形而上的癒しの根源~イスラム教から(4)
2015・3・24
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ムハンマド(モハメッド)は、数ある言葉を
クルアーン以外に残し、それらは、”伝承”、
または、”ハディース”として、後世に語り
伝えられている。
たとえば、
“宗教とは智恵を伝授しあうことである。”
とか、
“イスラームという宗教は善行を薦める”
とかいうような言葉がある。
善を行うために、智恵が不可欠だ。
智慧とは何か?、
それを分かりやすく詩の形で残したのが
メヴァラーナ(イスラム教聖者)だ。
だから、彼の詩は、イスラム教の聖典
クルアーンをわかりやすくまとめた、
”聖典のエッセンス”ともいわれている。
メヴァラーナは、智慧と善行を行うための、
智慧と倫理(りんり)の関連性を次のよう
に説く。
智慧ある人は倫理に優れる。
イスラム教で倫理的な言葉を意味するものは、
アダブ(#1) といわれる。
善をなす、つまり、”アダブ”が実現されるための
唯一の条件、それは、心の底からそれを行う
”真摯な誠実さ” だとする彼は、まず、アダブ
の実践に、”ねたみ、うそ、偽善 中傷を慎む
事から始めよう” という。
具体的には善行を行うにあたって、避けるべき事を、
次のように定義している;
①*野心;
野心はそれを持つものの目を曇らせ、耳をふさぎ、
理性の働きを鈍らせる。
その結果野心を持つものの心は外部から遮断され、
無知へと転落する。
②*嫉妬;
嫉妬は習慣のうち最も悪いものであり、すべて
の欠陥と過失の種である。
③*中傷;
中傷、影口の類は、人の肉を食うも同然の
忌まわしい行為である。
それを行うものの口が、悪臭を放つ事を
神はよくご存知である。
④*高慢;
かつて天使であったものが罰を受け、永遠
に神の赦しを得ることなく、悪魔となって、
さまよっている。
すべて高慢さから来たものである
⑤*富への執着;
富への執着とは、喉に詰まったワラである。
現世の名誉や財産に目のくらんだ人々の喉に
詰まっているこのワラは、永遠の至福の源
となる生命の水が、喉許を過ぎ体内に浸透
するのを邪魔している。
⑥*賄賂;
賄賂がまかり通ると、正義は麻痺し、秩序は
乱れる。
人々は混乱し、暴君と名君、圧制と善政の
判別ができなくなる。
⑦*他人の欠点をあげつらうもの;
そもそも人間は、自分の短所の数々を、気に
病まずにはいられない。
一旦、気づけば、何とかして直そうと躍起
になる。
そして、他人のことなど構っている余裕は
なくなる。
それでも、他人の欠点や短所をあれこれ詮索
するのは、結局は自分の欠点を受け入れらず、
他人に押し付けようとしている場合が
ほとんどである。
⑧*うそ;
”うそ”は言うものも言われるものも
心の疑念を呼び覚まされ、気の晴れること
はない。
だが、真実は常に心に平穏と安定をもたらす。
こうした簡単でわかりやすい言葉で
人の陥りやすい心のわなに、注意の喚起を
呼びかける一方、”善行”の資質を次のように
定義している:
①*謙虚さ;
謙虚さはその人の価値を高める美徳である。
実を結ばない木の枝は空高く伸びる。
それにひきかえ、たわわに実る果実を
つけた枝は垂れ下がる。
果実が実れば実るほど、体はその重みで
垂れ下がるが、地面に触れて泥に汚れぬ
ように、必ず添え木が差し出され、支えて
もらえる。
謙虚さについては、預言者ムハンマドが
その好例である。
彼こそは、現世と来世双方の果実を一身
に集めた、世にも珍しい貴重な枝である。
②*寛大さ;
心優しく、寛大な者が貧者に救いの手を
差し伸べるとき、その手は楽園の木々に
触れているのだ。
彼が貧しい隣人たちのために費やしたものは
審判の日に再び彼の手元に帰される。
③ *約束の尊守;
約束を実行するかどうかが、その人の誠実さ
を測る物差しとなる。
誠実な人だけが賞賛するに値する。
④*怒りを鎮める;
怒りの感情が湧き起こっても、それを抑制
することが出来るものは、神の怒りをも
免れるものたちだ。
⑤*忍耐;
忍耐こそ、救済の鍵である。
忍耐はあらゆる種類の困難を取り除く。
その他にも 勤勉、災難から学ぶ事、吝嗇を
避けること、暴飲暴食、惰眠を控える事、
つつしみ深くあることなどを 持つべき美徳
として挙げている。
その語り口は、わかりやすく説得力に
富んでいる。
こうした行為の基盤にある、アダブ を
頭だけで理解して、智恵として心に蓄え
ただけでは、意味はない。
“それが実行されない限り、何の意味も
もたない。
ただ、舌や耳で繰り返すだけであるなら、
それは、愚者が賢者から借りてきた衣装
に過ぎない”
と言う。
これらの善行と悪行との違いを意識し、
実践することがセルフコントロールに
つながり、自分の身を外界の誘惑から
守る事ができると考えた。
それを可能になったとき、アダブ と
呼ばれる倫理的美的所作と、善事の智慧
を身に着けていると、賞賛に値する人物
になれるのだ。
そして、その過程では アダブを、すでに
身につけた人を友人として選ぶ事の大切さ
も補足している。
“さあ、行くが良い。
そして助け手となれ。
あなたの助けを必要としているものがいる。
案ずるな、時は常にあなたに味方するだろう。
時は、決して恩を忘れたりしないから。
ずべてのものが、いつかはこの世から立ち、
去る富も財産もあの世に持ってはいけない。
あなたも、いつかはこの世から去る日が
必ず来る。
その時の、現世の置き土産には何より、
喜ばれるものがある。
富よりもたった一つの善行、そのほうが
はるかに勝るのだ“(四行詩集 88)
*1 、【礼儀作法、優雅さ、道徳を意味する
参考;“JALAL AL-DIN AL RUMI’
A Muslim Saint, Mystic and Poet Original title;
Mevlana Celaleddin Rumi
Written by Prof.Dr.Emine Yeniterzi
Translated to English by Prof.Dr.A.Bulent Baloglu
日本語版 神秘と詩の思想家
メヴァラーナ トルコ・イスラームの心と愛 2006年
丸善プラネット株式会社 訳 西田今日子