My little loverの"Alice"のリピート数が、そろそろ二ケタ台に乗るころだ。青春ドンピシャの曲は、いつ聴いても楽しくなる。
最近、国語が得意になってきた気がする。塾で国語の先生をしている関係で、本気になって文章を読む機会が前より増えたからだろうか、と類推する。塾で中学生に教えていて一番楽しいのは、間違えなく国語だ。理科は一番つまらない。あんなものは科学ですらないと思う。どこかの誰かが、「理科を英訳すると"Japanese science"だよね」といっていたけれど、それではまるでJapaneseという形容詞が悪い意味に見えてしまうではないか。それならむしろAmeri...とかやり始めると無用な議論に巻き込まれることになるのでやめておく。
中学校の理・社は、やはり「事実の暗記」に重点があることは否めない。そして、私はそれを必要悪だと思う。科学は、その常識が覆る瞬間に、そのドラマツルギーが最高潮に達する。コペルニクス的転回と言おうが、クーン流にパラダイムシフトと呼ぼうがそれはどうでもいいけれど、とにかくそのとき、僕らは(とすっかり科学者の仲間入りをした気になっているが)、最高に「ハイ」になる。
だからこそ、中学生には常識を知ってもらいたいのだ。はっきり言って、どんなに精巧にデザインされた実験を見せようと、もうちょっと年をとってから簡単な式変形でかっこええ結果を得ようと、「普通は」どうなるか、と言うことを知らなければ面白くないだろう。アメリカの独立後、フランス革命が起こったことを知らなければ、フランスにも自由の女神があることを教えられても、トリビアの域を越えない。ビビる大木でもなければ15へぇ止まりだろう。
私は、そういう意味で、中学校での教育は「恐ろしく長い前振り」だと思っている。じきに、すっげえ面白いことに出会うその日まで。今日の話はそのための伏線だ。あとは君がなんでやねん、と突っ込めば、対話が始まる。
(追記)
なんでやねん、というのは、なんと科学的な反応だろう。私にはその理由がわからない、それはおかしいのではないか?という問いかけ。そう、いつも心の中に西川きよしを。(別に誰でもよいのだが・・・。)
最近、国語が得意になってきた気がする。塾で国語の先生をしている関係で、本気になって文章を読む機会が前より増えたからだろうか、と類推する。塾で中学生に教えていて一番楽しいのは、間違えなく国語だ。理科は一番つまらない。あんなものは科学ですらないと思う。どこかの誰かが、「理科を英訳すると"Japanese science"だよね」といっていたけれど、それではまるでJapaneseという形容詞が悪い意味に見えてしまうではないか。それならむしろAmeri...とかやり始めると無用な議論に巻き込まれることになるのでやめておく。
中学校の理・社は、やはり「事実の暗記」に重点があることは否めない。そして、私はそれを必要悪だと思う。科学は、その常識が覆る瞬間に、そのドラマツルギーが最高潮に達する。コペルニクス的転回と言おうが、クーン流にパラダイムシフトと呼ぼうがそれはどうでもいいけれど、とにかくそのとき、僕らは(とすっかり科学者の仲間入りをした気になっているが)、最高に「ハイ」になる。
だからこそ、中学生には常識を知ってもらいたいのだ。はっきり言って、どんなに精巧にデザインされた実験を見せようと、もうちょっと年をとってから簡単な式変形でかっこええ結果を得ようと、「普通は」どうなるか、と言うことを知らなければ面白くないだろう。アメリカの独立後、フランス革命が起こったことを知らなければ、フランスにも自由の女神があることを教えられても、トリビアの域を越えない。ビビる大木でもなければ15へぇ止まりだろう。
私は、そういう意味で、中学校での教育は「恐ろしく長い前振り」だと思っている。じきに、すっげえ面白いことに出会うその日まで。今日の話はそのための伏線だ。あとは君がなんでやねん、と突っ込めば、対話が始まる。
(追記)
なんでやねん、というのは、なんと科学的な反応だろう。私にはその理由がわからない、それはおかしいのではないか?という問いかけ。そう、いつも心の中に西川きよしを。(別に誰でもよいのだが・・・。)