かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

7月6日は「サラダ記念日」

2017-07-06 | 気ままなる日々の記録

  俵万智さんが「「この味がいいねと君が云ったので7月6日はサラダ記念日」という詩を発表して有名になったのが1987年・(昭和61年)だったかなあ。

 僕は未だ定年前でバリバリの地方の進学校の教師だった。当時は山岳部の顧問をしていて毎年7月の後半から8月の初旬にかけて山に入っていた。高校の山岳部は一人前にプロの登山家の真似をして組み立て式テント一式に食事の材料をすべて持って行っていたので荷物が多く重い。この時季の登山が山岳部にとって最大のイベントだったので、どうしても有名な山へ行きたがり、結局槍と穂高ということになる。

 この登山には先輩たちも参加するという伝統があって、名大や早慶へ進学した先輩たちも参加した。先輩たちは顧問を助けるという伝統を良く守り、僕の荷物を持ってくれたり、ペースを僕に合わせてくれた。

 この高校の山岳部には奇妙な伝統があって。穂高の水場である岩の先端に立って、好きな女性の名前を3回絶叫するというものだった。顧問はおくさんのなまえだという。先輩たちは自分で絶叫して見せ次に顧問に絶叫させ続いて3年2ねんにやらせた。

 そういえば下山した後で誰が何と叫んだかを口外してはならない。と厳命していた。これも共同の秘密をもつという団結の証をつくっていたのだろう。まあしかし、あの勇壮な青年教師も今や落ちぶれて左半身不随で車いすでもたもたしている。これが、無情というやつで、之以上の無情もない。以上近況報告に変えて。(T)

  

                       蓮池のスイレン

 

 

 

 

 

 

 


北朝鮮のロケット打ちあげについて。

2017-07-06 | 気ままなる日々の記録

  7月5日NHKテレビのニュース解説は時間を延長して評論家の座談会のようなことをやっていた。

 興味の涌くテーマだったので最後までみたが、中身がまるでなかった。

 日本の評論家と云う人たちはいろいろ想像して勝手な解釈を、あたかも北朝鮮の指導者に聞いたように言う人たちだと思った。実は、全て勝手な想像にすぎないのにあたかも真実のように言う人たちが評論家だと分かった。

 こういう人たちが活躍する国は危なくてしかたがない。

 国民が色眼鏡で世界を見てしまい、いつの間にか、政治のの指導者や外交官まで間違った目で世界をみてしまう。

 我が国が真珠湾攻撃を行い米国と戦争をしたのも、政権中枢の決断ではなかった。

 我が国は高い授業料を払って勉強したはずなのに、キチンとした理論をを汲み上げて結論に至るという思考をせず、世の評論家のように、自分の想像があたかも現実のように思い込みその上に結論をのせようとする。

我が国は言葉巧みに情緒的な考え方をする人が人気を得て指導者になる傾向がある、危ない国である。

 今日の評論家の座談会を聴いていてそう思った。国民がしっかりしないとまたもや、奇妙な方向に走り出す可能性がある。(T)