宇宙飛行士エドが見出した希望 平成25年5月30日
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エドの落胆
冒頭タイトル、”豚云々”はエドの言葉をそのまま借用した。
彼の落胆も こう考えて故のものだったから。
それは おいおい、今日のお話しの中で・・・・
さて、私は、昨日も引用させていただいたエドの言葉
(立花隆氏訳)を読みながら、心から共感を覚えていた。
それは、アポロの宇宙飛行士というスポットライトを
当てられ、華やかな舞台にたちながら、”生きる”
ということへの真摯な疑問を、宇宙の空間に漂いながら
問い詰めたエドの 心奥の葛藤への共感でもあった。
或いは、エドの一人の 求道者の姿 への感動だった。
昨日のブログの引用の中にあるように、彼は、
宇宙工学・科学の中でいうところの、
科学的真理 と 自分の所属していたキリスト教会の、
ファンディメンタルな、信仰、聖書に書かれていることが
すべて真理だとする教理の間にあるギャップ、
自分の存在性と人生の意義、生命の発生についてなど、
疑問を心に抱いて葛藤する日々が続いたという。
それらの質問を、彼が、宇宙空間でたった一人、飛行船外に
放り出された状況になったとき、眼下に美しい地球を
見ながら、再度、自分自身に発するのだ。
そして、不思議なことに、それらの疑問が、一瞬のうちに、
解決してしまう。
何十年悩み続けた答えの回答を、こうして宇宙空間の
真空の中で得たのだった。
それはまるで、光明に照らされた闇が あっという間に、
分散してしまうように瞬時の出来事だったいう。
こうして、
一つの 真理の帰結を受け入れ、神との一体感と、至福
を得たエドだった。
ところが、数時間しないうちに、地球に向かう宇宙船の中で
エドは 深い絶望感に 打ちひしがれる。
彼の言葉を引用する。
“ 真理がわかったという喜びにつつまれていた。
今、自分は神と一体であるという、
一体感が如実にあった。それからしばらくして、
今度はたとえようもないほど深く暗い絶望感に襲われた。
感動が収まって、想いが現実の人間の姿に及んだ時、
神とスピリチュアルな意味で一体であるべき人間が、
現実にあまりにも あさましい存在の 在り方をして
いることを思い起こさずにはいられなかった。
現実の人間は、エゴのかたまりである。
さまざまのあさましい欲望、憎しみ、恐怖などに
とらわれて生きている。
自分のスピリチュアルな本質などはすっかり忘れて
生きている。
そして、総体としての人類は、まるで狂ったブタの群れが
暴走して崖の上から、海に飛び込んでいくところで
あるように行動している。
自分たちが集団自殺しつつあるということにすら、
気づかないほど、愚かなのだ。“
そう考えながら、エドは絶望していく。
地球に戻り、彼は、この至福感と絶望感の 極端から
極端といえる感覚の波の狭間に揺れた体験を基に、
真理の確信への努力に励む。
もっと、大きな法則をみつけようと様々な哲学書や
宗教書を読み漁り、ついに、宇宙で味わった神との
一体感は 特定の神ではなく、キリスト教を越えた神
であることを知る。
と同時に、宗教が 組織化された場合の矛盾 について、
エドは次のように述べる。
“ 宗教は教団として組織化されることから生じた、
真理の道の踏み外しがある。
すべての宗教は偉大なスピリチュアルな真理を掴んだ
指導者の教えに始まる。
しかし、信者は、その教えの本質を十分に理解しない。
各宗教の教祖となったような人々は、イエス、ブッダ、
モーゼ、モハメッドにしても、あるいは、ゾロアスター
や老子にしてもみな、人間の自意識の束縛から脱して、
スピリチュアル・ワンネス(筆者:精神的同一体)に
触れた人々なのだ。
だから、彼らはみな、同時に超能力者でもあった。
彼らは奇跡を起こした。 ・・略・・
しかし、その教えを受けて、追随した人々のほうは、
自意識の束縛から逃れきれていないために、教えられた
真理をそこまでの深みまで理解把握していない。
だから、指導者が世を去ると、信者集団はスピリチュアル
な道理から人間的自意識の側に引き戻されてしまう。
そして、教団が組織され、教団全体として、ますます
原初の真理から離れて行くことになる。
教団化された既成宗教は、どれをとっても、今や
真のリアリティー-スピリチュアルなリアリティー
から離れてしまっている。“
そして、エドは独自な方法で、”万教が帰一する一つの真理”、
に たどり着く。
何故 独自な方法が必要だとかんがえたのか?
引用する。
“ 硬化している、既成宗教の枠組みで語ろうとすると、
その宗教の伝統 の 重みにからめとられてしまう・・・
伝統による 人間の意識の束縛 は 大きすぎるほど
大きい“
からだと 指摘する。
エド独自な方法 とは、宇宙飛行士 という特権を
生かしたものだった。
なぜなら、
“ 宇宙空間に出れば、虚無は真の暗黒として、存在は光
として、即物的に認識できる。
存在と無、生命と死、無限と有限、宇宙の秩序と調和
といった、抽象的概念が 抽象的にではなく、即物的に
感覚的に 理解できる。
歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経て やっと
獲得できた感覚を、われわれは宇宙空間に出るという
行為を通して容易に獲得できた“とする。
エドは 人間のエゴに対して落胆 はしたものの、
キリスト教や既成宗教を越えたところの、宇宙の意思、
無限に進化をしていくエネルギーに触れて、
人間がエゴを捨て、宇宙意識を高めることで
宇宙の壮大な計画に協力できるだろうと確信する。
だからこそ、次の確信を得て、こう、語るのだ。
“ 進化の方向ははっきりしている。人間の意識が
スピリチュアルに より拡大する方向に向かう“
その時は イエスやブッダやモハメッドという、
宗教の開祖として方向性を示してきた先導者に、
われわれ自身が限りなく追い付いていくのだという。
ユングは、集団無意識 をわれわれ人類が共有して
いるとするが、エド・ミッチェルは 集団無意識 を
ユングとは、違う意味合いで使う。
“ 集団無意識の根拠は 人間が原始時代から
蓄積した経験の集積に求められるべきではなく、
エゴから離れた意識の面 において、
すべての人間がそれぞれ神に連なっているのだ
ということに求められるべきであると思う“
私たちは アートマにおいてつながっている~
ということを彼独自の言葉で語っているような気がする。
神の意識、あるいは 宇宙的思惟 はわれわれの生命
を貫き合わせている。
そこには、物理的境界線を引きようにも引きえない。
私たちは、ここにおいて、地球ファミリー という言葉の
”実体感” を感じざる得ないだろう。
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