アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

大人になることの意味

2007年12月24日 01時25分47秒 | サッカーの謎
12月16日に1部リーグの最終節の試合があった。
相手は都立小岩高。
お互いに、気持ちのぶつかり合ったいい試合だった。



この日、メンバーに関しては
キャプテンを中心に選手だけで決めさせた。
この試合は自分がレフリーをすることもあって、
選手達が自ら話し合って、9人の交代枠を目一杯使い、
可能な限り選手を出場させる。



ただ、勝つことを放棄した訳ではない。
選手の判断の裁量の幅を広げることによって、
選手達の自主性や責任感、といったものを引き出したかった。



チーム全員でプレーし、
最終節を勝って、後期リーグを締めくくろう、
そう思っていた。



高1の選手は結局、アシスタントレフリーをしてもらったので、
試合には出場させられなかったが
側面からチームをサポートしてもらった。



実は高2は高体連の関東大会予選(新人戦)と
後期リバーサイドユースリーグの試合を目標に
練習を積み重ねてきた。



この日の試合をもって、
クラブを卒業する、高校サッカーを卒業する・・・
そういった思いを抱きながら、
試合に臨んでいた。
保護者の方々も多数、応援に来ていただいた。



前半は拮抗した展開が続いたが
緊張もあったのか、
所々で声などの連携ミスもあって失点してしまい、
0対1で前半終了。



ハーフタイムでは

「前半に失点し、後半に攻勢をかけるも
カウンターで失点し、結果的に負けてしまう・・・
そんな試合はサッカーではよくあること」

「そのような悪い流れに嵌ってしまうのか・・・」

「このままで行くと、悪い流れのまま試合が終わってしまうが
自分達の力で結果を変えられる試合もある」

「自分達の力で変えられる未来もあるはず・・・」

「自分達が納得できる試合、納得できる結果になるように
全員で声を掛け合いながら、後半頑張って行こう!」

そう話して選手達を送り出した。



後半もお互いに球際に厳しくいき、
気持ちを出し合った試合になったが
セットプレーを含めてタイミング良く得点することができ、
結局、4対1で逆転して、試合終了。



ただ、試合に出ていた選手達は
「勝って嬉しい」というよりも
『終わってしまった・・・』
そんな表情を浮かべていた。



少なくともこの試合に関しては
選手達が自らの力で勝利を勝ち取った。



自分達で考えて、自分達で声を出し合って、
前半に出場した選手も、後半に出場した選手も
自分達で頑張って、試合を勝ちきった。



このチームに登録していない高2の選手達も
応援に来てくれた。
精一杯応援してくれた。
レフリーをしてくれた高1の選手達も
しっかりとレフリーをしてくれた。



勝ち負けに関係なく、
とてもいい試合だったと思う。



『サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする』
ということが言われるが
『大人になる』ということはどういうことだろうか?
『紳士になる』ということはどういうことだろうか?
答はないのかもしれないし、
人それぞれ解釈が違っていいのかもしれない。



あくまでも私的な解釈ではあるが
『大人になる』というのは
「自分で判断すること」「その判断に責任をもつこと」
そう解釈している。



また、
『紳士になる』というのは
「人との関係を楽しみ、人との関係を大切にできること」
「他人の立場に立って考え行動することができること」
「他人の気持ちを思いやり、他人に気配りができること」
そう解釈している。



例えば、サッカーにおいて「判断」という要素は極めて重要。
サッカーでは同じ局面は存在しない、と言われている。



同じような状況は存在しないが
似たような状況は存在する。
似たような状況に対してどう考えるか?
以前に経験した状況を自分なりに類推し、
今の状況に対応することができるか?
だからこそ「自分で判断すること」が求められる。



「自分で判断する」ということは
「判断を他人に委ねない」ということ。
「自分で判断する」からこそ、
「判断に責任が求められる」。



でも、子供達・選手達はまだ高校生。
完全な判断基準を身に付けている訳ではない。



いろいろな人に会い、
いろいろな人とふれあい、
話し合い、ぶつかり合い、
同じ時間を過ごすことで
一人一人の価値観や判断基準に幅が出る。
奥行きや深みが出る。



サッカーの試合で
「こんなプレーもあるのか!」
「こんなサッカーがあるのか!」
「こんな戦術があるのか!」
という経験をすることで
選手達は多様なサッカー観を知る。



試合には負けたとしても、
価値観の多様性を知ることで
逞しくなり、柔軟な判断ができるようになる。
太く逞しい、また繊細で柔軟な判断基準を
持てるようになっていく。
狙いのあるプレーができるようになっていく。



そのことこそ、
『サッカーは子供を大人にする』ということの意味ではないか、
そう思っている。



ただ、『大人になる』のは〝グランドの中〟だけではない。



たとえ、選手達がサッカーを続けていかないとしても、
選手達がいろいろな人と出会い、
衝突しながらも、心が触れ合うような時間を重ね、
自分の中の価値観を
太く、幅の広いものにしていってほしい。



もし、大切な仲間なら、大切な友達なら、大切な人なら
その人との関係を大切にしてほしい。
どんな時でも話し合ってほしい。
逃げずにいてほしい。
相手がいるのに自分の世界に入らないでほしい。
相手を拒絶しないでいてほしい。
どんな時でも、挨拶を、なにげない会話を
大切にしてほしい。



私自身、指導者として選手から絶対に逃げずに向き合ってきた。
選手を拒絶しないできた。
どんなに時間がかかっても、
選手からのサッカーノートを読み、コメントを書いて選手に返し続けた。



選手達がサッカー部の活動を通じて
『大人になることの意味』を少しでも理解してくれたなら、
それは望外の喜び。



また、私自身も、指導者として
選手達が素直な感情をぶつけてくれたことに感謝したい。
お互いに感情がぶつかり合ったこともあったが
自分も選手達もお互いを拒絶しなかったと思う。



それが本当にうれしいし、ありがたかった。



もしかしたら
この日の試合、自分への対応を考えると
選手達はもう十分に『大人』なのかもしれない。



でも、これからもいろいろな出会いを重ね、
いろいろな価値観を知った上で
「自分で判断し、自分の判断に責任を持てるように」なってほしい。



いつでも「自分の足で立ち、自分の手で起き上がる」
ようになっていってほしい。



できることなら、
大切な人をその手で支えるようになっていってほしい。



最後に、
「またどこかで会いましょう」
「その時もお互いに挨拶からしっかりやりましょう」
と選手達に話した。

選手達は優しく笑っていた・・・。