ネット爆弾(帝国ネット研究所)

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最近の年末年始は味気無い

2012-01-03 21:25:25 | ネッタイムス・ブログのアーカイブ
「謹賀新年」「あけおめ・ことよろ」と言う事で、今年一発目のネッタイムス・ブログ。
ネッタイムスを昨年1月18日にブログで再開してから、初めて迎える正月なので、何か正月らしいエントリを書こうと思うのだが、昔に比べて正月らしさと言うか正月と言う雰囲気自体が薄れている気がするね。
これは正月早々営業している店が多くなり、普段と変わらない事も有るのだろうが、年末年始が味気無いと感じるのは私だけだろうかね。

私が子供の頃の大晦日と言えば、家族揃って「年越しそば」等を食いながら、午後7時から「レコード大賞」を視て、9時からは「紅白歌合戦」を視て、11時45分からの「ゆく年くる年」を視ながら新年を迎えると言う、判で押した様に大晦日の形が出来ていた訳だ。
レコード大賞を受賞した歌手が紅白歌合戦で赤組、白組のどちらに入るのかで勝敗が決まると言う、お約束の流れを有り難がって視てたのが、当時、いたいけな少年だった私が過ごした大晦日の風景って奴です。

華やかな紅白歌合戦が終わると急に陰気臭くなり、まるで葬式でも始まったかの様な、何とも言えない雰囲気のゆく年くる年が始まる訳です。
いたいけな少年だった私は、ゆく年くる年の陰気臭さが苦手だったので、紅白歌合戦で年越しをすれば良いのに。と、エンドレステープの様に、しつこく語っていたそうで、今にして思えば「カウントダウンライブ」を先取りしていた少年だったのである(笑)。

昔の「ゆく年くる年」は今では考えられないが、NHKと民放の二種類しか無くて、民放の方はキー局の民放テレビが持ち回りで制作しており、民放の何処を視ても同じ番組を遣っていた。
民放制作の方は少し明るめなのだが、NHKの方は坊主がお経を読んでいたり、一年を振り替えるアナウンサーの声も心無し暗い気がして当ブログのエントリ、皆様のNHKは不祥事のデパートにも色々と書いた通り、兎に角、お堅いイメージだったのである。
これも同エントリに書いたが、女性アナウンサーが朝からセックスを連呼する今のNHKの姿からは想像出来ない位に堅かった。

例えるなら、思春期の少年のギンギンに勃起した男性自身(所謂ティムポ)と、平沼赳夫が代表の政党「勃ちやがれ」みたいに、「勃ちやがれ」と気合いを入れても「うんともすんとも」言わない、インポの様にフニャフニャの男性自身(所謂イチモツ)に変貌した様なイメージだな。
昔、自動車のエンジンオイルのコマーシャルで、氷点下でも「バナナで釘が打てます」と言うのが有ったが、思春期の少年の勃起した男性自身(所謂、珍宝)でも釘が打てます。って感じ(経験者は語る)。

それ位、堅いイメージのNHKだったのだが、今は不祥事のデパートと言う事で、詳しくは上記のエントリを読んでみて下され。と言うか、内藤珍じゃないが「読まずに死ねるか」って事で、是非とも読んでみて欲しいのだが、全部、読んだら内藤珍みたいに亡くなるかもね(笑)。って、亡くなった人で笑いを取るのは恐縮ですが、内藤珍はコメディアンだったので、笑って明るく送り出す方が本人も嬉しいのではないでしょうか?。

ちょっと脱線気味なので、話を元に戻すのだが、何か陰気臭い「ゆく年くる年」を視ていると、待ちに待った年明けとなり、今で言う「あけおめ・ことよろ」の挨拶をして新年を迎える。
そして、正月になると「おせち料理」と「お雑煮」を食べたり、街を歩いていると羽織袴を着た男性や、晴れ着を着た女性を多く見掛けたものである。
が、最近は「おせち」を通販で注目したら「お粗末スカスカおせち」が到着して、巷やネットで笑い話としてネタにされたり、餅を食べる人が減って来たり、羽織袴や晴れ着を見掛ける事も少なくなった様だね。

若者は餅を食べなくなったり、餅の愛好者である老人が、餅を喉に詰まらせて死ぬと言う正月の風物詩も有って、段々と餅の売り上げが減少しているらしい。
羽織袴や晴れ着を着用すると言った日本文化も減少しているから、日本らしい正月の風景が変化しているのも、悲しいかな時代の流れなのかも知れない。
昔懐かしい日本の正月の風景が、その光景を知る人達の思い出としてのみ生きて行くのは寂しい事だね。

最後に一言、昨年は当ネッタイムス・ブログを御愛顧頂き誠に有り難う御座いました。
本年も宜しく御願い申し上げます。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】