この本には、過去の日本外交の結果、今なお他の国の人々の記憶に残り、感謝頂いている8つのエピソードが書かれています。
それは、ポーランド人のシベリア孤児の救済の話であったり、ユダヤ人6000人を救うビザの発行を行った外交官の話であったり、日韓の架け橋となった李方子妃の話であったりと、その舞台も主人公も様々です。
しかし、そこから見えて来るのは戦後教育を受けて来た私たちが、今まで聞いたこともない、日本人による心を洗われるような決断、行動の数々です。
その中から、私の日記の中でも何度か名前が出た“エルトゥールル号の恩返し”について触れたいと思います。
1985年、イラク当時のフセイン大統領が、
“「今から48時間後、イランの上空を航行するすべての飛行機を、イラク空軍の攻撃対象とする」”
と爆弾発言をしました。
当然、各国政府は、その間に自国民をイラクから脱出させようと奔走しました。
日本大使館からも450人の在留邦人に対して出国勧告が出ました。
しかし、“イラクとの間に定期便を持たない日本人には脱出する術がなかった”のです。
かつ、日本政府の対応も遅れました。
“在留邦人が多く暮らすテヘラン市北部がたびたび爆撃されたにもかかわらず、外務省には「ミサイル攻撃ではない」という楽観論さえあったという。”状態でした。
結果、状況判断の時期を逸し、飛行機による救援が不可能となりました。
“この時点でテヘランに取り残された日本人は200人以上。しかもその中には82人の女性や子供が含まれていた”のです。
“誰もが希望を失いかけたその時、三日月と星が鮮やかに輝く飛行機がテヘランの国際空港に到着”します。
取り残されていた日本人を乗せて飛び立ったのです。
トルコ航空、2機の飛行機でした。
“それは、タイムリミットまであと3時間という、まさに間一髪の出来事だった”のです。
トルコの当時の首相、オザル首相が、電話一本即決で決めたことでした。
“しかし、なぜ、トルコが日本のために?その理由を日本の政府もマスコミもわかりませんでした。”
後日、駐日トルコ大使はその理由を短いコメントで表します。
“「エルトゥールル号の借りを返しただけです」”
舞台は、それから95年前の1890年、大島に立つ灯台に移ります。
その“宿直室に、突然、全身ずぶ濡れの大男が倒れ込むように入って”来ました。
その時、そこは大型台風の直撃を受けていました。
身振り手振りでのやり取りで、トルコの船が沈没したことを理解したところから、島をあげての救助活動が始まります。
船は、岩礁に激突して砕け散り、650名のうち生存者は69名、うち68名が負傷者という大惨事でした。
しかし、村民たちの献身的な看護活動により、以後、この中から一人も死者が出ることはありませんでした。
大島村は、半農半漁の貧しい土地でした。
“おまけにこの年は漁獲量も少なく、米価の暴騰などで食料事情は最悪だった。
自分たちでさえ飢えを凌ぐのに精一杯という状況の中、それでも村民たちは貴重な米を炊
き出し、蓄えていたサツマイモをふかして出した”のです。
“家々で時計代わりに飼われていたニワトリは、村人の最後の非常食でもあったのだが、これもありったけ集められ遭難者たちに振舞われ”ました。
こうした島民の献身的な救助活動は、95年前の恩を覚えていたトルコの首相、そして命をかけたトルコ航空の乗務員によって、また報われたのです。
このエピソード、教訓も多いと思います。
私たちは、トルコでは教科書にも出ているというこのエルトゥールル号のことを知りません。
だから、イラクの非常事態の時も、なぜトルコが危険を冒してまで日本人を助けてくれたのか、知る人がいなかったのです。
“『朝日新聞』では、日本とトルコがイラン、イラクと等距離外交をとっていることや日本のトルコに対する経済援助を理由として解説した。”
その『朝日新聞』に対し、当時の駐日トルコ大使は、
“「純粋に人道的見地から発したトルコ航空の今回の措置を、日本とトルコの経済協力関係、つまり、日本からトルコへの経済協力に結びつける見方があり、それが貴紙によって報道されたことに深い悲しみを覚えています」”
私も、大使と同じ悲しみを感じると同時に怒りを覚えます。
トルコの方々に本当に申し訳ないと思います。
そもそも、日本人の方々がイラクに取り残されたのは、日本政府、官僚の判断ミス、対応の遅れによるものです。
エルトゥールル号のことが、日本で知られていないということも、マスコミの姿勢が多分に影響していたのです。
まさに、今、このときにも繋がるような状況だと思います。
ここに挙げられた8つのエピソード、いずれも素晴らしい日本人の話です。
そうした事実をきちんと伝えて、引き継いでいく必要があると強く感じます。
全く別の話なのですが、情報の問題という面で共通する話があります。
今回のニュージーランドの地震のことです。
実は、NZ政府が非常事態宣言を出し、安全確保を最優先する中で、日本のマスコミの行動が、現地で大きな問題となっていたそうなのです。
1.2月24日に、二人の日本人ジャーナリストが深夜、病院に侵入し、日本人被災者にインタビューをしようとした。これは、NZ警察により治安を乱す行為と判断され、二人は逮捕された。
ソース:http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10708443
2.5人のジャーナリストが、CBDクライストチャーチ非常事態警備地域(現場規制地域)に押し入ろうとして、取材許可証を剥奪された。これに関し、治安保全官であるスティーブ・ブレイジア(Steve Brazier)は、
「現場規制を破ろうとする者は、排除か逮捕されるのが通常だ」
と述べている。ただし5人全てが日本人では無い。
ソース: http://tvnz.co.nz/national-news/christchurch-earthquake-wednesday-happened-4043149
3.3月1日は、NZ首相ジョン・キーの呼びかけで、2分間の犠牲者への黙祷が行われた。ところが、この黙祷の最中に、日本人記者は被害者達に話しかけ、その配慮に欠けた無神経さをNZ人に非難された。
ソース:http://twitter.com/#!/search?q=%23eqnz
(三橋貴明氏のブログ内、竹本秀之様からのご投稿「NZ地震報道取材を考える」より引用)
その行動自体も許せませんが、更に問題なのは、私たちがこの事実を全く知らされていないということです。
なんと、“日本メディアは報道協定で、これを一切、報道しないことにしたらしい”のです。
決して許されないことだと思います。
正しい情報が正しく流れれば、日本はもっともっとよくなります。
それは、ポーランド人のシベリア孤児の救済の話であったり、ユダヤ人6000人を救うビザの発行を行った外交官の話であったり、日韓の架け橋となった李方子妃の話であったりと、その舞台も主人公も様々です。
しかし、そこから見えて来るのは戦後教育を受けて来た私たちが、今まで聞いたこともない、日本人による心を洗われるような決断、行動の数々です。
その中から、私の日記の中でも何度か名前が出た“エルトゥールル号の恩返し”について触れたいと思います。
1985年、イラク当時のフセイン大統領が、
“「今から48時間後、イランの上空を航行するすべての飛行機を、イラク空軍の攻撃対象とする」”
と爆弾発言をしました。
当然、各国政府は、その間に自国民をイラクから脱出させようと奔走しました。
日本大使館からも450人の在留邦人に対して出国勧告が出ました。
しかし、“イラクとの間に定期便を持たない日本人には脱出する術がなかった”のです。
かつ、日本政府の対応も遅れました。
“在留邦人が多く暮らすテヘラン市北部がたびたび爆撃されたにもかかわらず、外務省には「ミサイル攻撃ではない」という楽観論さえあったという。”状態でした。
結果、状況判断の時期を逸し、飛行機による救援が不可能となりました。
“この時点でテヘランに取り残された日本人は200人以上。しかもその中には82人の女性や子供が含まれていた”のです。
“誰もが希望を失いかけたその時、三日月と星が鮮やかに輝く飛行機がテヘランの国際空港に到着”します。
取り残されていた日本人を乗せて飛び立ったのです。
トルコ航空、2機の飛行機でした。
“それは、タイムリミットまであと3時間という、まさに間一髪の出来事だった”のです。
トルコの当時の首相、オザル首相が、電話一本即決で決めたことでした。
“しかし、なぜ、トルコが日本のために?その理由を日本の政府もマスコミもわかりませんでした。”
後日、駐日トルコ大使はその理由を短いコメントで表します。
“「エルトゥールル号の借りを返しただけです」”
舞台は、それから95年前の1890年、大島に立つ灯台に移ります。
その“宿直室に、突然、全身ずぶ濡れの大男が倒れ込むように入って”来ました。
その時、そこは大型台風の直撃を受けていました。
身振り手振りでのやり取りで、トルコの船が沈没したことを理解したところから、島をあげての救助活動が始まります。
船は、岩礁に激突して砕け散り、650名のうち生存者は69名、うち68名が負傷者という大惨事でした。
しかし、村民たちの献身的な看護活動により、以後、この中から一人も死者が出ることはありませんでした。
大島村は、半農半漁の貧しい土地でした。
“おまけにこの年は漁獲量も少なく、米価の暴騰などで食料事情は最悪だった。
自分たちでさえ飢えを凌ぐのに精一杯という状況の中、それでも村民たちは貴重な米を炊
き出し、蓄えていたサツマイモをふかして出した”のです。
“家々で時計代わりに飼われていたニワトリは、村人の最後の非常食でもあったのだが、これもありったけ集められ遭難者たちに振舞われ”ました。
こうした島民の献身的な救助活動は、95年前の恩を覚えていたトルコの首相、そして命をかけたトルコ航空の乗務員によって、また報われたのです。
このエピソード、教訓も多いと思います。
私たちは、トルコでは教科書にも出ているというこのエルトゥールル号のことを知りません。
だから、イラクの非常事態の時も、なぜトルコが危険を冒してまで日本人を助けてくれたのか、知る人がいなかったのです。
“『朝日新聞』では、日本とトルコがイラン、イラクと等距離外交をとっていることや日本のトルコに対する経済援助を理由として解説した。”
その『朝日新聞』に対し、当時の駐日トルコ大使は、
“「純粋に人道的見地から発したトルコ航空の今回の措置を、日本とトルコの経済協力関係、つまり、日本からトルコへの経済協力に結びつける見方があり、それが貴紙によって報道されたことに深い悲しみを覚えています」”
私も、大使と同じ悲しみを感じると同時に怒りを覚えます。
トルコの方々に本当に申し訳ないと思います。
そもそも、日本人の方々がイラクに取り残されたのは、日本政府、官僚の判断ミス、対応の遅れによるものです。
エルトゥールル号のことが、日本で知られていないということも、マスコミの姿勢が多分に影響していたのです。
まさに、今、このときにも繋がるような状況だと思います。
ここに挙げられた8つのエピソード、いずれも素晴らしい日本人の話です。
そうした事実をきちんと伝えて、引き継いでいく必要があると強く感じます。
全く別の話なのですが、情報の問題という面で共通する話があります。
今回のニュージーランドの地震のことです。
実は、NZ政府が非常事態宣言を出し、安全確保を最優先する中で、日本のマスコミの行動が、現地で大きな問題となっていたそうなのです。
1.2月24日に、二人の日本人ジャーナリストが深夜、病院に侵入し、日本人被災者にインタビューをしようとした。これは、NZ警察により治安を乱す行為と判断され、二人は逮捕された。
ソース:http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10708443
2.5人のジャーナリストが、CBDクライストチャーチ非常事態警備地域(現場規制地域)に押し入ろうとして、取材許可証を剥奪された。これに関し、治安保全官であるスティーブ・ブレイジア(Steve Brazier)は、
「現場規制を破ろうとする者は、排除か逮捕されるのが通常だ」
と述べている。ただし5人全てが日本人では無い。
ソース: http://tvnz.co.nz/national-news/christchurch-earthquake-wednesday-happened-4043149
3.3月1日は、NZ首相ジョン・キーの呼びかけで、2分間の犠牲者への黙祷が行われた。ところが、この黙祷の最中に、日本人記者は被害者達に話しかけ、その配慮に欠けた無神経さをNZ人に非難された。
ソース:http://twitter.com/#!/search?q=%23eqnz
(三橋貴明氏のブログ内、竹本秀之様からのご投稿「NZ地震報道取材を考える」より引用)
その行動自体も許せませんが、更に問題なのは、私たちがこの事実を全く知らされていないということです。
なんと、“日本メディアは報道協定で、これを一切、報道しないことにしたらしい”のです。
決して許されないことだと思います。
正しい情報が正しく流れれば、日本はもっともっとよくなります。
御指摘のマスコミに留まらず世界では、心を失って漂流する日本人の乱行は、心配されていると共に嘲笑されているのです。
取り分け、アジア諸国に於いて。
一方で楽観的な部分もあります。
それは今、時が変化を促しているということです。
今、マスコミも変化せざるを得ないし、変化できないところは今後淘汰されていくと思うのです。
大手新聞の売上が落ちているのもその現れだと思いますし、記者クラブに入れないフリーランスの記者が、自由報道協会を作ったこともその一つだと思っています。
ホテル利用者の中で、日本人は、世界でトップの評価が出ています。
アジアにおいても、上記で書かせて頂いたようなことが浸透して行けば、即ち正しい情報が回って行けば、いい方向に向かっていくと思っています。
ただ、何度も訴えかけていくことは続けて行かなければならないと思います。
思わず書いちゃいますけど、オザル首相は経済援助目的などではなく、友の国を助けようという一心で決断したのだと思います。
今の首相は、????ですけど、トルコ人には、恩を決して忘れない心と弱いものを出来るだけ助けようという精神が、日常の中にも深く残っています。
現在の日本人からすると何か裏があってやっていると思われがちですが、トルコ人にとってはただ助けるのが当たり前なんです。
エルトゥールル号の時代には日本でも当たり前だったことですね。
オザル首相のお気持ち、その通りだったと思います。
日本人救出があったために、自国の救援機に乗れず、やむなく陸路で3日間車を飛ばして避難した、トルコの方々もたくさんいらしたそうですね。
それだけに、日本側の対応には、大変悔しく、トルコの方々に本当に申し訳ない思いがします。
この本には、当時の日本で当たり前だった善意が色々出て来ます。
エルトウールル号のエピソードは、何度読み返しても涙が出てしまいます。そして、感動は万国共通なんでしょうね!
朝日新聞の見解、残念であり怒りを感じます!
そして、ニュージーランドの地震の件ですが、そうだったんですね!Oh,my god!
>“日本メディアは報道協定で、これを一切、報道しないことにしたらしい”のです。
開いた口が口が塞がらんです!
今夜、NHKのゴールデンタイム番組の’クローズアップ現代’で興味深い番組が放送されました。
そのタイトルが’テレビはいらない?!
急成長するインターネット放送~’でした。
http://tv.yahoo.co.jp/program/284/?date=20110310&stime=1930&ch=d000
この番組はコメンテーターがいつも1人です。
今回は中立的に発言されていたので、評価しましょう。ただ、この番組もテーマによって偏向報道があると思える場合もたまにありますが。
NZの件は憤りを感じますが、日本の善良なる国民を甘く見てもらっても困りますな。
視聴者もドンドンと目覚め始めていますね!
>情報の問題という面で共通する話があります。
>正しい情報が正しく流れれば、日本はもっともっとよくなります。
Yes,That’s Right!!
情報という事で最近もず~っと腑に落ちなかったのが中東(民主化運動?)の動きでした。
チュニジアから順序良く東に移動しながら連日の民衆の反政府運動が報じられてきました。
そして、リビアのカダフィに至っては、物凄い悪者のような報道の仕方でした。
カダフィに関しても中丸薫さんの本で読んでいたので、当初からマスコミ報道には若干の?を感じていました。日本のマスコミでさえも横並びで、同じ論調の羅列!ならば、もしかしたら海外のメディアでも似たようなことは有り得るんじゃないだろうか・・・と。
そんな矢先、興味深いブログを見つけました!
この方の論調を読んでいると、バランスが取れていて決して一方的でもなく、すんなりと読み切れてしまいます。
最近の中東運動の動きに関しても、様々な情報ソースの出所をブログ内にきちんと表示しています。
なんだか、もう1人のテラさんが現れた錯覚を覚えました!
ブログはこちらです・・・・http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-349.html
世界を支配したい層がいるのは間違いないとの前提に立てば、リビアは石油のお陰で経済的に自立出来て来た希少な国家ゆえに手出しが出来なかったようです。それが支配層にとっては面白くない。チュニジアから始まった動乱に乗じてリビアを潰してしまえ。
ロシアのプラウダという有名な新聞社の記事なども引用しながら、その詳細をわかりやすく解説されています。
あのアルジャジーラも経営が苦しいそうで、どうしても資金が各方面から入るらしく、最も資金を提供しているのが日本の某放送局だと。
・・・・詳細は上記のブログをご覧下さい。
インターネット然り、スマートフォン然り・・
情報がリアルタイムで手軽に手に入る時代。
逆にディスインフォメーションを逆用する動きも顕著になりつつありますね。
情報が幾らで入手できる今、読み手や聞き手は情報を篩(ふる)いにかけて、ホンモノ情報をいかに見分けるかというセンスが要求されるのでしょうね。
情報戦線、真っ只中!
この難局を乗り切る時、一つの大きな羅針盤が
このブログです!
”ちょっと外から見た日本”
追伸・・・(笑)
日本と比較した比較文化論”ちょっと内から見たスペイン”なんて、如何でしょうか?!
是非、期待していますからね~!(^0^)
エルトゥールル号、外国人を全く見たことのない人々が、なけなしの食料まで使って助けようとする姿、感動します。
“クローズアップ現代”、こちらでは出勤前に放送していますが、やはり同じ印象を持っています。
いい内容も多いですし、一方で、ヘンだな、と思うこともあります。
一人でやるテーマではないな、と思うこともありますよね。
切り口は面白いと思います。
カダフィ空爆の件、確かに違和感はありました。唐突な空爆、しかし、いつも文字だけでその様子は出ていませんね。
戦争に繋がりかねない行為の報道は、それが事実なのかどうか、特に注意した方がいいのかも知れませんね。
“ちょっと内から見たスペイン”、考えておきます。(笑)