"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“脳内の内部留保を厚くせよ”

2011-09-27 03:35:20 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/9/26】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   現在発行中の『致知』10月号には、
   日本郵政公社初代総裁として、
   民営化の基盤を築いた
   商船三井最高顧問・生田正治氏がご登場。
   
      敗戦後の日本国復興の志に燃えていたという
      二十代の頃を振り返っていただきました。


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         「脳内の内部留保を厚くせよ」
       
       
            生田正治(商船三井最高顧問)
        
            『致知』2011年10月号
             連載「二十代をどう生きるか」より
            ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201110_index.html


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 私自身のことを振り返ってみて、
 二十代でまず大切だと思うのは、
 自分の頭で考える力を養う、ということが一つ。
 
 次に、様々なことに幅広く興味や関心を持つこと。
 
 私の周りを見てみても、社会的に成功を収めているのは
 好奇心のかたまりのような人がほとんどである。
 そういう気持ちを常に持っていることが、
 人をよく知ることにも繋がっていくのだろう。
 
 
 また人を知ると同時に、自国の歴史を知っておくことは
 外国人と交流をする上での必須条件である。
 
 私が社会人になってから愛読したのが、
 司馬遼太郎の一連の歴史小説だった。
 
 中でも『坂の上の雲』に描かれている
 氏の歴史観や国家観には深い感銘を受けた。
 
 氏はこの作品の中で革命によって
 短期間に近代国家をつくり、
 列強を打ち破る様を描きつつ、
 その主導者がどういった末路を辿ったかを表し、
 次代への警鐘を鳴らしている。
 
 
 また同じく氏の『世に棲む日日』には、
 “革命は三代で成立する“との記述がある。
 
 初代は吉田松陰のように思想家として現れ、
 二代は高杉晋作のような乱世の雄(戦略家)、
 そして最後に現れるのが伊藤博文や山県有朋といった
 実務家だというのである。
 
 氏のこの洞察は、ビジネスの世界にもそのまま当てはまる。
 
 但(ただ)し、現代は昔とスピードが違うので、
 経営者は一人でこのうち二役以上を兼ね、
 思想(ビジョン)を明示し、戦略を打ち立てる。
 
 それと並行する形で有能な実務家を配下につけ、
 改革を行っていくという具合である。
 
 総じて言えば仕事や読書、遊びを通じて若い頃から
 「脳内の内部留保」をできるだけ広く深め、
 また出会った方々との関係も大切にし、
 どんな物事にも対応できるよう力を蓄えておくことが
 二十代を生きる上で肝要ではないかと思う。
 
 日本国を根本的に変えていくのは
 いまの政治家や経済界の幹部層ではなく若い人の力である。
 俄かに物事は成せずとも「継続は力なり」と信じ
 何事にも粘り強く取り組んでいってほしいと願っている。
 
────────────────────────────────────(転載以上)

“自分の頭で考える力を養う、ということが一つ。
 次に、様々なことに幅広く興味や関心を持つこと。”

“私の周りを見てみても、社会的に成功を収めているのは
 好奇心のかたまりのような人がほとんどである。
 そういう気持ちを常に持っていることが、
 人をよく知ることにも繋がっていくのだろう。”


二十代へのメッセージになっていますが、全ての人にあてはまるメッセージですね。

時代の変化に関わらず大切なことだと思います。


“人を知ると同時に、自国の歴史を知っておくことは
 外国人と交流をする上での必須条件である。”

これは海外に生活、勤務している中で、私も日々感じていることです。

スペインでは、日本の関心が高い方が多く、日本の歴史、文化、宗教等、どんどん質問して来ます。
自分はなんて母国のことを知らないのだろう、と痛感します。


司馬遼太郎さんの『世に棲む日日』の中の言葉、“革命は三代で成立する“との記述から、更に一歩進んで、

“但(ただ)し、現代は昔とスピードが違うので、
 経営者は一人でこのうち二役以上を兼ね、
 思想(ビジョン)を明示し、戦略を打ち立てる。”

やはり“自分の頭で考える力を養う”ことを実践されているのだなあ、と感じます。


“日本国を根本的に変えていくのは
 いまの政治家や経済界の幹部層ではなく若い人の力である。
 俄かに物事は成せずとも「継続は力なり」と信じ
 何事にも粘り強く取り組んでいってほしいと願っている。”

全くその通りだと思います。


「脳内の内部留保」という言葉、面白いですね。

普段からそれを充分に厚くしておけば、大切なチャンスをものにし、大きな逆境にも耐えることが出来ますね。 



“人という字を刻んだ息子”

2011-09-27 03:33:33 | 日記

致知出版社よりお送り頂いている「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/9/25】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は『致知』創刊33周年企画として、
これまで人間力メルマガで配信してきた随想のうち、
特に大きな感動を呼んだ記事をご紹介いたします。

ぜひ最後までお読みください。


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■「致知随想」ベストセレクション 
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      「人という字を刻んだ息子」
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


                   秋丸由美子(明月堂教育室長)


             『致知』2007年5月号「致知随想」
             ※肩書きは『致知』掲載当時のものです



※明月堂は「博多通りもん」で有名な福岡の和菓子店です。
…………………………………………………………………………………………………

■医師からの宣告
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、
結婚して間もなくの頃でした。

「あと10年の命と思ってください」

という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。

主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、
営業部長として会社を支えていました。
その面倒見のよさで人々から親しまれ、
たくさんの仕事をこなしていましたが、
無理をして命を落としては、元も子もありません。

私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして
細く長く生きようね」と言いました。
しかし主人は「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。

この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。
10年という限られた期間、
人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、
専業主婦として歩むのをやめ、
会社の事業に積極的に関わっていきました。


30年前といえば、九州の菓子業界全体が
沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。
暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが
一般的な業界の意識でした。

明月堂も創業時からの主商品であるカステラで
そこそこの利益を上げていましたが、
このままでは将来どうなるか分からないという思いは
常に心のどこかにありました。

そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、
商品を見て回ることにしました。
そして愕然としました。
商品にしろ包装紙のデザインにしろ、
九州のそれと比べて大きな開きがあることを思い知らされたのです。

あるお洒落なパッケージに感動し、
うちにも取り入れられないかと
デザイナーの先生にお願いに行った時のことです。


「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。
 それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」


と簡単に断られてしまいました。

相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。
私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。

それは、いかに商品が立派でも、
菓子の作り手が人間的に未熟であれば、
真の魅力は生まれないということでした。

人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。



■「博多通りもん」の誕生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

以来、菓子屋を訪問する際には、
売れ筋の商品ばかり見るのではなく、
オーナーさんに直接会ってその考え方に触れることにしました。

しかし、同業者が突然訪ねていって、
胸襟を開いてくれることはまずありません。
行くところ行くところ門前払いの扱いでした。

忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に
飛び込んだ時のことです。

そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いて
ご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。

誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、
人の温かさが身にしみました。
人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。

いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。
全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、
それまで学んだことを商品開発に生かせないかと
社長や製造部門に提案しました。

そして全社挙げて開発に取り組み、
苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。
まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、
やがて当社の主力商品となり、いまでは
博多を代表する菓子として定着するまでになっています。

「天の時、地の利、人の和」といいますが、
様々な人の知恵と協力のおかげで
ヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、
世の中の不思議を感ぜずにはいられません。



■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ところで、余命10年といわれていた主人は
その後も元気で働き続け、私も一安心していました。
しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。
手術で一命は取り留めたものの、
容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。

知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。
私の肝臓では適合しないと分かった時、
名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。
手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。

私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、
長男はまったく躊躇する様子もなく


「僕は大丈夫です。父を助けてください」


と受け入れたのです。
この言葉を聞いて、私は大泣きしました。

手術前、長男はじっと天井を眺めていました。
自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする
息子の心に思いを馳せながら、
私は戦場に子どもを送り出すような、
やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。

そして幸いにも手術は成功しました。
長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、
それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。

長男がお世話になっている
神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、
手術痕を見ながら



「この人という字に人が寄ってくるよ。

 君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。

 お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。

 この傷は君の勲章だぞ」



とおっしゃいました。
この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。

お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、
私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。
と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、
私もまた大きく成長させてもらったと
感謝の思いで一杯になったのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(転載以上)


「博多通りもん」誕生のお話、いいですね。

ご主人と一緒に、関東・関西の菓子を見て回って、商品や包装紙のデザインにショックを受けたこと。

なのに、デザイナーの先生に、
「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。
 それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」

と言われてしまったこと。


そして、その体験の中で、

“いかに商品が立派でも、菓子の作り手が人間的に未熟であれば、
真の魅力は生まれない”

ということを学んだこと。


神戸洋菓子店のオーナーさんが、“忙しい中、一時間ほどを割いて
ご自身の生き方や経営観を話してくださった”こと。


“誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、
人の温かさが身にしみました。
人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。”


自分の体験の中からの学びは、何物にも代えがたい価値がありますね。

まさに、「天の時、地の利、人の和」によって、ヒット商品に結びついて行ったのですね。



お父さんへの肝臓移植に名乗り出た長男さんのお話、感動します。

手術後、まるで「人」という字のような、78か所の縫い目、


「この人という字に人が寄ってくるよ。

 君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。

 お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。

 この傷は君の勲章だぞ」


この“神戸の洋菓子店のオーナーさん”とは、きっと“ご自身の生き方や経営観を話してくださった”方なのでしょうね。

“行くところ行くところ門前払い”の中、本当に素晴らしい方とのご縁を頂いたのですね。


そしてそれは、秋丸由美子さんが、

“主人の病気と息子の生き方を通して、
私もまた大きく成長させてもらったと
感謝の思いで一杯になったのです。”

という方だからこそ頂けたご縁でもあったのだと思います。



“「靴下屋」創業者が語った“継続する秘訣””

2011-09-27 03:30:30 | 日記

致知一日一言よりです。




「致知一日一言」読者の皆さま

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

「継続は力なり」という言葉があるように、一つのことをずっと続けていくことは大変尊いことです。

しかし同時に、何があってもそれをやり続けることは至難の業だといえましょう。

『致知』10月号では、経営の神様・松下幸之助氏の薫陶を受け、その教えを青年たちに授けてきた松下幸之助商学院元学院長の北山顕一氏と、

全国に「靴下屋」を展開するタビオ会長の越智直正氏にご対談いただいています。

その中で語られた「継続の秘訣」とは。

 * * *

私がまだ松下幸之助商学院の学院長をしていた頃、

「日本一大きな靴下会社の社長の講演がある」と聞いて、越智さんのご講演を聴きに行ったんですよ。

講演が終わって質疑応答の時、聴衆の一人が「継続の秘訣は何ですか?」と質問されました。

そうしたら、越智さんはすかさず「『朝』と書いてみてください」と。

そして、「どう読みますか」と質問を返された。

その方が「あさ」とか「ちょう」と答えたら、「他にもあります。十月十日です」とおっしゃった。

十月十日は人間が生まれるまでにかかる日数です。

だから、人間は毎朝新しい命をもらって生まれているんだと。そして夜眠りにつく。

そのまま目覚めないかもしれないところ、翌朝また新しい一日をもらう。

明日があると思わず、きょうこの一日を大事に過ごそうと思ったら、いつの間にか継続できますとおっしゃったのです。

よし、きょうの講演でこれだけは自分のものにしようと思いましてね。

というのも、松下商学院は20歳前後の子が中心で、煙草を吸う子と吸わない子がいます。学院としては禁煙をしたいところでしたが、学院長である私が一日に40本吸うヘビースモーカーでした。

そうすると、学院生たちに吸うなと言いづらいから、できれば煙草をやめてほしいと他の先生たちに言われていたのです。

だからご講演をお聞きして、「よし、きょうだけは煙草を止めよう」と灰皿を裏返したわけです。そうして10年が経ちました。

……続きは本誌52ページで!

※『致知』創刊33周年 特別感謝キャンペーン!【期間限定・特典つき】
詳細・お申し込みはこちら
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/event2011/i-33magazine.html

(転載以上)


 
朝という漢字が、“十月十日”と読めること、あ〜そうか!と思います。

漢字であるからこそ起こせる奇跡ですね。


でも、人間が生まれるまでにかかる日数である“十月十日”が、なぜ“継続の秘訣”に結びつくのか。

越智さんの説明に感動します。


そして、その質問者でもない聴衆の一人であった北山さんが、“よし、きょうの講演でこれだけは自分のものにしよう”と決心し、


“「よし、きょうだけは煙草を止めよう」と灰皿を裏返したわけです。そうして10年が経ちました。”


見事に実践された北山さんもまた、あっぱれですね。


“知らずに進む放射線被曝について”  

2011-09-27 03:27:28 | 日記

元外交官 天木直人さんのメールマガジンよりです。



 □■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】
■□■
□■ 天木直人のメールマガジン2011年9月26日第673号
■ 
 
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  知らずに進む放射線被曝の恐ろしさ                                                       
   
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 目に見えない。色がない。臭いがない。すぐに被害があらわれない。

 おまけに日本の大部分の場所は、深刻な放射能汚染とは関係が無い。

 それをいいことに、福島原発事故の被災住民たちは政府や地方行政の
作為、不作為によって、被曝の危険にさらされて生きている。

 それを見事に言い当てた記事を、週刊朝日9月30日号の「辛坊治郎
の甘辛ジャーナル」に見つけた。

 この辛坊治郎という関西読売テレビ出身のジャーナリストは、権力側
に立つタカ派発言が常であるが、この「辛坊治郎の甘辛ジャーナル」に
おいては、時としていい事を書く。

 「先日、朝日新聞のローカル面を読んでいて、ぞっとした。目に留まっ
たのは、小さなベタ記事だ。『輸出用中古車 放射線を検出』・・・」

 こういう見出しで始まるその記事は、我々の知らないところで恐る
べき被曝がこの国の政治、行政の怠慢で進んでいる、と警鐘を鳴らして
いる。

 すなわち、大阪府は堺泉北港から欧州に輸出される予定の中古車1台
から、1時間あたり53・28マイクロシーベルトというとてつもない
放射線量が検出されたと発表した。

 これは1年間にあびる放射線量に換算すると、466ミリシーベルト。
年100ミリシーベルトでがん死亡率が0・5%上がるという通説に従う
なら、とんでもなく高レベルの汚染車が市場に出回ったことになる、と。

 そのうえ、これが発覚したのは、日本からの輸入品の放射線検査を義務
付けている外国の規制に対応するために輸出業者がたまたま自主的に検査
したからだという。

 なぜそのような中古車があらわれるようになったかといえば、政府は
牛肉や野菜などの食品については国の規制値を決めているが、それ以外の
モノについては検査がなきに等しいからだ、と。

 おまけに政府の汚染地域立ち入り禁止が杜撰であったことや、政府・
東電の賠償が不徹底であるからだ、と辛坊氏は言うのだ。

 政府が汚染車をすべて買い取ると発表していれば出回らなかったもの
が、そうしなかったため汚染車をごまかして販売する者が出てきたのだ。

 そして辛坊氏は次のように言う。

 現在福島では「除染」が大きなテーマになっているが、除染では根本的
な解決にはならない。どう考えても除染で解決できない区域があり、そこ
は「もう住めない」と宣言すべきであるのに、感情論や巨額の補償額を
おそれて、それを政府は言い出さない、と。

 政府がしっかりした方針を出さない中で、被災者が、自らの損を最小に
したいと思うのは自然の成り行きで、放射能汚染された食物が出荷された
り、高度汚染の中古車が見つかったりするのもそのためだろう、と辛抱氏
は喝破するのだ。

 そして辛坊氏は言う。中古車の例はたまたま見つかったからわかったが、
知らずに出回っている放射能汚染品が他にもあると思うとぞっとする、と。

 最後に辛坊氏はこう締めくくっている。

 「今、この国では恐ろしいことが進行しているのかも知れない」。

 その最たるものは、福島の子供の被曝に違いない。

 我々は黙ってそれを見過ごしていいのか。

 この問いかけをすることこそ大手メディアの責任であるのに、大手メデ
ィアはもはや本当の事を国民に伝えなくなった。

 権力側についてしまった大手メディアの姿がそこにある。
                               了


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(転載以上)

“福島原発事故の被災住民たちは政府や地方行政の
作為、不作為によって、被曝の危険にさらされて生きている。”

その通りだと思います。
そして、その危険にさらされて生きているのは福島の方々だけではありません。


大阪の港から欧州に輸出される中古車から、年換算で466ミリシーベルトという高レベルの汚染が見つかりました。

しかし、このことがわかったのは、輸出業者がたまたま自主的に検査したから。

“政府は牛肉や野菜などの食品については国の規制値を決めているが、それ以外のモノについては検査がなきに等しい”ことがその背景にあるわけです。


“現在福島では「除染」が大きなテーマになっているが、除染では根本的な解決にはならない。
どう考えても除染で解決できない区域があり、そこは「もう住めない」と宣言すべきである”

私も、この辛坊さんに賛成です。


“「今、この国では恐ろしいことが進行しているのかも知れない」。

 その最たるものは、福島の子供の被曝に違いない。

 我々は黙ってそれを見過ごしていいのか。

 この問いかけをすることこそ大手メディアの責任であるのに、大手メデ
ィアはもはや本当の事を国民に伝えなくなった。

 権力側についてしまった大手メディアの姿がそこにある。”


天木さんの言葉、そうした問題意識を持つ方々は増えていると思いますが、肝心のメディアからは全く感じられません。

メディアが完全に政府の支配下におかれて、戦争に突き進んでいった時にも通じるものがあると思っています。