goo blog サービス終了のお知らせ 

自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宇宙飛行士の感想:豚の群れの自殺同様とは?

2013年05月30日 | 健康のための心の波動


宇宙飛行士エドが見出した希望  平成25年5月30日

*************************************

エドの落胆 

冒頭タイトル、”豚云々”はエドの言葉をそのまま借用した。

彼の落胆も こう考えて故のものだったから。

それは おいおい、今日のお話しの中で・・・・

 

さて、私は、昨日も引用させていただいたエドの言葉

(立花隆氏訳)を読みながら、心から共感を覚えていた。


それは、アポロの宇宙飛行士というスポットライトを

当てられ、華やかな舞台にたちながら、”生きる” 

ということへの真摯な疑問を、宇宙の空間に漂いながら 

問い詰めたエドの 心奥の葛藤への共感でもあった。


或いは、エドの一人の 求道者の姿 への感動だった。

昨日のブログの引用の中にあるように、彼は、

宇宙工学・科学の中でいうところの、

科学的真理 と 自分の所属していたキリスト教会の、

ファンディメンタルな、信仰、聖書に書かれていることが

すべて真理だとする教理の間にあるギャップ、

自分の存在性と人生の意義、生命の発生についてなど、

疑問を心に抱いて葛藤する日々が続いたという。

 

それらの質問を、彼が、宇宙空間でたった一人、飛行船外に

放り出された状況になったとき、眼下に美しい地球を

見ながら、再度、自分自身に発するのだ。

そして、不思議なことに、それらの疑問が、一瞬のうちに、

解決してしまう。


何十年悩み続けた答えの回答を、こうして宇宙空間の

真空の中で得たのだった。

それはまるで、光明に照らされた闇が あっという間に、

分散してしまうように瞬時の出来事だったいう。


こうして、

一つの 真理の帰結を受け入れ、神との一体感と、至福 

を得たエドだった。

 

ところが、数時間しないうちに、地球に向かう宇宙船の中で 

エドは 深い絶望感に 打ちひしがれる。

彼の言葉を引用する。

 

“ 真理がわかったという喜びにつつまれていた。

今、自分は神と一体であるという、

一体感が如実にあった。それからしばらくして、

今度はたとえようもないほど深く暗い絶望感に襲われた。


感動が収まって、想いが現実の人間の姿に及んだ時、

神とスピリチュアルな意味で一体であるべき人間が、

現実にあまりにも あさましい存在の 在り方をして

いることを思い起こさずにはいられなかった。


現実の人間は、エゴのかたまりである

さまざまのあさましい欲望、憎しみ、恐怖などに

とらわれて生きている。


自分のスピリチュアルな本質などはすっかり忘れて

生きている。

そして、総体としての人類は、まるで狂ったブタの群れが

暴走して崖の上から、海に飛び込んでいくところで

あるように行動している。


自分たちが集団自殺しつつあるということにすら、

気づかないほど、愚かなのだ。“

 

そう考えながら、エドは絶望していく。

地球に戻り、彼は、この至福感と絶望感の 極端から

極端といえる感覚の波の狭間に揺れた体験を基に、

真理の確信への努力に励む。


もっと、大きな法則をみつけようと様々な哲学書や

宗教書を読み漁り、ついに、宇宙で味わった神との

一体感は 特定の神ではなく、キリスト教を越えた神

であることを知る。


と同時に、宗教が 組織化された場合の矛盾 について、

エドは次のように述べる。

 

“ 宗教は教団として組織化されることから生じた、

真理の道の踏み外しがある。


すべての宗教は偉大なスピリチュアルな真理を掴んだ

指導者の教えに始まる。

しかし、信者は、その教えの本質を十分に理解しない。


 各宗教の教祖となったような人々は、イエス、ブッダ、

モーゼ、モハメッドにしても、あるいは、ゾロアスター

や老子にしてもみな、人間の自意識の束縛から脱して、

スピリチュアル・ワンネス(筆者:精神的同一体)

触れた人々なのだ。


だから、彼らはみな、同時に超能力者でもあった。

彼らは奇跡を起こした。 ・・略・・


しかし、その教えを受けて、追随した人々のほうは、

自意識の束縛から逃れきれていないために、教えられた

真理をそこまでの深みまで理解把握していない。


だから、指導者が世を去ると、信者集団はスピリチュアル

な道理から人間的自意識の側に引き戻されてしまう。


そして、教団が組織され、教団全体として、ますます

原初の真理から離れて行くことになる。

教団化された既成宗教は、どれをとっても、今や

真のリアリティー-スピリチュアルなリアリティー

から離れてしまっている。“

 

 そして、エドは独自な方法で、”万教が帰一する一つの真理”、

に たどり着く。


何故 独自な方法が必要だとかんがえたのか?

引用する。


“ 硬化している、既成宗教の枠組みで語ろうとすると、

その宗教の伝統 の 重みにからめとられてしまう・・・

伝統による 人間の意識の束縛 は 大きすぎるほど

大きい“

からだと 指摘する。

 

エド独自な方法 とは、宇宙飛行士 という特権を

生かしたものだった

なぜなら、

“ 宇宙空間に出れば、虚無は真の暗黒として、存在は光

として、即物的に認識できる


存在と無、生命と死、無限と有限、宇宙の秩序と調和

といった、抽象的概念が 抽象的にではなく、即物的に

感覚的に 理解できる


歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経て やっと

獲得できた感覚を、われわれは宇宙空間に出るという

行為を通して容易に獲得できた“とする。

 

エドは 人間のエゴに対して落胆 はしたものの、

キリスト教や既成宗教を越えたところの、宇宙の意思

無限に進化をしていくエネルギーに触れて、

人間がエゴを捨て、宇宙意識を高めることで

宇宙の壮大な計画に協力できるだろうと確信する。

 

だからこそ、次の確信を得て、こう、語るのだ。

 

“ 進化の方向ははっきりしている。人間の意識が

スピリチュアルに より拡大する方向に向かう“

 

その時は イエスやブッダやモハメッドという、

宗教の開祖として方向性を示してきた先導者に、

われわれ自身が限りなく追い付いていくのだという。


ユングは、集団無意識 をわれわれ人類が共有して

いるとするが、エド・ミッチェルは 集団無意識 を 

ユングとは、違う意味合いで使う。

 

“ 集団無意識の根拠は 人間が原始時代から

蓄積した経験の集積に求められるべきではなく、

エゴから離れた意識の面 において、

すべての人間がそれぞれ神に連なっているのだ 

ということに求められるべきであると思う“

 

私たちは アートマにおいてつながっている~

ということを彼独自の言葉で語っているような気がする。


神の意識、あるいは 宇宙的思惟 はわれわれの生命

を貫き合わせている。


そこには、物理的境界線を引きようにも引きえない。

私たちは、ここにおいて、地球ファミリー という言葉の 

”実体感” を感じざる得ないだろう。

 

 

 

 

Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする