めとする著名な作家たちが絶賛した本だということでかなり高い期待を持って読み出しましたが、それを上回るすばらしい本。
チェーホフの「桜の園」がすばらしい戯曲であるように、この作品もすばらしい。
「桜の園」とは話も時代もなにもかも当然違うんですが、喜劇というもののもつ力を改めて実感したという意味で思わず連想してしまったのです。

タイトル通り、この本は楡家の物語、しかも北杜夫の自伝的要素の強い作品として有名なのは多くの人がご存知の通り。
話は大きな私立病院を作り上げた楡基一郎を中心に始まります。
はたして医者としての腕が一流なのか疑問ながら、大きな野心を抱き、要領のよさとカリスマ性でのし上がった人物。
関東大震災によって病院を失いながらも青山の病院を再建し、世田谷にもうひとつ病院を作ろうとしたところで突然、基一郎が亡くなります。
その後、頼りない二代目院長徹吉がなんとか病院を経営していくというところまでは、楡家の人びとの勝手気ままな暮らしぶりがずっと描かれていきます。
ところが物語の後半、第二次世界大戦によって物語はガラリと様相が変わっていきます。
一番驚いたのは真珠湾攻撃が始まる前の新聞の見出しがずらりと並んだページ。
それまでの物語を破綻させるような、5ページほどもある大量の見出しが並び、フィクションに「現実」が侵食していきます。
齋藤茂吉が新聞に書いた記事の紹介が登場するのも印象的でした。
その後の後半は、ほとんどが戦争中の話で、楡家の人びとが相変わらず世間からずれた人びとでありながらたくましく生きていたかが描かれていきます。
といっても、戦争を生き抜いたことで何かを美化することもなく、悲惨な戦争があっても人間の本質は変わりようがないのだということが分かります。

物語に登場する数多くの登場人物が魅力的で数々のエピソードのそれぞれが印象に残ります。
北杜夫がこの本を書くきっかけになった「ブッデンブローク家の人々」にいつかチャレンジしたいと思います。
調べたら絶版みたいだけど。(ひ)

年末の積み残し

2013年01月03日 | 本の記録
○東京ディープぶら散歩
町田 忍 著
アスペクト文庫

○人生解毒波止場
根本 敬 著
幻冬舎文庫

あけましておめでとうございます。
新年初ブログなので、一応ご挨拶を。
昔は正月はお店も開いていないし、テレビはずっと正月特番だったので本を読んで過ごした記憶があるんですが、今は普段の休日と差がないくらい。
年賀状をやめてテレビもほとんど見ないなんて人だと正月らしさもほとんど感じないんじゃないでしょうか。

そんなことはともかく遅まきながら年末に読んだ本の感想を。
どういう年末を過ごしているんだ、と突っ込まれそうな2冊ですが。

町田忍の方はテレビでもおなじみの昭和文化に詳しい人物。
番組やメディアにあわせてライトな話題から相当ディープな話題までできる人だけに、こんなタイトルの本なら、と相当濃いものを期待したんですが、スカイツリー人気に便乗して作られた旅のお供の一冊という感じでかなりライト。
ファンとしては正直かなり物足りないものがありましたが、地図や写真満載なので、実際お出かけの際に携帯するには便利かもしれません。
銀座の奥野ビルや谷中の巨大サボテンは実際見てみたいと思います。


「人生解毒波止場」の方は恐ろしくディープな本でした。
冒頭に登場する歌う不動産屋(などと呼んでいいのだろうか? )川西杏の話でびっくり。
私は学生時代、千歳烏山とつつじヶ丘に住んでいたので、そういえばそんな不動産屋があった、確かに! と、当時の映像が記憶にはっきり蘇ってきました。
店の前に貼ってある写真のディープさに、引越し前にもこの不動産屋には入りませんでした。
当時の千歳烏山の駅前ってなんともいえない猥雑さが感じられるところでした。
まあ、バブルの頃までは日本中にそんなところがまだいっぱいあったんでしょうけど。
この本にはまだゲリラ的な仕事をしていた頃のテリー伊藤の話がでてきたりして、時間の隔たりというものを感じさせます。
読んでいて昔のことをいろいろと思い出す一冊でしたが、単に昔は良かったなあ、と振りかえるというより、80年代以降の日本って、ずいぶんしんどい時代を重ねてきたなあ、とても過去に帰りたいなんていうノスタルジーには浸れないなあ、という感慨に浸る本でした。(ひ)


ポロポロ

2012年11月29日 | 本の記録
ポロポロ
田中小実昌
河出文庫
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309407173/

先日、少し触れた田中小実昌の本です。
読んでいて圧倒された、というか、完全に振り回されました。
実体験を元にした短編小説といっていいんでしょうが、独特の文体と思考に完全にKOされました。
自分がまだ子供の頃、自宅で経験した不思議な話「ポロポロ」から始まって、少し先の太平洋戦争末期に中国戦線へ送られたときの話が続いていく。
自分が発言したことを常に否定しながら、遅々として先に進まない文で、果たして人の記憶とは何なのか、人はどうして「物語」に捕らわれてしまうのか、といった疑問が、作品が変わっても何度も繰り返されていく。

戦争がいかにおろかなことか、伝承していくことが大切だ、というのは確かでしょう。
でも、それを戦争中の悲劇を語ることで伝えるのに限界を感じるのも事実。
目的を持って人に伝える話はすべて「物語」でしかない。
物語になる前の現実というようなものがあるとして、それを私たちはどうやって伝えればいいのだろうか。
作者は物語という地雷を踏まないように気をつけながら、某かをつづろうとしている。
「羅生門」をつい連想してしまうのは私が物語に毒されている人間だからなんでしょう。
そんな中、最後には、冒頭の短編に登場する、言葉にならない言葉「ポロポロ」を唱え続ける作者の父のようになるしかないのか、と考えざるを得ない。

こんな感想を書くとひどく難解な話のように思われるかもしれませんが、難解になることすら否定したモノローグのような小説です。
難しくはないけれど、ずっと腑に落ちない。
作者に負けないくらい腑に落ちない気持ちを引きずりながら読んでいくしかない。
でも、読み終わったときに、戦争がほとほといやになります。(ひ)



一億三千万人のための小説教室

2012年11月24日 | 本の記録
一億三千万人のための小説教室
高橋源一郎著
岩波新書
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0206/sin_k74.html

新書って本当にあっという間に読み終わりますよね。
先日、池袋の某書店のカートに新書が山積みになっているのを見つけました。
多分、発売して一、ニヶ月程度しか経っていない本ばかり。
これって返本なんですよね、きっと。
ここは結構、大きい書店ですが、特に新書は最新のものばかり多くて、数ヶ月前に発売になった本が見つからないことが多い。
新書は新鮮さが命で、古くなったら雑誌のように処分される運命なんですねえ。
今流行の内容を扱った、読者を煽るような恥ずかしいタイトルのついた本は確かにずっと残るべきではないのかもしれませんが。
もちろん、新書だけでなく、単行本や文庫も似たような状態なんでしょう。
みんな裁断して処分するくらいなら、新刊を買った人は処分前の本を安く買える、というシステムを作ってくれればいいのに。
台湾のCDショップはそういうシステムをとっていたけど、その方がエコだし、買うほうもお得感がある。

そんなどうでもいい話を相当長く書きましたが、なんだか最近、新書を見ると哀しい気持ちになります。
この本も新書なんですが、10年ほど前に出版されていたもので、古本屋で買いました。
新書らしい、小説を書くためのハウツーものに一見見せながら、全然そんな本じゃないところがいい。
10年経っても全然古びない、新書らしくない落ち着いた本です。
小説の書き方について考えることで、小説に対する批評になり、その批評がひとつの小説作品になっているように思えました。
小説を書くための「意外な」ルールを著者がどんどん挙げていき、その「意外さ」に小説を書きたい「私たち」が驚くという構成になっているのですが、それが実に高橋源一郎らしい。
その世界の心地よさを楽しんでいるうちに、はっきり言って小説の書き方なんて忘れてしまい、著者の話術を楽しんでしまう。
まあ、私の場合、最初から、小説を書く気がないんですけどね。
とにかく、この作品で高橋源一郎は「小説の書き方を説明する高橋源一郎」という役割をきっちり果たしているように思えました。
なんてことを考えるのは、この本の後、田中小実昌の本を読んだからなんでしょう。
その理由はまた後日書きます。

それにしても「エミールと探偵たち」という本を読んだことがないんですが、この本に引用された部分を読むと相当面白そうですね。
ぜひ読みたくなりました。
特に序章の部分を。(ひ)


美味礼讃

2012年11月15日 | 本の記録
美味礼讃 (文春文庫)
海老沢 泰久
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167414047

いやあ、素晴らしいとしか言いようのない本です。
最近、本や舞台の感想で文句ばかり書いていた気がしますが、こういう傑作を前にすると平伏すしかありません。
辻調理師専門学校の辻静雄の伝記なんですが、人物伝としての面白さと作者の優れた文章力が相まって、読みながらひたすら唸るしかない。
唸っているうちに、500ページほどある本をあっという間に読み終わってしまった。

辻静雄は、「本物」のフランス料理を日本にもたらした人物。
文化の頂点のひとつともいえるフランス料理に出会い、それを日本に紹介したいという彼の熱意と、その熱意の裏側にあった焦燥や絶望感を、ぎりぎりまで無駄をそぎ落とした文章で伝えてくれる。

第一部のディナー・パーティーのところで、特にガツンとやられました。
「○○○○は×××していた」という恐ろしく簡潔な文章で次々と人物を登場させているだけなのに、すべての人物の性格や姿が匂いたつようにはっきり浮かび上がってくる。
あれ、この人って、どういう人だったっけ? なんて前のページに戻ることもまったくなかった。
表面上は何事もなく終わるパーティーの裏側に渦巻く人々の思いや、後の話の伏線になるワインや文化とは何かという問いかけまで入っているからすごい。
冒頭のこの話があってこそ、フランス料理を極めた男の評伝が、単なる成功の物語に終わっていないんでしょう。
表面上は成功を納め続けた男がなぜ喜びに浸りきれなかったのかが、何も説明されずに読者に伝わってきました。

その後はあえて、ヤマになるような物語をあえて作っていないのも見事でした。
ライバルとの対決とか、フランスにまで学校を作ってしまう辺りの話はもっと劇的にできるはずなのに、あえて一番盛り上る部分を外しています。

海老沢泰久の作品を読むのは今回が初めてです。
これからじっくりといろいろ読んでみよう。(ひ)





砂漠

2012年11月05日 | 本の記録
砂漠
伊坂幸太郎/著
新潮文庫
http://www.shinchosha.co.jp/book/125025/

伊坂幸太郎の本の中では正直いまいちでした。
他の作品同様、設定もストーリーの展開もうまくできているんですが、そのうまくできているところがなぜか鼻につく感じ。
単に主人公たちが大学生で、自分とあまりにも年齢差があるということもついていけない理由ではあったかもしれませんけど。
そう思うくらい、ここに出てくる登場人物にまったく感情移入できなかった。
だいたい5人の友情が不気味なくらい綺麗すぎる。
大学生の友人との関係っていうのは、よくも悪くももっと、ごつごつとぶつかり合うものじゃないのかな。
人との距離感をどう計っていくかでだいぶ苦労した記憶がある。
言い合いもケンカらしいケンカもなく、妙な仲間割れもなく、ずいぶんと大人なつきあいをしてるもんです、この五人は。
まあ、理想的な人間関係ではあるんだろうなあ。
こういうグループには入りたくないけど。

この作品は今まで読んだ伊坂幸太郎の著書の中では珍しく事件がさほど起こらない。
いつもの畳み掛けるように事件が起こっていく中なら、しつこいくらいの繰り返しのフレーズや、意外な展開というのもあざとく感じないのに、ゆっくりした速度で歩かれるとどうもアラが目立つ。
誰にでも分かりやすい作品を書こうとしている結果なんだろうけど、こういう作品にこの書き方はあわないんじゃないだろうか。(ひ)


かめくん

2012年10月18日 | 本の記録
ケンソウのこの一品

かめくん
北野 勇作 著
河出文庫
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411675/

まったく何の予備知識もなしだったんですが、タイトルと表紙に挽かれて買ってみました。
「いぬちゃん」を連想した、と書くと歳が分かるなあ。
読み終わってから作者について調べてみると、小説だけでなく新作落語も書いていて、劇団に所属する役者でもある人だそうです。
新作落語を書いていると分かって妙に納得。
かめが主人公の現実とは少しだけ異なる日常を描いていくSF小説というのは、新作落語になっていてもおかしくない感じ。
各章のタイトルや小道具にも駄洒落のような言葉が多い。
そういえば、何度か関西の落語家の新作で妙に凝った設定のSFみたいな落語を聴いたことがあります。
SFだと感じるのは、突飛な設定だけでなく、現実とは違う世界にいながら、私たちと共通する、一種哲学的な悩みを抱く主人公がいたりするからなんでしょう。
はっきり言って、落語だとそんな面倒な設定、鬱陶しいなあ、と思うだけなんですが、小説ならありです。

内容のほうですが、亀そっくりの外見の、人のように生活でき、会話もできる「かめくん」が仕事をリストラされて部屋と仕事を探すところからスタートします。
亀のような見た目で少し苦労するものの、部屋も仕事も見つかり生活を続けていくうちに、「かめくん」が人によって作られた亀そっくりの生き物で、宇宙開発や戦争にかかわる存在であることがおぼろげに分かってくる。
後半には「かめくん」が冬眠することになる状況が書かれていき、周囲の人々との別れが迎えるという、一応の結末らしい話があるんですが、多くの謎がはっきりと明かされないまま終わっている。

SF的な設定や後半のひたすら内省的になっていく「かめくん」には正直ついていけないところがありました。
冬眠して記憶を書き換えられた後の自分も同じ自分といえるのか、という疑問をもったり、「亀に似ている」人やものを見ると妙に共感したり、と自分について、ずいぶんと考えていたりして。

面白いのは主人公がかめだけあって、話の展開やものを考える速度がひどくゆっくりだということ。
文庫で300ページ弱の話なのに、物語はゆっくりゆっくり進んでいく。
「ねこくん」や「いぬくん」だったら、もっとペースも速いだろうし、人間との関係もこんなクールではいられないんだろうなあ。
また別の作品が文庫化されたら読んでみよう。(ひ)





大きな約束

2012年10月04日 | 本の記録
大きな約束
椎名 誠
集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746797-0

久しぶりに椎名誠を読みました。
雑誌に書かれている短いエッセーは読んでいますが、一冊の本をちゃんと読むのは久々。
そのせいなんでしょうか、この本はずいぶんと不思議な本に感じられました。
日本には私小説、もしくは私小説風なエッセーというのはずいぶんと多くて、自分の私生活に関する話を虚実交えて書いている作品で優れたものがたくさんあります。
この本もそんな内容なのですが、それにしても自由、というかラフだなあ。
話は脈絡なくどんどん変わっていくし、繰り返しになっている内容も多い。
途中で、話の飛び方について、開き直っているところもあって、笑ってしまった。
文章を読んでいるというより、椎名誠の話の書き起こしというイメージかな、別にそれはそれでいいんですが。

こんなに愚痴っぽい人だったっけ? と思うくらい、愚痴が多いのも特徴。
電車の改札機やいろんな施設のセキュリティなど、確かに便利で安全にしているという面もあるけど、すごくストレスフルな状況が今の世の中には多すぎる。
この作品が書かれた5年近く前より、その状況はどんどん加速していますが。
彼のように生きている人は特に軋轢も多くて大変なんだろうなあ。

個人的に印象に残ったのは、やはり食べ物の話。
椎名誠のエッセーに出てくる食べ物には数々やられてきましたが、この本では蕎麦に細かく切った長ネギを投入し、大量にラー油をかけて食べるというもの。
おいしそうだけど、試してみる勇気がなかなかわきません。
そういえば、都内の人気のあるラーメン屋や蕎麦屋を食べ歩く仕事をしたときの観想には笑ってしまった。
ラーメン屋や回転寿司屋には恐ろしい行列ができてるけど、確かにそこまでおいしいとは思えない。
世の中、不思議な方向に進んでいるなあ、と不思議な気分になりますね、食べ物からも。(ひ)





おおきなかぶ、むずかしいアボカド

2012年09月19日 | 本の記録
おおきなかぶ、むずかしいアボカド
村上 春樹 著
大橋 歩 画
http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=2250

村上春樹のエッセイ集。
これが村上ラヂオとしての2冊目で、既に3冊目が出ています。
1冊目も3冊目も読まず、なぜか、この本から読んでみました。
アンアンの連載しているエッセイだということが、ときどき、本文に書いてあるんですが、日常的な食べ物や過去の思い出といった、いかにも作家のエッセイ的話題の他はプロ野球やラティガンなど、あまり女性雑誌向けとはいえないものも多い。
そこは村上春樹だから、スポーツや演劇に興味がなくても十分楽しめる文になってはいるんですが。

特に、印象に残ったのはアボカドとオリンピックの話。
ハワイにいたという、アボカドの食べごろを見事に当てるというおばさんの話はいかにも村上春樹の話に出てきそうな人物。
果たして、そんな人物、本当にいるの、と眉唾な話を楽しむのが村上春樹好きとしては正しい態度なんじゃないでしょうか。
それにしても、アボカドの食べごろは本当に難しい。
6個で300円というアボカドを買って、連日食べているので、特に深く実感しています。

オリンピックの方は、テレビ中継を見ると興味をもてないけど、現地で見たらとてもよかったという話。
生で見るのはいいね、というだけの話ではなく、気持ち悪いほどナショナリズムの塊になっているオリンピック中継を見ると、日本が何個メダルを獲ったかという情報ばかりであることに疑問を投げかけている。
多分、中継する側も見る側も、あんまりスポーツとしてとらえてない、もしくはスポーツの捕らえ方がスポーツ好きと、オリンピック好きで違うということなんでしょうね。
日本の勝った競技の、日本の試合だけ見て、満足するという気持ちが今ひとつ理解できないんですよね、正直。
サッカーでも、卓球でも、なんでもいいですが、普段から世界選手権や各国の選手の活躍を見たうえで、競技の面白さや、世界のレベルの高さを感じつつ、日本選手の活躍を楽しむ方が感動も大きいだろうに。
なんて、余計なことをいろいろ考えて全然楽しめないんですよねえ、オリンピック。
日本とはまったく関係ないバスケットボールだけ見ていた変わり者としては、妙に共感してしまいました、村上春樹の話は。
スポーツ中継だけでなく、ニュースなんかも、国内情報の危うさを感じる日々ですからね。
それにしても、ニュースやオリンピック中継を放送する時間って昔より、増えている気がするのに、延々と同じ情報をループされているようにしか思えないのはなぜだろう。(ひ)




2012年09月10日 | 本の記録
無頼 阿佐田哲也の虚と実 5/5


色川武大 新潮文庫
http://www.shinchosha.co.jp/book/127003/

色川武大の本を読むのは、これで二冊目。
「あちゃらかぱいッ」は浅草の演芸についての本でしたが、こちらは小説。
ところが物語の語り手はほぼ同じ人物なのに驚きます。
軽い奇形として生まれたというコンプレックスを抱き、学校にはろくにいけず、やくざな人生をおくらざるをえなくなった人物。
あまりにも重なる部分が多すぎて、どこまでが作者の実体験なのかわからなくなってくる。
小説なんだから、本当のことを書く必要はないんですけどね。

四つの短編が入った作品集なんですが、自分と弟、そして父の三人が登場している。
語り手の呪術のようなモノローグを聞いているうちに、こんな話はどこかで読んだんじゃないだろうか、いや、自分自身が過去に同じようなことを考えたのかもしれない、などと思えてくる。
親子、兄弟、夫婦という狭い人間関係の中で、いかんともしがたい状態に置かれている人たちの状況がひたすら描かれていく。
最後に入っている短編「永日」では、百歳近くなった父をめぐる家族の物語が書かれているが、もはや現実に生きている父よりも、父と自分との関係のみがその存在感を見せている。

それにしても、淡々とした、堂々巡りのようなモノローグには一度読むとやめられない中毒性がある。
そして、しつこく繰り返されている説明の先に、まったく触れられずに存在している真実があるような気がしてならない。
そんな小説でした。(ひ)