暇に飽かさたな。

はまやわらかいブログ。

なんでやねん

2007-01-20 22:52:56 | Weblog
 My little loverの"Alice"のリピート数が、そろそろ二ケタ台に乗るころだ。青春ドンピシャの曲は、いつ聴いても楽しくなる。


 最近、国語が得意になってきた気がする。塾で国語の先生をしている関係で、本気になって文章を読む機会が前より増えたからだろうか、と類推する。塾で中学生に教えていて一番楽しいのは、間違えなく国語だ。理科は一番つまらない。あんなものは科学ですらないと思う。どこかの誰かが、「理科を英訳すると"Japanese science"だよね」といっていたけれど、それではまるでJapaneseという形容詞が悪い意味に見えてしまうではないか。それならむしろAmeri...とかやり始めると無用な議論に巻き込まれることになるのでやめておく。


 中学校の理・社は、やはり「事実の暗記」に重点があることは否めない。そして、私はそれを必要悪だと思う。科学は、その常識が覆る瞬間に、そのドラマツルギーが最高潮に達する。コペルニクス的転回と言おうが、クーン流にパラダイムシフトと呼ぼうがそれはどうでもいいけれど、とにかくそのとき、僕らは(とすっかり科学者の仲間入りをした気になっているが)、最高に「ハイ」になる。


 だからこそ、中学生には常識を知ってもらいたいのだ。はっきり言って、どんなに精巧にデザインされた実験を見せようと、もうちょっと年をとってから簡単な式変形でかっこええ結果を得ようと、「普通は」どうなるか、と言うことを知らなければ面白くないだろう。アメリカの独立後、フランス革命が起こったことを知らなければ、フランスにも自由の女神があることを教えられても、トリビアの域を越えない。ビビる大木でもなければ15へぇ止まりだろう。


 私は、そういう意味で、中学校での教育は「恐ろしく長い前振り」だと思っている。じきに、すっげえ面白いことに出会うその日まで。今日の話はそのための伏線だ。あとは君がなんでやねん、と突っ込めば、対話が始まる。


(追記)
 なんでやねん、というのは、なんと科学的な反応だろう。私にはその理由がわからない、それはおかしいのではないか?という問いかけ。そう、いつも心の中に西川きよしを。(別に誰でもよいのだが・・・。)

メッタメタのスッタスタにやられる

2007-01-20 00:16:32 | Weblog
 統計力学の教科書でよく見る、自由エネルギーにたくさん谷のある図。準安定状態を絵解きするために描かれるこの図は、その横軸が何なのか?という非常に初歩的な問いですでに瓦解してしまう、というコメントを、以前田崎先生の熱力学の教科書で見たことがある。


 きっと、田崎先生は準安定状態などという微妙なもんを平衡の枠内でとらえようとする態度自体を問題視してらっしゃるのだろうと類推する。以前の集中講義でもそのようなことをおっしゃっていた記憶がある。メタスタやるならまともにダイナミクスに戻れ、と。


 その一方で、物理で昔から用いられてきた処方箋としては断熱近似がある。遅い奴は止める。早い奴は熱になる。こうすることで、複雑な問題が比較的単純な問題×2で表現できることになるからおいしい、という話だ。これなら、手法的には平衡の枠内でメタスタを扱える気がする。


 私は今、この断熱近似側からスピングラス相というまぁ一種の準安定状態を調べている。そうすると、やはりつまずくのだ。これは、とても面白い。


 簡単に「つまずく」と言ったが、これはどういう意味かというと、「答えらしきものは(かなりズルをすると)出るが、それは不正解であることが示せる」ということだ。じゃあ他に正解があるんじゃないか、と当たりをつけていくが、結局最後に残るのは、「消去法で消去されない何か」であって、積極的にそれが正解だ!といえる類の代物ではない。で、そのつまずきが「ズル」に依拠しているのかその本来的困難なのかは決して明らかではないけれども、ある意味でメタスタの本質的な性質が、「ズル」が失敗する一因になることがみてとれる。この辺が、私が面白いと思う点だ。


 こういったことを調べ始めてまだ数ヶ月しか経っていないが、最近の気持ちは、やっぱり最後の決め手はダイナミクスなのかな、ということだ。今の作業に入る前までは、「平衡でわかることだってきっとあるはずだよね」という、言ってしまえば楽観的な、しかし今の私の能力ではそれがある意味でセカンドベストな考えでいた。そしていろいろやって、あれでもないこれでもない、と暗がりを手でまさぐって落し物を探してみたら手ごたえはあるのだけれども、どれが本物かなんて暗くてよく見えない。そもそも本物が手に触れているのかどうかだって怪しい。


 しかしその一方で、やや自己卑下も込め、このように思う。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったものだ、と。怖い怖いと思っているとススキまで幽霊に見えてしまうことを言ったものだけれども、それとは逆に、難しい難しい、と思っていると、今いじっていないもの・見ていないものが正体のように思えてしまう。けれども、それはホントはただの枯れ尾花なのかもしれない。けどホントのホントは幽霊なのかもしれない。それはわからない。わからないからつい期待をしてしまう。


 そして、そんな物理川柳を。


 メタスタの
   正体見たり
     うときもの

            架空の原点を設定したがる我、詠む。