岩切天平の甍

親愛なる友へ

朝日「声」投書、ボツ

2003年06月03日 | Weblog

イラク復興が進まない中、侵攻の第一の大儀とされた大量破壊兵器が見つからない事について、もし見つからなかったらこの侵攻をどう説明するのかと言う声が高まっています。たとえ今後、見つかったとしても、この侵攻が正当化されるものではなく、この議論自体が、すでに問題の摺り替えの様に思えます。米英と(日本を含む)同盟国は多くの死傷者を予想しながら、逼迫する危機も無く、確かな根拠も持たないにもかかわらず攻撃に踏み切り、実際に数千の人間を殺し、今尚殺し続けています。
この侵略は政治の為の故意の大量殺人だと言えます。
人々を殺す前にまだやるべきことがある。それが反戦派の第一義でした。
12年間の外交努力と言いますが、米国主導による国連の経済制裁は貧しい市民を苦しめるだけで効果はあがらなかった上に、500万人以上とも言われる命を奪い続け、その上世界の無関心の陰で空爆による殺りくを繰り返してきました。そのどこが市民を解放するための誠実な外交であり、すべての努力を尽くしたと言えるのか?政治の世界では外交とは脅迫や暴力のことだけを言うのでしょうか?