岩切天平の甍

親愛なる友へ

ASTROLAND PARK

2008年08月07日 | Weblog

ニューヨーカーのオアシス、コニーアイランドの遊園地が、今夏を最後に売られ、再開発の手が入ることになった。

地下鉄で来れるアメリカの花屋敷は、絶叫マシンこそ無いけれど、安上がりで、ひっそりとつつましい移民親子の心安らぐいこいの場だった。

世界一怖いジェット・コースター(ボロいから)サイクロンと、観覧車ワンダーホイールの二つだけを残して、長い長い間人々に愛されたノスタルジックでアンティークな遊園地が消える。

バンパーカー、コーヒーカップ、メリーゴーランド、射的に輪投げ。見世物小屋のへび女、剣を飲む人、毛むくじゃら男たちはウッディ・アレンの映画と共に歴史の中に去って行く。

2011年に完成予定の新しい遊園地には運河が掘られ、高級ホテルとマンションにナイキタウン、21の新しい乗り物と新しいジェットコースター・・、ラスベガスみたいになるらしい。時の流れでしょうかね。

ウチから三十分位、電車一本で行けるから、今年の夏は時間が許す限り通ってみようかな。




黄色いハンカチ

2008年08月06日 | Weblog

週末から行く予定の南米、エクアドル取材の打ち合わせ。

フィルム・フォーラムで戦争コメディ“M★A★S★H”を観る。
コメディの英語は難しい。再見の要有り。

リンカーン・センターで“しあわせの黄色いハンカチ”。
いくらなんでもあの武田鉄矢のアップはしんどいだろうと思ったけど、考えてみたら当時あの小さな車で単玉レンズを付けたらしかたなかったのかなあ。

武田氏演じるちょっと共感できないキャラクター設定に首をひねってしまう。
見直してみると健さんの役もなんだかただのやくざ者とも思えるし・・・。
いや、失敬。


Park Slope Food Coop

2008年08月04日 | Weblog

朝六時からPark Slope Food Coopで三時間の労働。

会員制のスーパーマーケットで、会員は月一回程の労働が義務付けられる代わりに、安くて質の良いオーガニック食品を買える。
働いているのはほとんどが他の仕事を持つ近所の住民達。

Receivingセクションで、トラックで届けられた野菜をウォーク・イン冷蔵庫に運んで古い物と並び替える。
野菜の詰まった段ボール箱は結構重くて、なかなかの重労働だ。

撮影などと、ある意味浮き世離れした仕事をしていると、ついつい労働と言う事を実感できなくなって思い上がった考えを起こしそうになるから、ここでたまに働くのはとても良いと思う。

リンカーン・センターで大島渚の“少年”と、市川崑の“おとうと”を観る。
郷里に住む姉を思い出して、済まないような気持ちになる。


スシ・サンバ

2008年08月03日 | Weblog

スシ・サンバのジャズ・ブランチ。
井上智G、植田典子B、高橋信之介D。
ショーロのCDをコピーしてお土産に進呈。

アンソロジー・フィルム・アーカイブスでチャップリンの“独裁者”
リンカーン・センターで大島渚の“白昼の通り魔”を観る。


新藤月例展

2008年07月30日 | Weblog

新藤修一の仕事場、月例展。
7月のお題は“アサヒスーパードライ”。

フォトショップでゴマカす。
とりあえず、参加することに意義を見いだして頂きたい。
あしからず。


オブリガード、ブラジル!

2008年07月27日 | Weblog

午前中、サンパウロ支局でT記者とアンナさんは翻訳作業。
僕は自由時間を貰って、おのぼりさんと化す。

地下鉄に乗って地元気分を味わい、カテドラル・メトロポリターナで賛美歌を聞いて、サンパウロ美術館が開く迄の時間、蚤の市を覗く。冷やかすだけのつもりが、綺麗だったのでつい銀のケーキトングを買ってしまった。安かったし、お土産に。

美術館に入る。展数は少ないが、モネの“エプト川のボート遊び”が美しい。
ゴッホの“セントポール病院の庭の石のベンチ”がやさしくて、全速力で走り抜けたブラジル行の息がふーっと抜けた。来て良かったと思う。

アンナさんとジョナスにさよならして、夜行便でニューヨークへ。

オブリガード、ブラジル!



O do Borogodo

2008年07月26日 | Weblog

サンパウロにてブラジル撮影終了。仕事は終わって、さて、最後の夜だ。
ホテルの部屋でグーグル・サーチ。サンパウロ、音楽、クラブ。
“サンパウロレコード”と言うブログにたどり着く。
『サンパウロでは毎晩どこかで生演奏で飲めるお店が開いておりますが、ここオードボロゴドは良質なサンバ、ショーロが聴けるお店で有名でございます。「オードボロゴド!」は古いスラングで「最高!」って意味らしいです・・・。』
こ、これだぁ! 地図まで載ってる。

荷物を整理して、収録テープを整理して、えーっと、盗まれたくない物は残してと。さぁ、もう死んでもいいぞー!

フロントのお姉さんに地図を見せて、ココに行きたいんだけど、地下鉄で何分くらいかなと訊くと、泣きそうな顔で悪い事は言わないからタクシーにしなさいと言う。「ここの太い通りはいいけどこっちの路地は入っちゃダメよ・・・。」

タクシーの運ちゃんも親切で、店がちゃんと確認できるまで、僕を降ろそうとしなかった。古いレンガむき出しの壁に殺風景なテーブルと椅子が転がって、奥に5人も並べない小さなバーカウンターがぼんやり浮かんでいる。客は一人もいない。入り口のお兄さんに今日は音楽やるの?と訊くと十時からだと言う。時計を見るとまだ八時過ぎ、街をぶらつくことにする。

バス通りに沿ってぶらぶら歩く、ホテルのお姉さんに言われた路地は、薄暗くて成る程入って行く気にもなれない。

角ごとに通りに大きく間口を開いた定食屋があって、カウンターで男達がビールを飲んでいる。腹が減ったので、入ってみたけど、ガラスケースの中のお惣菜はどれも肉料理ばかり。歩き続けていると、広いバス・ターミナルに出て、その先は少々アブなそうな繁華街、赤羽駅裏。
スーパーマーケットに入ってみる。マルちゃんラーメンがある。そうめんもキッコーマンもある。パパイヤが二個一ドルくらい、安いね。
「アサヒ」と言う名の日本食堂がある。店構えからして本物らしいが、さすがにここまで来て日本食ってのも、入るのはよす。東京に住むアサヒちゃんを思い出した。元気かな。

居酒屋で食事して十時に戻ると店はすでに人で一杯で、大きなテーブルを囲むようにバンドが座っていた。カウンターでビールを買って、バンドの横に転がっていた椅子に落ち着いて、録音機を取り出す。

ギター、バンドリン、カヴァキーニョ、パンデイロにサックス。
ショーロ・バンドだな。と思ったとたんに強烈なスウィングが堰を切る。
せつなくて、情熱的なスウィング。
途端に気持ちがぶるっと震えると、黒人、白人、アジア人、そこいらで喋っていた男女が弾けたように手を廻して折れんばかりに腰を振り始める。
僕の首も百八十度回転運動が止まらない。
メンバーはテーブルに食事やビールを置いて、誰かのソロの合間に食べたり飲んだりしながら、スウィングは三時間続いた。
街角の何も無い古い店に、音楽とダンスと仲間の笑顔。
こりゃあまったく“最高!”だ

あっと言う間に閉店時間、テーブルに並べたCDを買って帰る。
バンド名は“Grupo Cochichando”
素敵な夜だった。
ホテルに帰って“サンパウロレコード”氏にお礼のメールを打つ。



サン・ルイス

2008年07月25日 | Weblog

起き抜けてホテルの前のビーチを散歩、波の音を録音。
港湾施設を取材する前に、世界遺産の旧市街を撮影。
せっかくの石畳なのに、街中にお祭りの安っぽいぴらぴらがかかっていて少々残念。
フランス風の街並よりも、つい人を撮ってしまう。店先に商品を並べる布地屋のおばちゃん。坂道の途中に椅子を置いて、座って地面を見つめる老人。ロバの荷車を引く人・・。世界遺産は建物だけじゃないみたい。
ヴァーレのおにいさんが知り合いに頼んでくれて、町役場のバルコニーに登らせてもらう。役場のおじさんにあいさつして、太西洋を四百年望む、いらかの波を撮影。

カラジャス鉄道を、鉄鉱石を積んだ列車がやって来る時間を見計らって、カメラをセットする。何食わぬ顔で、線路の真ん中に。
ヴァーレのお兄さんが絶句している。
「う~む・・・オマエ、どこまで列車が近づいたら逃げる?」
「そうね。あそこの電柱くらいかな。」
「ウム、それなら、まあ、よろし。」
うは~っ、ホントにいいのー?
にっぽんのてっちゃんたちに自慢したい気分。

ほどなく時間通りに機関車が現れる。
電柱を過ぎても当然私はどかぬ。ギリギリまで粘る。
断続した汽笛が鳴り、お兄さんが叫んでいるのが聞こえたのでカメラを三脚ごと担いで退散した。ゴメンナサイ。

ブラジル資源開発会社ヴァーレ社、世界の鉄鉱石の三割以上を供給する。

原油高騰を機に、先進工業国に代わって、発展途上国とされてきた中東や中南米の資源を持つ国々の発言力が高まっている。

「資源を持たない日本は、今後どのようにして生き残りを計るべきでしょうか?」
「いや、日本は立派ですよ。我々資源のある国は強いように見えるでしょうが、この豊かな資源に頼りきってしまって、発展しようとする努力が無いんです。安心しちゃってるんですね。ウサギとカメです。」

無けりゃ無い、有りゃあ有ったで悩みは尽きないようで・・・。

港湾施設をまたもやわがまま一杯に撮影させて頂き、空路サンパウロへ。



ブンバ・メウ・ボイ

2008年07月24日 | Weblog

夜明けと共に起床。コロニアルを散歩しながら鳥の声を録音してみる。
ホテルの窓もドアも吹き抜けのレストランでパパイア、アサイー、グアバ。

カラジャス鉱山で掘られた鉄鉱石はカラジャス鉄道の貨車に乗って北東へ、約九百キロの旅を経て、太西洋に面した古都サン・ルイスの港から積み出される。鉄鉱石を追って我々も飛行機に乗る。

ブラジルでは北が暑い。赤道直下のサン・ルイスは一年中三十度を超える。17世紀にこの国で唯一フランス人によって築かれたこの街は、ヨーロッパのタイルで飾られた美しい街並みが世界遺産に登録されている。

珍しい土地に取材に行った時には、本来の取材とは別に、必ずその地方のレストラン紹介を撮って来ると言う仕事もあって、ここでは地元で評判の海鮮料理屋を撮影させてもらう。仕事を終えてそのまま夕食。

今夜はたまたま一年でいちばん賑やかなブンバ・メウ・ボイと言うお祭りの、そのまたピークの夜だというので、ホテルに帰る前に広場に寄ってみることにした。
時計は十一時を回っている。むっと湿った熱帯の空気、会場へ続く石畳の路地、テーブルを出した店先に、薄暗い赤い電灯の下で、祭りの後のけだるい人々が座ってのんびりと話している。もう終わっちゃったらしいねと歩いていると、広場の奥の方から賑やかな太鼓の音が聞こえた。

「あっちだ!」と小走りに行くと、ステージの上で牛の被り物をかぶった人を中心に、鮮やかな衣装や羽飾りをまとった男女が数十人、男の太い民謡に合わせて手に持った打楽器を打ち鳴らし、笛を吹きながらシャッフルのリズムに跳ね踊っている。
うあぁ!と走って車にカメラを取りに行く。なんとか最後の踊りを収められた。こりゃあイパネマどころじゃないわ。



カラジャス

2008年07月23日 | Weblog

早朝、飛行機を乗り継いで、ブラジルをほぼ縦断、窓の下に赤い大地と未来都市のようなブラジリアの街を眺めながら、アマゾンの南側支流域に広がる世界最大の鉄鉱山、カラジャスへたどり着く。

ジャングルの中をバスで走っても走っても終わりの無い、広大な露天掘りの鉱山。重機が轟音を立てて山を削っている。巨大なトラックがもうもうとホコリをたてて縦横に走り回る。辺り一面鉄鉱石のサビで赤茶色の世界だ。案内してくれる人はもちろん“安全”最優先、「こちらでお撮り下さい。」と、あらかじめ決められた展望所に案内されるが、僕の方は「迫力迫力!もっと近く、もっと近く!」で、ダメだろうなと思いながらも「あの辺に行きたいんですけど。」と言ってみると、困ったナといった顔で話し合いが始まる。

あそこに行きたい、あれを撮りたいと無茶な事を言うと 最初は必ずダメだと言われるんだけど、何故か最後には必ず実現してしまう。これはアメリカでは絶対に起こらない事だ。「ダメなものはダメ、ピリオド。」なのだが、ブラジルの人は頼まれるとどうにかやらせてあげようと思ってくれるらしい。
好意につけこんで、じりじりと採掘機械の真横まで近寄ってホコリを被り、最後には調子に乗ってトラックによじ登って走り回ってもらった。

夕方、碁盤の目に美しく整備された住宅地に、ヴァーレ社が用意してくれたホテルに入る。鉱山職員専用の街で、要するにこの地には人間は鉱山関係者しかいない。フェンスに囲まれたその外側のジャングルは野生動物の世界で、まさに植民地そのもの。その奥のどこかには世界と接触の無い先住民たちが昔ながらの暮らしをしているらしいけど、コロニアル風のレストランに飾られた写真の色鮮やかな彼らを、給仕のおばちゃんはまだ見た事が無いと言っていた。

先住民の保護区はブラジル政府の治外法権となるため、そういった場所で掘られる金やダイアモンドを巡る無法な流血や搾取があるらしく、また、その資源を狙う企業の圧力で、法律が変えられ、乱開発の手が伸びつつ有るという話を聞く。

天井にゆっくり回るファン、
森に響く鳥たちの声を聴きながら眠る。