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はまやわらかいブログ。

Proof with Fool-Proof

2006-12-04 00:04:11 | Weblog
 Fool-Proofとは、辞書的に言えば「よく知らない人が使っても、簡単には壊れたりしないよう作ってあるもの、またはそういったことの総称」とでもなろうか。たとえを挙げれば家電。あれはどういじろうと(分解でもしない限り)壊れたりしない。リモコン操作だけでテレビを壊した、という話を、少なくとも私は聞いたことがない。


 しかしだんだん専門的なものになってくると、こうはいかない。例えばパソコン。近年はどんどんFool-Proofに作られてきてはいるものの、まだ家電と同レベルには至っていないと思う。今向かっているパソコンを物理的な方法以外で壊せるか?というチェック項目は、あなたがよいハッカーか否かの判断基準になりうると思う。


 では、話を数学に移そう。Fool-Proofな数学とはいかなるものか。


 たとえば方程式の解法や、図形の作図問題。こういったものたちは、教えてもらえばすぐに使えるようになる。なぜなら、これらは使ってみようと思える問題に対しては必ずと言ってよいほどその前提条件を満たしているからだ。逆に言えば、3次方程式に2次方程式の解の公式を使おうと思う人はいないし、定規だけで円を作図しようとは決して思わない、ということだ。


 ところが、解析学はそうではない。扱う対象が「関数すべて」だから、よくわからん関数を微分したり積分したり「してみたい」と思ってしまうのだ。そんな時、微分可能でない関数を微分したりして矛盾を導いてしまう。それは、今扱っている問題を「壊してしまった」ことに対応すると思う。


 これは、数学を一種の装置として扱う人たちにはよくわかると思う。特に物理学者は、数学を「酷使」する。(これは誇張ではないと思う。むちゃくちゃな使い方をするからだ。)そんな風に酷使して、物理的に意味のある結果を引き出すことができればあとは野となれ山となれ、というわけだ。


 でも、それは決して意味のないことではない。人が機械の仕組みについて学ぼうと思うとき、まず最初にすることが分解であるのと同じように、きっと数学を壊しながら、物理は進歩していくのだ。


 だけど壊しっぱなしでは数学に悪い。だからといって、誰かが修理専門でやっている、というのもあまりない。(数理物理学者という人たちの中には、こういうことをやっている人もいるので一概にいないとは言えない)それなのに、今の物理はそれほどガタが来ている感じはしないし、むしろどんどん前に進んでいるように見える。


 そう考えると、きっと物理は、「壊してみて、先に進んでみて、様子がわかってきたらちゃんと直す」というプロセスを踏んでいるのだ。おそらく。まるで見てきたように言っているが、そんなものは見えないので本当のところはどうかわからない。しかし、素粒子物理が幾何を牽引しているという事実はこの傍証になりうるだろう。




 Fool-Proofなものが一番いいというわけではない。その本来持っている機能を犠牲にして、形式を整備しているわけだから。Fourier解析のように、ちょっとやそっとで壊れてしまうものでも(Fourier和がもとの関数に収束しない関数などいくらでもある)、物理では頻繁に用いられ、こわれないように慎重に扱いながら先へと進んでいく。その綱渡り感を習得することが、物理の計算を習得するということなのだろう。実を言うとそれは勘と経験の世界。一子相伝の北斗真k・・・。