Tchスタッフの奮闘記

   For STEP 一歩先の自分へ


 

幕末何が起きる~龍馬幼少編~

2014年03月13日 | お気に小説
お元気ですか

それでは幕末の背景を語るのに坂本龍馬を中心に紹介していきます
ちょっと長いので、何回かにわけて書かせてもらいますね

龍馬は土佐藩(現在の高知県)坂本八平・幸のあいだに5人兄弟の末っ子として
1835年11月15日に誕生

誕生日は覚えておいてね

龍馬の幼少期は泣き虫(よばいたれ)でいじめられっ子で軟弱な子

でも、なんと豪商 才谷屋でかなり裕福な家でした

裕福ではあったが、ここ土佐ではカッテが違います

それは上士と下士とわけられ、差別されていたことです

たとえば
  下士は足袋や下駄、日傘を使用してはならない
  下士は上士に片膝をついて道を譲らねばならない
  上士は下士を斬っても罪に問われない

坂本家は豪商ではあるが下士(郷士)なのです

なぜ、このような差別があるのかというと、約240前にさかのぼります

それは・・・時は戦国時代 天下分け目の決戦 関が原の戦い



東軍徳川家康軍 × 西軍石田三成(豊臣側)

その頃 土佐を治めていた長宗我部は西軍側

そして関が原の戦いの結末は東軍 徳川が勝利し江戸時代へ突入する
その後、土佐は・・・長宗我部が滅び、変わりに山内家が治めることに

そこで徳川についていた山内側が上士、長宗我部側が下士という図式

かなり昔から差別はあったんですね なんてこった

ちなみに龍馬の時代の人物をあげると

上士は藩主 山内容堂、参政 吉田東洋、後藤象二郎、乾退助(のちの板垣退助)



下士は武市半平太、岡田以蔵、中岡慎太郎・岩崎弥太郎(三菱創設者)ですかね



あげるときりがないので、まずはこのくらいで

そんな幼少期の龍馬は冒頭に述べたが、泣き虫であり、11歳まで寝小便が治らなかった
また、母、幸が亡くなったときには毎日泣いていたという
そして12歳の時には楠山庄助の塾に通わせるが覚えが悪く勉強についていけないアリサマ
もう ボロボロ

ただそんな龍馬だが、姉 乙女は「学問が駄目なら武芸を」と14歳になった
龍馬は日根野弁治道場小栗流剣術を習わせる

稽古を重ねてめきめきと上達した龍馬は自信がつき、一人前の男に成長
よかったですね

龍馬幼少の頃 日本の状況はどうだったかというと・・・
あまり良い世の中ではなかった

それは天候不順により凶作が何年も続き、米の高騰が進み、深刻な飢餓があった
「天保の飢饉」



そして幕府 老中である水野忠邦による経済政策で娯楽の禁止や
物価の引き下げをして価格を抑えた
「天保の改革」
しかし、娯楽の禁止などで、経済が回らず悪循環 そして人々の不満は募っていた

また、日本は鎖国を行っており、外国との接触を嫌った
ただ、鎖国といっても、オランダ、中国、朝鮮、アイヌといった外国とは
貿易をしてました

そんな中、ヨーロッパ各国では産業革命で新天地を求めて、日本へ来るようになる
幕府は異国船打払令を打ち出し、断固として外国の意向を受け入れなかった

こんな感じで日本は荒れ始めていた

そして・・・日本中を騒がせる事件が起きる それは・・・

次回 お楽しみに

基板設計・FPGA開発は、テクニカにお任せ下さい!!


にほんブログ村 海外生活ブログ ベトナム情報へブログランキング・にほんブログ村へ

最新の画像もっと見る