アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

メンバー選定の基準と判断方法

2008年10月07日 12時29分48秒 | コーチングの謎
新人戦(兼関東大会予選)が今月末から始まるが、
試験準備期間と重なることもあり、
思ったような練習はできなくなる。
その分、選手に自主トレを促したり、
試験期間中も何日か校庭で1時間位は練習できるように
顧問の先生にお願いしている。



もちろん、学生である以上、
勉強が最優先であるので
試験勉強と新人戦への準備とそのバランスについては
悩むところではあるが、
落しどころとして
試験期間終了まで約1時間の学校練習を何日か行うことで
対応したいと考えている。



個人的には
チームの一体感を常に意識しながら
練習も試合も行いたいと考えているので、
試験準備期間中もチーム全員で練習したいとは思っている。



ただ、チーム全員で約1時間の練習を行うにしても
大会まではグループを分けて練習するつもりではいる。
一方のグループは大会エントリー予定のメンバーを中心にし、
もう一方のグループは万が一に備えたバックアップメンバー
ということになる。



試験準備期間中の練習はエントリーメンバーだけでもいいのでは?
という考えも当然あり得るが、
「チームの〝一体感〟の確保」と
ウイルス性の疾患等、何らかの事情で
エントリーメンバーの多くが出場困難になった場合のことも想定して
変わりに出場したメンバーのコンディション不良ということのないように
全員で練習していきたいと考えている。



そのグループ分けは大会の抽選も終わったので
対戦相手を想定しながら
自分達が練習でやってきた戦術を軸にしつつも
予想される展開を考慮した上で
様々な状況に対応できるように
エントリーメンバーを選ぶつもりでいる。



攻撃的に戦うのか?守備的に戦うのか?
先制された場合、先制した場合、
それぞれの場合でどのいう現象が想定されるのか?
残り5分で先制された場合、
残り10分で同点に追いつかれた場合、
残り5分で先制した場合など
様々な状況を想定した上で
選手を選びたい。



また、選定の基準は選手の〝実力〟で判断したいと思っているが
何をもって選手の実力を判定するのか?
その判断基準は?



自分の場合、
①メンタリティー
②戦術的な理解力判断力
③コンディション
④技術
⑤フィジカル
⑥ポテンシャル
という6つの基準で選ぶようにしている。



ただ、この判断は簡単ではない。



①の「メンタリティー」1つ取ってみても
簡単に判断できるものではない。
苦しい状況で頑張れるのか?
集中は切れやすくないか?
冷静にプレーできるか?・・・
など色々な面でのメンタリティーの判断基準というか要素がある。



②の「戦術的理解判断」においても、
攻撃における判断、守備における判断、
局面における個人での判断、
グランド全体を俯瞰したチームとしての判断、
それぞれの判断が適切にできているか?
また、そういった判断を冷静にしようとしているかどうか?



また、自分は自分は指導者として監督として
コミュニケーション能力やコーチングする能力、味方に伝わる声、
といったものを重視しているが、
この部分は戦術的な判断と同時にメンタリティーにも跨ってくる部分なので
純粋に客観的に評価するのは困難な部分ではある。



また、③の「コンディション」と⑤の「フィジカル」は
ある意味、重複しているようにも感じられるかもしれないが、
例えば、ある選手の運動能力が最大で90あったとしても、
現段階ではその50%も出せない状態であれば
コンスタントに60の実力を100%出せる選手の方が
計算できるということになる。
ただ、この部分も①の「メンタリティー」という部分とも
深くかかわってくる可能性があるので
簡単に数値化できるものでもない。



④の「技術」にしても、
攻撃的な場面だけでなく
守備的な場面でも求められるものだと考えている。
例えば、
ヘディングやタックル、スライディングやボールへの身体の入れ方、
守備においてはフィジカル勝負と勘違いしている選手も多いが
技術無くして、レベルの高い選手からボールを奪うことはできない。
また、攻撃面において、
フリーであれば冷静にプレーできる選手であっても
プレッシャーがきつい状態で何もできないようだと
持っている技術も絵に描いた餅になってしまう。
なかなか今のチームの選手には居ないが・・・
修羅場で使える技術こそ、本当の技術だと思っている。



⑥の「ポテンシャル」というのは
最も客観的に判断しにくいものだとは思う。
その選手がどんな意識で普段から練習に取り組んでいるのか?
実際に練習中から自分の実力を出し切っているのか?
自らを追い込んで、ギリギリまで自分の実力を引き出そうとしているのか?
そういったことを続けている選手には
ものすごく〝可能性〟を感じるし、
いわゆる〝化ける〟選手は
普段の練習の様子で高い「ポテンシャル」を感じることができる。



もちろん、実際に出場してみると
雰囲気にのまれたり、周囲や相手との関係で
自分の有している「ポテンシャル」の半分も出せない選手も少なくない。



これは代表レベルでも同じようなことがある。
ジーコ元監督、オシム前監督、岡田現監督にしても
時として、
『何故この選手を交代で使うのか?』
『何故、この選手を交代させないのか?』
といった批判を事後的に評論家から浴びせられることが多い。
例えば、オシム前監督時代もアジアカップにおいて
『何故、羽生を使うのか?使い続けるのか?』
という批判を浴び続けたが
推測するに、
後半の残り時間の少ない一番疲れてくる時間帯こそ、
羽生の運動量が活きて来るはず・・・
そういった羽生の運動量や走りに
オシム前監督は「ポテンシャル」や〝可能性〟を見出したのだと
個人的には解釈している。



また、個人的には選手の実力を評価する際に
その選手個人を単体で評価するのは極めて危険だと考えている。
その選手が個人としては能力が高くても
周囲との関係でその能力を活かしきれない・・・
というのはよくあること。
選手は機械ではないし、機械の部品のように扱えるものではない。
プロの世界では
実力が金銭で評価され、
あたかも機械の部品のように扱われるが
チーム内における実際の物事はそんなに単純ではない。
いいFWが来たら、
得点を量産し、チームも連勝街道まっしぐら・・・
というのは幻想だと思う。



究極の機械部品の集合体であるフォーミュラーカーであっても
同じようなことが言える。
車のスピードを上げるには単純にエンジンを載せかえればいい、
というものではない。
タイヤやシャーシとのバランスなど
何かを1つ変えることで
全体からバランスを見直さなければならない場合がほとんどだと思う。



サッカーのチームにおいても
F1の場合と同じように考えることはできる。
組み合わせで活きて来る選手もいるし、
組み合わせで能力を出し切れない選手もいる。



ただ、サッカーの場合に面白いのは
予想外の化学反応が選手の組み合わせや選手交代で生まれることが
時としてありうること。



「ポテンシャル」という部分と重複するが、
客観的に数値化できない〝可能性〟という要素が
その選手のみに留まらず、
チーム全体に、いい効果を与えていくこともある。



もちろん、反対の場合もある。
一時のレアルマドリーや野球の人気チームにおいても
選手一人一人の能力は高いが
チームという単位で考えた場合、
一人一人の能力がチーム内で相殺されてしまっているということも
十分ありえる。



ただ、チームという枠組みの中で
「周囲も活かし、自分も活きて行く」
「周囲によって自分は活かされている」
「自分の為だけでなく、チームの為に何ができるか」
といったことを考えられる選手は
11人の中で活きることができることが多い。



自分が監督として指導者として
コミュニケーション能力やコーチング能力、
味方への声掛けや声による反応、
といったことを重視するのは
そういったサッカープレーヤーとしては
副次的に思える能力が
チーム全体として選手一人一人がどのように機能し、
また個々の選手の組み合わせによって
どのような化学反応が引き出されるか、
という面において、
極めて重要な役割を担っている、
と考えるからこそ。



自分勝手にプレーする選手やチームで考え行動できない選手は
どんなに実力があっても
その実力の半分も表現できない、
というのが自分の持論。



逆に言えば、
一人一人がスーパーな実力を持って無くても、
お互いに短所をカバーし合える能力と意識と声があれば
なんとかなる。



この点と関連するが、
「このポジションしかできない」
「1つのポジションしかできない」
という選手は何らかの明確な特徴や長所が無い限り、
出場の機会はどんどん制約されてしまう。



また、自分のやりたいポジション以外を任された時に
「こんなポジションはできない」と考えてしまうのか、
なんとかそのポジションで
自分の色を出しながらも
なんとかやろうとするのか。
例えば、
練習試合やリーグ戦でも
意図的にやり慣れていないポジションをやらせることもあるが、
実際に選手がチームの中でどう機能するのかということを判断する、
という側面と同時に、
選手がどのような「メンタリティー」を持っているのか?
状況に合わせて柔軟かつ冷静に判断・行動できるのか?
といった選手の「メンタリティー」を判断する、
という意図もある。



自分さえ良ければいい、という選手は使えない。
常に、チームに為に何ができるのか?
ということを考えられる選手を使っていきたい。



ただ、この点でも
〝可能性〟ということを考えると
判断はかなり困難なものになる。



大会のエントリーメンバーを選定する作業自体、
簡単ではないし、頭を使う作業。
同時に、選ばれなかった選手の気持ちを考えると
辛い作業でもある。



それでも、
エントリーメンバーに残った選手が
助け合い声を掛け合いながら
真剣勝負の中で
出れない選手や応援しれくれている人達に
何かが伝わる試合がしてくれることを信じ、
また、いい意味で想定外の化学反応が起きてくるような試合ができるような
メンバーを選べればと思う。



最後は自分が監督として最終的な責任を負うためにも
客観的に判断できる部分を
自分自身の主観と経験知で補いながら、
総合的に判断し、
自分の決断で
選手を選んでいきたいと思う。