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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

黒魔術*念の応酬(後編)

2013年05月19日 | 健康のための心の波動

インドで知った黒魔術の攻防戦  平成25年5月19日

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昨日の続きです。

前篇ではカーリー女神が乗り移り、サンスクリット語で太いチェーン

を振り回しながら、黒魔術師に”喝”(かつ)を入れた私の体験が

書かれている。

そして、この、”墓場の師匠” に対して、”お帰りください” 

とドアを開けて、追い出す形で失礼な態度をとったまで

のことを書いた。

 

”やはり、黒魔術師はあのあと、

私の突然の横柄な態度に大層

ご立腹されたのだ” と知った。  

この黒魔術師を紹介した、

Aさんの話だと、師の帰宅後、 

怒りが収まらず、私を罵倒し、

憤慨している様子を伝えてきた。

まわりの弟子達がそのタントラ

の師を、なだめているという。

”そんなに罵しらないでください。 

そんなに怒られては、お体に障ります。

怒りを吐き出していると、

マダム(須田のこと)が死んでしまい

ます” と懇願したらしい。

翌日Aさんが運転する車の中で、聞いた。

 

確かに、私の所に、師が帰って

間もなく、異様な重い波動が

届いていた。 

深夜2時ごろ、寝ている私の胸部

の上にドスンと何かが乗った。

衝撃で目を開けた。

胸に乗っている猫がいた。

顔が見えた。

私の顔を覗き込んでいる。 

薄明りで見ると、黒猫だった。 

そして、恨み節のような ミュウォ~

と、 今まで聞いたことの

無い、異様な泣き声をあげながら

寝ている部屋の周囲を歩き回った。

猫は、異臭のする分泌物を

そこかしこに垂れ流して、

その臭さで、私は、完全に目覚めた。

数時間後、夜が明けた。

メイドさんが来て驚いていた。 

ベッドの上にも下にも、糞尿ではない、

汚物はテンテンとベッドの周りに

残っていた。

念のために、お断りしておくが、

当時、猫を飼ってはおらず、この

黒猫は 明らかに野良猫だった。

インドには野良猫は多い、

が、人前に出没するようなことはなく

きわめて神経質で人に容易に近づく

ことはない。 

それにもかかわらず、まるで、

何かにコントロールされているか

のように、寝ている私の体の上

に飛び乗り まとわりついて、

人を起こすかのように、

おぞましい泣き声をあげ、

汚物をまき散らして行ったのは 

何故だったのだろう?

(余談だが、この事件を

きっかけに、無類の猫好き

の私は、猫の持つ霊媒的体質

の恐ろしさを実感して犬好きに

激変した。

その半年後には生後間もない、

ラサ・アプソー犬の、チュチュと

チャチャ兄弟が我が家のメンバー

となった。)

 

こうして、黒猫が消えてから、私は、

体を起こすことのできない朝を

迎えた。ベッドから起き上がれ

なくなっていたがそれほど、驚きも

しなかった。 

タントラの師からの波動を

十分に感じていたからだ。

それが原因だということが

わかっていたので対処しようもあった。

その日はどうしても、会社に、

出勤しなくてはならない日だった。 

 

このタントラ大師からの呪術の波動を

祓うことに集中した。

この状況下で、古神道の

’さすさつづ歌’ という、魔性を

払いのける祝詞(ことだま)

を選んだ。

朝7時から11時まで、4時間の間、

祝詞の波動でわが身を守り続けた。 

だるくて、起こすこともままならない

重い身体を這うようにして、ベッド

から降りて、Aさんが運転する

迎えの車に乗り込のだのは、14時を

回っていた。

 

心配そうに予期していたといわん

ばかりに、昨日の一部始終を見ていた

運転手のAさんは 

次の言葉を投げかけた。

”マダム、先生と会って、謝罪をした

ほうが、ご自分のためだと思います”

と。 

”それはできない。” 

と私は、答えた。 

黒魔術に屈するほど、柔(やわ)な 

”私” ではないという自負があった。 

タントラの師を追い出したのは、

カーリー女神でも、私でもなく、

たぶん、ドルガ女神の後押しという

気がしてきた。

だから、自分は守られている~

という 妙な自信もあった。

  

ここからが、本当に存在する”念の応酬”

の始まりだった。

"念の応酬”とは、悪い念を受けた場合、

受け止めた自分の力が大きい場合は、

その念は吐き出した本人の元に戻る、

ということ。

そして、万が一、その朝のように、

不覚にも受け取ってしまった場合は、

こちらがその念波を受けないように

防御すれば、よい。

が、時として、このような過程で

念波が行き場を失ってしまうと、

標的になった人の周囲の関係者が

とばっちりを受けてしまうことが

ある。

今回はそれが起きた。

同日、午後、気力で出社した私

はその時点で、すでにタントラ大師

からの念波は、避けられていた。

その代わりに、Aさんの奥さんの

Mに突然異変が起こった。 

その私がが会社に着いた時間と、

ほぼ 同時刻、Aさんの奥さんが 

自宅で、事故った。

彼女は、自宅の石の階段の 

一番上から転がり落ちて、

子宮から出血。 

出血が甚だしく、病院に緊急入院

したという知らせが、会社に着いた

夫Aさんのもとに届いた。

Aさんは血相を変えて、帰宅した。 

それを聞いて、私は、再び、

必死で祈った。 

以前、数回Mとは、おもてなしを

受けたことがある。

幼い二人の子供たちの顔も浮かんだ。

 

次の朝、A さんからMの状況に

ついての、連絡がはいった。

”昨晩、須田マダムが夢に出てきて、

’もうすぐ、楽になるから、がんばって’ 

と励ましてくれたそうです。 

体がずいぶん回復してきて、

夕方には 退院予定です” 

という朗報だった。

アニメ漫画なら描写できるだろう。 

赤く熱く燃えたぎった、怒りと

呪いの念は、火のボールのように、

投げられ、一直線に相手に届く。

相手がそれを、かわしたり、

受け止めない、強さがあれば、

怒りの炎に燃えた波動の球は、

また、投げた相手に戻る。 

戻れば、さらに、強い念で

投げ返されたボールは、

罪のない、関係者や、近親者に 

あたってしまう場合がある。 

霊的に無防備な人達、たとえば、

対象者の周りの子供や病人など

である。 

今回はAさんの奥さんであった。

Mが退院するや否や、そのボール

は次の標的を探した。

そしてそれが、Mの弟だった。 

 

 

Mが退院し、私の身体も平常

に戻り、ホットしたのもつかの間、

次の朝、明け方5時に、電話が

鳴った。

再び、Aさんからだった。

奥さんは夕べ退院しているはずだった。 

しかし・・・

その晩、Mの弟は、仕事から帰って

きて普通にしていたという。 

ところが、朝 3 時に、突然、苦しみ

だした。 そして、心臓発作が起きて、

そのまま息をひきとったという

信じられない訃報だった。 

元気な、健康な20代の若者だった。

このような出来事を、偶然だと

いって済ますこともできるだろう。

だが、波動を感じることのできる

私はこれらの不幸に、一連の関連性

を感じざるを得ない。

それにしても、このような事が実際、

自分の身に降りかかるのは、

どういうことなのだろう?

黒魔術は、決して入ってはいけない、

入る必要のない、領域だ。

 

もしかしたら、私自身の心の中に、

まだ、芽を吹くことなく幾世にも

置き去りに眠ったままの、

”黒い波動”が 残っていたのかも

しれない。

Aさん家族たちは、熱心なタントラ

信者だった。

何故、Aさんの家族に、不幸が

重なったのだろう?

たぶん、怒りで私をののしる師 

とその対象者の私の中間にいる、

身近な人たちだったからだろう。

Aさんの父上は 昨日述べたように、

師の側近の一人でもあったから

かもしれない。

Aさんの家族も、今ではその師とは

それ以来、遠ざかったと聞いた。

話はまだ終わっていなかった。

それから約一年後、再び、デリーを

訪れ、Aさん夫婦と会っていた。

その時、その黒魔術師は、あの事件から

一年後に亡くなり、さらに奥さんが、

その一年後に、夫の後を追ったことを

知らされた。

 

黒魔術 に 黒魔術 で対抗しても、

勝ち負けはなく、

ずるずると深みにはまっていくだけ

であることを、思い知らされた。

言い換えれば、怒りに怒りを、

憎しみに憎しみで対抗しても

何も生まれないということだ。

黒魔術の’黒’とはこの場合心の闇

(やみ)の暗さをさす。 

無智(むち)の事かもしれない。 

光 が無い状態だ。 

 

だからこそ、それを打破するために

ここで登場すべきは、’光’ である。 

それらの’闇’や’迷妄’を消すためには、

光しかない。  

光りを当てれば、影は消える。

最後に 昨日書いたような、ウンチ

のようなものが、どうして私の寝室

の壁にはりついていたか?という

こと・・

その中に ”綿の芯”が はいって

いたことはすでに昨日のブログで

書いた。

また、私の部屋は 一人住まい

だったので、誰かが入って

悪戯したとも、考えられなかった。

黒魔術をかけた先方の相手もわかる~

と言っていたタントラの師は、

具体的にその回答を出していた。

当時働いていた、日印合併企業の

創立当時からの日本人役員が 

他のインド人役員の持つ株を買い

取って、私は、その印度人社長

の後任を任されたばかりだった。

そうした、転換期に職を失った

インド人社員もおり、目には見えない、

確執があったようだ。

辞めたインド人元社長一派から、

私は 不信をかっても仕方が

なかった。

 

会社に勤めていた人の中で、

恨まれる節はあるか?と 

タントラの師に、聞かれたとき

その印度人社員の顔が浮かんだ。

私たち新参者の日本人のスタッフ

に 反抗的でもあり、本部の

日本人経営者からは 彼を

リストラするようにという、

社命が私に下っていた。

それはできない…と苦慮していた。

労働法の枠組みがしっかり

しているインドの会社法で

リストラは、会社側からの

不当な扱いとしてみなされ、 

労働局からこちらが罰せられる

可能性もあった。

実際、その社員は辞めさせられる

前から私を、当局に訴えていた

(ことは数か月後に判明した。

労働局から私に、取り調べが

来たのだ)

そんな問題で少々、もめた後、

いろいろあったが、結局、彼は

辞職した。

確かに、言われれば、会社では、

そうしたごたごたがあった

前後の”壁に汚物出現”という

出来事だった。

Aさんによると、”あの人も黒魔術

に精通しているんですよ”

と漏らしていたが

真相がどこまでほんとうかは、

だれも、わからない。

補足: 

カーリー神も ドルガ神も結局は 

同じ神の違う働きを言い表している。

対立するような印象を持たれた方も

いると思うが、ここでは、その神に

本質的に遍在する特性より、

その神を信仰する人たちに

よって造られる念の力に重きを

置いている。 

それは カーリー神がタントラ

的黒魔術で崇めている人たちの念

によって、念じられたとき、

黒魔術的な呪術的念に焦点が

合いやすいからだ。

 

カーリー神を念じた時、

同時にある人を対象に怒りを

持っている場合、

本人が意識しているかして

いないかにかかわらず、

それは、黒魔術的な

多くの人の念と重なり、

相手への呪詛として、

知らない間に、相手へ

届く場合もある。

それは言い換えれば、

新たな、自分のカルマを

つくってしまうという

ことになりかねない。 

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