岩切天平の甍

親愛なる友へ

9/20/08

2008年09月20日 | Weblog



ハッピーアワー

2008年09月18日 | Weblog

証券会社リーマンブラザースの破綻、
不良債権の保険を大量に抱え込むAIGの政府による救済。
盛り上がる経済危機に、カメラを抱えてウォールストリート界隈をウロウロ。

貧乏人の夢につけ込んで、「住宅価格は上がり続けているから、あなたの収入では買えない筈の家でも数年後には高く売れて、もっと良い家に買い替えられるし、もし払えなくなってもその値上がり分があるから損はしませんよ。」
だなんて売りまくって、
頭のいい人たちだから、いつまでも上がり続けるわけが無いことは解っていたんだろうなぁ。

稼げる時に稼いで自分が儲けたらあとは知った事じゃない。
バブルのツケは会社が潰れればそれで終わり。
責任は個人まで追いかけては来ない。
莫大な報酬をつかんで逃げろや逃げろ、
また違う場所でぼろい商売を考え出せばいいさ。
ってところか。
何も間違ってはいない。

破綻したリーマンブラザース本社ビルの並びにあるアイリッシュ・バーでは、リーマン社員限定の“ハッピーアワー”をやっていた。
ビールがタダで飲める。殆どが制限時間を過ぎても飲み続けるので売り上げが上がる仕組みだ。商売繁盛、やるなあ。

何とか潜り込んで撮りまくるテレビカメラにエリート達は何の屈託もなくジョッキを掲げて笑い合う。みんなの憧れる“勝ち組”だ。

一生懸命勉強して良い学校に入って、あげくのはてがこれだって言うのなら、そりゃあ純真な子供達は引きこもるかもなぁ。なんて考えながらへらへらお愛想笑いで撮影していたら、ほどなくいかついお兄さんに(飲み屋だけに)つまみ出された・・・。



友遠方ヨリ来タル

2008年09月10日 | Weblog

ええ~っと・・9月10日・・・。
高校時代からの旧友、米澤君から連絡があった。

大手出版社で編集者としても働くロック・ギタリストは、AC/DCの取材でニューヨークに来ているのだと言う。
仕事が終わって会うことになり、ハーレムの老舗、St. Nick's Jazz Pub に誘った。ジャズ・オルガンの敦賀明子が出演していた。

薄暗くひなびた紅いステージのかぶりつきに座る。
真横でつるりんがにこにこと身をくねくね捩りながらブルースを弾いている。
明日は9/11の追悼式典がある。 朝早い中継の仕事だからあまり飲めないなぁ・・でも、なんだかやばいなぁこの雰囲気・・・

・・・ん~? どこかで電話が鳴ってる・・・。ここは何処?
ああ、ウチの玄関に倒れてるんだ。
「はい、もしもし・・・。」
「ぼく、4時半集合って言いませんでしたっけ?」
とプロデューサー氏の低くドスの効いた声。
「ひぇ~っ!す、すいましぇ~ん!!」
スタッフはにやにやしながら見て見ぬふりをしている。
何とか中継には間に合って、ぐったりと家に帰る。

鞄、財布、カメラ、なくした物は無いみたいだなと一息。
録音機?・・ああ、そう言えば夕べ演奏を録音してたんだけっけ。
ふんふん、なかなか良く録れてるじゃない。良かったねぇ、この曲。
それにしてうるさいなこの客、せっかく良く録れてるのに・・・。
ん?なんだこの酔っぱらい俺じゃん!

ヘッドホンを差してボリュームを上げると冷や汗が出て来た。
「どうしているんだい。」と真面目に問いかける友にへらへらと逃げを打つ泥酔者の会話が克明に録音されている。
「おっれはサァ~、おっまえがすっきなんだヨォ~れろれろ。」
最低! とても聞けたもんじゃない。誰にも聞かせられない。

僕にしても世間的にはそれなりのキャリアで(撮影の仕事を始めて20年以上になる)それなりにちゃんと働いている(翌朝を除いて)にもかかわらず、我が友は「そんな事を言っているんじゃない。」と手厳しい。
「オマエは自分の歌をうたっていないじゃないか。俺はお前の歌を聞いてから死ぬよ。」
「・・・。」

まったく、古い友とはありがたい。

誰かを本当に反省させようと思ったら、酔っぱらっている時の会話を録音して聞かせるに限る・・・俺だけか。
つるりんはオルガン弾きながらあの会話を聞いていたのかなぁ・・・。

これはしばらく立ち直れそうに無い。




キト

2008年08月14日 | Weblog

エクアドル・ユニセフのインタビューを撮りに、首都のキトに飛ぶ。
“人類の文化遺産”と呼ばれる、アンデスの山々に囲まれた美しい古都はここもまたユネスコの世界遺産に登録されている。標高2850m、肌寒い。

グルジアとロシアが戦争をおっぱじめてくれたおかげで、我々も楽しみにしていたガラパゴスロケを中止してニューヨークに呼び戻されることとなった。
しかし小国のグルジアがロシア相手に勝てる筈も無いのにばかな真似をするなんて、どうせアメリカの差し金なのは見え見えなのに、どうしてみんな一方的にロシアを悪者にした報道ばかりなのか。

ガラパゴス諸島では美しい自然を撮る予定で、楽しみだったとは言え、それはそれで僕としては苦しむ人達のストーリーの方を先に撮り終えたのは幸いだったと思う。
そのガラパゴスでも、観光客を相手にした幼児売春が横行していて、嫌がる子供にドラッグを打って無理矢理欧米人の相手をさせているという話も聞いたけど・・・。

飛行機までの僅かな時間で、旧市街を散歩。内装に七トンの金が使われたラ・コンパニーア教会を見物する。入り口に掛けられた地獄絵に数々の罪を表す図が描かれたその一つ“強欲”を見て感じ入る、うーん、金ぴかの教会に強欲で地獄・・・。

教会の表には盲目の辻音楽師が歌っていた。



ゴミ捨て場

2008年08月13日 | Weblog

車で一時間程南下、地元の人に訊きながらゴミ捨て場を探す。

コーヒー園の続く一本道の脇に広大なゴミの山が煙っていた。
遠目に子供達がブルトーザーの後ろをついて回っているのが見える。

今度は失敗しないようにと、スタッフがゆっくり話しているのを尻目に遠くからのんびりと撮影を始める。望遠レンズで覗くと、子供の半分程もあろうかと思われるハゲタカの群れに囲まれて、小さな男の子がうつむいてゴミを漁っている。

ゴミが重なってフワフワの山をカメラを担いで登って行くと、得体のしれない煙と悪臭の中、その真ん中に小屋とも呼べないような小屋が点在していて、どうやら人が住んでいるらしい。半身裸の男が近づいて来る。撮るなと言いにきたのかと思ったら、釘やガラスが危ないから気をつけて歩けと言ってくれた。

よく見ると女の子もいる。
手や足に真っ黒になった包帯を巻いている。
ゴミによる怪我が絶えなくて、そこから容赦なくばい菌が入る。
足下を見ると、割れた注射器が落ちていた。

ゴミの中から見つけたのか、女物の服を着た少年が股間に手をあてて、カメラにポーズをとってくれた。
仲間がはやしたてる。ここにもそれなりに笑顔があった。

七歳くらいの男の子と母親がいいよと言ってくれて、一緒に家に帰る。
父親はコーヒー園の季節労働者、仕事が無いと一緒にゴミ捨て場に行く。
コーヒー園では子供がムチで働かされていて、カメラを持ち込むことさえも拒否されるのだそうだ。

お金を貯めて買った土地を見せてくれた。畑にするんだと指差した空き地の隣に立つ家の床下には、水たまりから何やら絶えずあぶくが湧き出ていた。

ホテルに戻り、バスルームで三脚を洗い、アルコールでカメラを拭く。
洗っても洗っても強烈な匂いを放ち続ける靴底に、折れ釘が斜めに足をかすめて刺さっていた。
あまりの匂いに、新しい靴を買おうと濡れたままの靴を履いてでかけたけど、その匂いと汚さで、ぴかぴかのデパートを歩くのもなかなか肩身が狭い。



少年

2008年08月12日 | Weblog

ユニセフのスタッフは、貧しいために学校に行けずに働いている子供の家を訪問して援助金の説明をし、子供を学校に行かせるように説得する。

山の斜面に並ぶ竹の家は、薄暗い隙間だらけの壁にキリストの絵が貼ってある。にこにこしながら授乳する母親の横に、妊娠しているらしいティーン・エイジャーの娘が座っている。字が書けなくて、書類にサインすらままならない。

山奥のゴミ捨て場で、子供達は捨てられたゴミの中から段ボールやペットボトルや金属を選り分けて拾い、再生業者に売っていた。取材に応じてくれそうな子供を探して声をかける。
限られた時間の中で取材対象を見つけてストーリーを紡がなければならないので、つい焦りがちになってしまう。

カメラを持って突然やって来た見知らぬ外国人に囲まれて、
「名前は?」「学校には行っていないのか?」「親は何をしてる?」
と、少年は吊るし上げに会う。
『何だコイツらは? オレが学校に行こうが行くまいが大きなお世話だ。
オマエらにとやかく言われる筋合いは無いだろう。』と思うことだろう。

子供の頃に悪い事をして大人に叱責され、「そりゃあ僕が悪い、それは認めるけど、何にも関係無いあなたにそんなにエラそうにされるスジあいは無いんじゃないの。」なんて思った記憶がふっと胸をかすめてヒヤリとする。

子供は権力をかさに着る奴に敏感に反発する。
大人はただ大人だというだけで何か勘違いをする。
職場で、役所で、飲み屋で、タクシーで、エラそうにしたりされたりと、立場を変えては繰り返す。
我々はともすると自分より弱い他人に尊大になりがちだ。
ただ成り行きの関係なだけなのに。

悲しげな目で立ち去る少年に、「もう止めましょう。」と一同黙り込む。
「失敗したな。」と思う胸のにがさは仕事のことではなくて、彼を傷つけてしまったんだろうというみんなの気持ちだった。




Manta

2008年08月11日 | Weblog

ユニセフ(国際連合児童基金)のスタッフと合流。用意してくれたランクルに乗り込んで北へ約三時間、太平洋に面した街マンタへ。道中少し休んでおきたいのだけれど、窓の外に現れては消える光景に目移りして居眠りどころじゃない。バオバブに似た太い幹のセイボの森、竹で編んだ高床式の家。バナナの葉っぱで葺いた土産物屋、牛追いの一行、結婚式らしき人々、ブロックで作った掘建て小屋の黄色い教会・・・。

途中途中で車に一体誰だか良く分からない人が乗り込んで来る。市長に会う為の案内人とか、ゴミ捨て場で口をきいてくれる人だとか、座る所が無いので、座席の隙間に後ろ向きのおばさんの大きなおしりがはみ出している。取材に一緒に来て、特に何をするでもなく眺めていては途中で帰って行く人もいる。
中学校で女の子に会う。
貧しくて学校に来られず、ゴミの山で働いていた。
ユニセフの助けで母親に新しい仕事が、彼女には学校が戻った。
授業におじゃまして、友達にひやかされながら黒板で計算する様子を、
家について行って庭でお母さんと洗濯しながら話すのを撮影。




豚丸街道

2008年08月10日 | Weblog

山あいの小学校の先生に貧困家庭の子供達の話を聞く。

峠の街道沿いには、立ち並ぶ掘建て小屋の前で豚の丸焼きがもうもうと煙を上げている。ここでお昼にしようよと、車を止めて覗き込む。

なかなかの繁盛ぶりで、次々と来るお客さんが真剣な顔で生唾を飲み込みながら、「ここを切ってちょうだい。」と指示している。
煮込みの鍋がぐつぐつ湯気を立てて、揚げバナナや豆料理も並んでいる。
壁に貼られた聖母像の絵の横に、ヌードカレンダーが架かっている・・。
「そうだ、ここでレストラン紹介を撮りましょう。」と、おばちゃんと交渉。「お店の名前は何ですか?」「無い。」「ええーっと、名前は無し、と・・・。」

空港でカルロス夫妻にお別れを言って、エクアドル最大の都市、赤道直下のグアヤキルに飛ぶ。暑い。




出稼ぎの街

2008年08月09日 | Weblog

エクアドルではアメリカへの出稼ぎが国の第二の産業だと言われている。
「この街はみんな出稼ぎの仕送りで出来たんだよ、綺麗でしょう。」
新築の出稼ぎ御殿に、誰もが我も続けとアメリカを目指し、銀行の窓口には、アンデスの民族衣装をまとった女達が列を作り、夫からの送金を受け取る。それがここのところのアメリカの不景気で様子が少し変わって来た。

ニューヨークの建設現場で働き、エクアドルに送金しているホセと息子の二人は、アメリカへ渡るために借金して、一人一万ドルずつ世話人に払った。景気が悪くなって建設業の仕事が減り、借金は増える一方で、息子は行方不明、木綿のハンカチーフ状態。

山道を登ってホセの奥さんのマリアを訪ねた。
のどかな農村の薄暗い土間の台所で、母親は二人の小さな女の子に、裏庭で飼っている鶏の玉子とトウモロコシの食事をさせていた。

束になった借金の請求書を見せてもらう。
銀行で働いていたカルロスの奥さんによると、法的に払う必要の無い高い利子を、教育が無い為に言いなりになって払い続けているのだと顔を曇らせる。

そう言うカルロス夫婦が経営している旅行代理店は、インターネット電話を使って、アメリカにいる出稼ぎ者と国にいる家族が顔を見ながら話せるサービスを経営しているが、一回90ドルと、パソコンとインターネットがあれば、僅かな金額でできると思われる事になかなかの料金を取る。

それでもマリアと子供達はたびたびでかけて、テレビの向こうに照れたようにちょこんと座った夫に話しかける。「仕事はどうですか?」「おとうちゃん、いつ帰ってくるの?」「しばらくは・・帰れないよ・・。」




エクアドルへ

2008年08月08日 | Weblog

南米はエクアドルへ飛ぶ。
今回は三本のレポートを作る予定。

アメリカの不景気のあおりで苦労している出稼ぎ労働者の話。
貧困のため学校にも行かずゴミ捨て場で働いている子供達の話。
ガラパゴス諸島の環境を守る話。

キューバのサンタクララ上空を横切ると、座席のスクリーンにパナマの上空を飛ぶイラストが映った。道路さえ見えるのだから雲さえ切れればと窓から覗き込むと、白い雲にうっすらと黒い筋が浮かび上がった。まさかそんなに都合良く・・さざ波が光り、浮かぶ貨物船のコンテナが見える。
スチュワーデスに「あれ、運河かな?」と尋ねると「ちょうど通る頃ね、どれどれ、あーそうそう間違いないわ、ラッキーね。」

もう一度覗き込むと程なくパナマ運河は雲に覆われて消えて行ってしまった。
いいね、明日からの撮影もこんな風に行くのさ。アイポッドからツェッペリンの D'yer Mak'er、コーフンして来た。サイコーの仕事をするさ。ゴミの山で子供達に会って泣くんだ。だいじにだいじに、そして情熱的に撮るんだ。

七時間程でグアヤキルに、そこから国内線に乗り換えて、世界遺産に登録されたエクアドル第三の都市クエンカに到着、案内のカルロスが迎えてくれた。
標高2530m、少し肌寒い。