昨日の午後酷い雷と土砂降りの雨があった。このことを携帯メールで関西に住む娘に送信し終えた途端電話が鳴りだした。ピーコロン、ピーコロンととても可愛い響きであったが、はじめてのことで、急いで開けてみた。土砂災害警戒情報というものであった。午後四時二十五分隣の市へ出されたものだ。このあたりはめったに、災害の難に出会わない広い平野であるが、昨日は特別であったらしい。あちこちの、鉄道路線が3時間から4時間ぐらいの、運休の知らせを出していたから。
それに比べると子供の頃は随分怖い思いをした。台風の時期になるとすぐ近くの1級河川が濁流となって渦を巻きながら流れていたからだ。二つの大きな堤防があったが、護岸が弱く、水がしみ出して住宅地にじわじわと押し迫ってくる。近くの畑が半分泥につかっているのを見ると、子供心にも堤防が決壊するのではないかとおののいていた。
一方大人たちはこの時とばかり薪取りに大忙しだった。上流の方で崩れた山の木々が沢山下流に流され岸に押し寄せる、それを拾い上げるのである。当時風呂を沸かすのに使うのは落ち葉、枯草、薪であった。そのため、家族総出で木々を集めていた。熱心すぎる若者が濁流にのまれ命を落とすという悲しいニュースも数年に一度くらいあったように思う。
60年以上の間に護岸はコンクリートで固められ、水量も調節され、子供のときの様な心配はなくなった。今では薪取りも必要ない、本当に恵まれた地域となった。だが、テレビで災害のニュースを見る度、子供の頃を思い出すと心が痛む。(E)
駐車場が池に 道路が川に。