今日は10月1日土曜日、何か一区切りの日、この日を記念して何かをまとめておこうという気になって、今読んでいる本を中心に畏れ多くもタイトルのような文章を書こうと思います。
第一問 我々はよく「アッラーの神」といいますがこれは正しいですか?答え「間違いです」『イスラム教』でアッラーというのは神様の固有名詞ではなく一般名詞、つまり神様のことだからです。第二問
同じように「ヤハウエイ」(ヘブライ語)は何教の神ですか?答えユダヤ教です。
同じようにキリスト教はゴッド《英語)です。アッラーはアラビア語です。
第三問、ところで、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教のそれぞれの信者は同じ神を信じていると思っているいますか?答え 少なくともイスラム教徒はそう信じています。だから、アラビア語圏に行くとキリスト教の教会に行くとアッラーと書いてあるそうです。
ユダヤ教徒やキリスト教徒はチョット違って、彼らの中にイスラム教徒は自分の信じている神と別の神を信じている邪教徒だと思っている人たちが大勢いるからです。
ここは注意したいところです。日本人は自分と違う神を信じている人に対してその人が信じている神を邪教とみなしたりその神を足蹴にしたりしません。
しかし、ユダヤ教徒やキリスト教徒は異教徒を「邪教徒」とみなしたり、異教徒を助けるという気で侵略したり攻撃したりします。ヨーロッパで、ユダヤ人が排撃される理由は案外こんなところにあるのかもしれません。
例えばシェックス・ピアーの「ベニスの商人です。
ユダヤ人の高利貸しからお金を借りたイギリス人がお金が返せなくなったとき自分の体の肉を1ポンド切り取ることを認めた契約書に署名していた。
ところが船が遭難してお金が返せなくなったとき、裁判長はユダヤ人に肉を切り取ることを認め、ユダヤ人が刃物を立ててイギリス人に迫ったとき、裁判長は「確認しておく。
肉は契約通り切り取って良いが一滴も血を流してないけないぞ、血を流した時は、同じ量の血をお前に流させる」と宣言しユダヤ人は肉を切り取る権利を放棄します。
この芝居はヨーロッパで好評を博し何度も上演されました。
キリスト教徒のユダヤ人嫌いを物語る有名なエピソーとです。
世界情勢を見る時この点は注意したいものです。参考文献は「文春新書」『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』池上彰著定価《800円+税)です。(T)
民俗と宗教については、何千年もその民族が暮らしてきた自然環境と深く係っています。
その点日本民族の八百万(やおろろずのかみ)の神は、
自然災害の博物館のような日本列島でありましたが、農耕に適した耕地に恵まれれ、
隣村と戦って耕地を奪うよりも協力して、治水に成功した方が、豊富な食糧が手に入ることをを学んだ我が国の先人たちの御蔭であったと見るべきでしょう。(T)
10月になっても梅雨のような日々