【性に大らかだった日本】伊勢神宮には古市遊郭が付随し「伊勢参り、大神宮(遊郭)にもちょっと寄り」という川柳があったほど。仏教でも浅草寺境内に吉原の花魁の絵図がかけられていた。明治に西洋人から「異常さ」を指摘され、性を切り離してゆく
— フランス書院文庫編集部 (@franceshoin1985) 2019年3月4日
ほほうと思って検索をまずかけてみる。
錦絵でたのしむ江戸の名所「名所絵の誕生」
「「伊勢参宮大神宮へもちょっと寄り」
この川柳から、人々は伊勢へと言って旅に出るものの、目的であるはずの参宮は「ちょっと」で、観光がメインの目的だった様子が窺えます」
とまあ、川柳自体の解釈はちがえてある。というか、フランス書院さんの解釈のほうがまだしもつつしみがある―神様への敬意成分がよけいめである。なにしろ、おそらく正統的な解釈では、「神様へのご挨拶はちょっとですませ、あとは遊郭でエブリデイサタデーナイトフィーバー」であるからだ。ひどい。
すさまじきもの ~「歌枕」ゆかりの地★探訪~「古市(三重県伊勢市)」
「そして彼らは、伊勢神宮の参拝とともに、伊勢の歓楽街で大宴会をすることも大きな目的としていた。
外宮と内宮のあいだの古市という歓楽街は、江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本三大遊郭の一つであって、伊勢参宮ブームとともに遊興の地として殷賑を極めていた」
一応、精進落としということではあるが―「いやその精進を落としてどーすんだ」とは心のそこから突っ込みたい。せっかくの功徳が落ちやしないか、それ。
とはいえ、なんというか、江戸時代はおおらかといおうか、欲望まっしぐらで、面白けりゃなんでもいーさ!という割りきりが素晴らしいといえば素晴らしい:
ウィキペディア日本語版「油屋騒動」
…政治的正しさとか被害者への配慮とか見事にすぱーっと切り捨てた感。
とまあ、本来は―というか、少なくとも江戸時代にはこんなふうな状況であったものを、「明治に西洋人から「異常さ」を指摘され、性を切り離して」いって、それで百数十年もたてば、まるでいまの―漂白されたような―清浄な神域こそが本来のありかたのように思えてしまう。本来、もともとそうであったかのように思いなされる。これは歴史の改変、伝統の改変といえる。
他の事例にも参考事例としてつかえそうなので、メモ。
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