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かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

自然の摂理

2017-03-13 | 気ままなる日々の記録

   明け方が大分暖かくなった。昨夜の気象情報によると、今日は終日曇りで夕方から雨ということだった。今朝5:30頃起きて、館内散歩と称して3階の出窓へ出かけ眼下の広大な田畑を見ていた。どこから来たのか鳩の群れが田圃の中をせわしげに歩き回り何かを盛んについばんでいた。

 僕は無意識のうちに鳩の群れの中に半身不随の鳩はいないか探していたが、チョットした怪我をした鳩さえいなかった。「鳩は全部健康なんだ!」と思ったが、すぐそうではない、鳩の場合はいろいろな病気になったら、それが命取りになって死んでしまうに違いないと気が付いた。

 それなのに、半身不随で生きている自分を嘆いていては僕を助けてくださった救急車の方々や、緊急外来の病院の皆様に申し訳ない、第一、ずーっと僕に付き添ってくれた家内に申し訳ない。と気が付いた。

 今朝広大な田圃と畑それに野鳩の一群が僕にそれを教えてくれた。物忘れの激しい僕だが、これは忘れないようにしようと恥を承知でこのブログに書いた次第である。(T)

 

 


カンボジア考

2017-03-12 | 気ままなる日々の記録

  奇抜なタイトルになってしまいましたが、ここ「有料老人ホーム」に新しい男のスタッフが入られ、少し怪しげな日本語を話される。そこで「お国は何処ですか」と聞いたところ「カンボジャです」と云われた。

 カンボジャは多分フランスの植民地だったような気がして黙った。

 イギリスの植民地だったら、早速僕の怪しげな英語でいろいろお聞きし、退屈しのぎにしたいところだが、フランスでは手も足も出ない。

 そこで。家内も巻き込みカンボジャの位置から首都からいろいろ思い出し、今度彼が来たらいろいろ訊き出し雑学の1ページにしようと調べ始めた。

 インドシナ半島の太平洋側にベトナムがあり、第二次世界大戦の戦後左翼系の独立運動が起こり、フランスが持ちこたえられなくなって、アメリカが介入、そのアメリカも地上戦では苦戦し、ジャングルに枯葉剤を撒いたとか国際法に違反する戦法をとったとか。

 長い間話題になっていた「べ平連」と云う言葉の生み出した世界政治の焦点になっていた国のお隣がカンボジャでした。

 ベトナムを裏で支えたのが中国で、まあ、米ソの代理戦争の様な様相を見せていた国である。今度彼が顔を見せたら今の様子を沢山聞きたいと思っている。ベトナム戦争の頃のことは彼は若くて良く知らないだろうと思われる。

 日本にまで働きにきているということは、彼の血の中に日本人の血が少し混じっていて、さらに、カンボジャでは仕事が無いのでしょう。また訊けたら報告します。最も彼の仕事の邪魔になっては申し訳ないので、うまく時間が取れることを祈りながら、ということになります。

追記:発展途上国の人が日本に仕事を求めて働きに来ることをどう受け止めるか、難しい問題である。

 第一次世界大戦の後、ヨーロッパ各国が溢れる失業者と食糧難で悩んでいた時いち早く復興し好景気を満喫した国がドイツであった。

 そこへ、ヨーロッパ各国から失業者がどっと流れ込み、産業界は潤ったが、国家は大変な荷物を背負いこんだ。ドイツ語が分からない子供が増え、彼らが大きくなると就職できず、強力な強盗団になっていったのである。

 そこで、ドイツは国籍のない人の就業を禁じ、難民に関しては審査し合格した者だけを語学研修を行い、試験に合格したものだけ就職をみとめ、他の者は祖国へ送り返すという政策をとった。

 我が国は四方が海だから難民が流れ込む量は少ないが、北朝鮮が荒れると小さな木造船で日本海へ難民があふれ、彼らが日本を目指すとすると大変な事になる。人道上は彼らを助けなければならないが、そのコストは桁外れに大きいからだ。

何とか穏やかな交渉によって、相互援助の道はひらけないものだろうか。アメリカのトランプ政権の誕生もややこしい話だ。こんな時代だからこそ外務省の官僚や政治家に頑張ってもらいたいとねがうものである。(T)

 


三寒四温

2017-03-11 | 気ままなる日々の記録

   先週2か月先の同窓会開催の便りが届いた。残念ながら体力がなく遠方までの外出は無理なので欠席の返事を書いた。

 私は最近ズーット手紙文によく使われる「三寒四温」と云う言葉について、もやもやした気持ちを持っている。近頃の挨拶文では”三寒四温”と云われる季節、そろそろ梅の蕾も・・・・・”と云うように使われる。其れで次のような疑問を持った。

①季語はいつだろうか。

②三寒四温と云う現象は日本のどこかで、はっきり出ているのだろうか。

③いつからいつまで使用してよいのだろうか。

 調べて見ると季語は冬だった。季語が冬なのに梅の蕾という春の言葉と一緒に使っていいのだろうか。

使用期間は秋の終わりから春の始まる前まで。というのや晩秋から初春までとかいろいろである。私は長い間春先の言葉だと信じ込んでいた。それで、中国北東部や朝鮮半島で冬の時期はっきり三日寒くて四日暖かい周期で見られる現象とは知らなかった。寒い日と暖かい日が入り乱れて、やがて、春本番になっていくという時期に使う言葉だと思っていた。

 だから、今でも晩秋の時期や新年の初めごろに使う勇気はとてもない。

 ある説明によると、日本ではシベリヤ高気圧から噴き出す風だけでなく太平洋高気圧の影響を受けるので、その現象がはっきりしない。また最近日本では春先に使用されることが多くなってきている。と書いてあり、なんとなく納得できた気がした。

 使うにはためらう理由がもう一つある。綺麗な響きの四文字熟語であるが、弐文字熟語と違って堅苦しい気がしてやすやす使えないのである。(E)

             

                                                     春の気配を感じて池の鯉が。

 

 

 

 

 


相田みつをさんについて。

2017-03-10 | 気ままなる日々の記録

  「相田みつを」と云う人をご存じだろうか?ここの廊下の壁に太い毛筆で色紙に、格言の様な、諺のような短い文章を書いて額に入れたものがかけてある。

○相田みつを 大正13年足利市生まれ。67歳で逝去 「自分の言葉を自分の書」にて作品を発表。インターネットでは1枚17,000円ぐらいで販売されている。

以下に2~3色紙の文言を書いてみます。

  ●道は自分でつくる 道は自分で拓く 人の作った道は自分の道にはならないから。

  ●「美しいものを、美しいと感じる、貴方の心が美しい。」

 オソマツ君はと云えば、こうした、言葉は好きではない。どこかに聖人・君主になったような、悟りを拓いたような匂いがするからである。

ということは、どこかに、でっかい嘘があると思われるからである。(T)


腱鞘炎《けんしょうえん》騒動。

2017-03-05 | 気ままなる日々の記録

  楽しみにしていた日曜日もとんだ騒動となってしまった。お昼頃突然右手首に激痛が走り少し動かしても痛い。50年ほど前同じ職場に同じところがいたくなり、右手を三角巾で首から吊っていた女性がいた。彼女はリュウマチとかで、免疫不全,

  自分の白血球が自分の骨を攻撃するリュウマチとかいう病気で極めて治りにくい病気だといっていた。僕もそれに罹ったのかと心配した。

  看護婦さんに来てもらって診察を受けた。彼女は腱鞘炎でしょう。リュウマチではないでしょう。リュウマチならもう少し指の方に変形がおきるはず。シップをして様子を見ましょう。よくならないようなら、火曜日か水曜日に予約を取って総合病院の外科へいきましょう。ということになり、シップをして貰った。今もそのシップはしたままだが、確かに良くなった。こういうところは総合病院が経営するこの老人ホームは便利だ。

 腱鞘炎ということになると、思い当たることがある。ベッドに寝て本を読む癖だ。岩波新書が多いがこれを右手で開いて何時までも読んでいる。ページをめくるときなど無理をして右手でやっている、可愛い僕の右手首がこれにまいってしまったようだ。これからは、車椅子に移って本は膝に乗せて読むことにしようと思っているところである。(T)

        

                庭木の新芽


濃尾平野は水平でない。

2017-03-05 | 気ままなる日々の記録

   今日は3月5日の日曜日。毎日が日曜日のくせに本当の日曜日はワクワクする。

 自分はよほど、決められたスケジュールで行動することが嫌いな人間らしい

 今朝も早朝5じごろ目が覚めて、車椅子で・廊下の突き当たりの展望台の様なところから、村々の民家の明かりを見ていた。此処から東の方に小牧山がある。此処から北西の方向が江南市だと思えるがその方向に見える民家の明りが明らかにせり上がっている。家の明りは土台から6尺程上のガラス窓から漏れていると思われるのだが、その明りがここからの距離に比例してせりあがっている。

 つまり、太古の昔木曽川の反乱が同じ場所で起こり大量の土砂がその付近に溢れ地平が高くなりそこに家を建てているので、10キロほど先の明りがせりあがって見えるのだろう。水平や、大きなくぼみやせり上がりを見抜く人間の目の間隔は確かなものがあると信じている。これは、自分にとって大発見のような気がする。(T)

 

 


桃の節句

2017-03-03 | 気ままなる日々の記録

    

      

                                     お内裏様とお雛様

 

  昨日の夜、気象予報士の方が ”明日は桃の節句です” とおっしゃった。その場におられた女のアナウンサーは ″雛祭り” という言葉を使われた。私は ”桃の節句” というのが正式で ”ひなまつり” というのはカジュアルな言い方で,女の人がよく使う子供にわかりやすい言葉かと思ったがそうでもないらしい。

      

                                                               お駕篭

        此処の施設でも昼食にはちらし寿司と菱餅の代わりに三色ゼリーが出た。ちらし寿司はイクラ・サーモン、錦糸卵、胡瓜や海苔が入っておりとても豪華だった。これだけでも、十分ひな祭りを祝った気分になった。

 ふと今の女の子たちはどんな祝い方をしているのだろうか?と気になった。

「皆でバーガーを食べに行くのよ」と云う答えが返ってくるとがっかりするので、訊かないことにしている。孫なら「雛あられよりチョコの方がおいしいのよ。お婆ちゃん」と云いそうな気がする。

 私としては奥ゆかしいひな祭りを祝ってほしいと思うが今ではむりなことだろうか。(E)

    

                                                                   仕丁


『驚いた。!驚いた!。

2017-03-01 | 気ままなる日々の記録

    米大統領のトランプ氏が議会に予算案を掛けるに当り議会で年度方針演説を行った。

 どうやらこの演説の方が具体的でアメリカが進む方向がよく分かるらしい。

 TPPも離脱とかが話題になっている。

 この演説の全文が毎日新聞と、読売新聞に掲載されていた。

 オソマツ君はチラッと目をやっただけで、初めから読む気が起きない。

   ところが、読売、毎日と云えば、日本のサラリーマン家庭で一番取られている新聞で, 会 社員のお父さん方は早速読んでおこうと思われるに違いない。なぜなら この演説が身  近に感じられるからであろう。

  貿易や鉱工業生産や、農産物まで日米の繋がりは深くトランプさんの演説がなんらかの    形 でお父さん方の仕事に関係してくるのであろう。

  それから、お父さん方の英語力の強さだ。日本の高校を卒業しておられるお父さん方に  はトランプさんの演説の速記録程度の英文はなんでもないのであろう。

   ただ今80歳のオソマツ君にはまるで夢物語である。

   新聞には訳文も併記されていたので両方読む気なら英文があった方が、 文意の強弱がよみとれるというメリットがある。日本のお父さん方に「脱帽!最敬礼!」である。オソマツ君は、新聞を見ながら「マイッタ!マイッタ!」とつぶやき、自分が要済みのぼけ老人であることを自覚した。

  オソマツ君は昭和24年新制中学校入学で初めて英語を教えて戴いた。ところが、当時は田舎の中学には英語を教えることができる先生がお見えにならずある大学の学生がアルバイトで教えに来ていた。この学生さんはアメリカ映画が好きでマリリンモンロウの話しばかりしていた。だから、生徒は語彙力も文法力もまるでつかなく、高校へ入って驚いた。他の中学を出てきた子たちは良く知っていていろいろ教えてくれたが、文法に関しては何を聞いても分からなかったからだ。高校3年の頃本格的に英語の勉強に熱中したが、なかなか追いつかなかった。

  その背景には英語は敵性言語だと云うことで中等教育で英語教育を中止させた時の文部省の政策もあった。いずれにしても当時の我が国は世界的に見てオソマツの見本のようであった(T)

 

 


春を探して

2017-03-01 | 気ままなる日々の記録

  知人のブログが更新され、梅の花が一輪咲いたという。自分が梅の花をのせた去年のブログも出てきた。日付を見ると2月20日13℃となっている。今年の冬は暖かいと誰かから聞いたのにまだそんな気候になっていないと自分自身勝手に思い込んでいた。

  そういえば、気象予報士が春を探しに出かけたとか、訊いたのも雨水の頃だったような気がする。手遅れかも知れないという気持ちが湧いてきて、急にそわそわしだした。本日の予報は、と見ると晴れ、10℃、風強しとなっている。散歩日和ではないと判断したが、出かけたい気持ちに勝てずとうとう外出してしまった。

 前庭の花壇で小さな芽を出しているチューリップを見つけた。晩秋に皆で植えたものだ。次は冬の花蝋梅が寒空に揺らいでいるのが目に入った。昨年この近くでフキノトウを見つけ大喜びした場所だとも思い、行ってみたら、何も見当たらなかった。

 200mも歩いただろうか、強風のため体が芯から冷えてきた。

”春は名のみぞ、風の冷たさ”という歌詞通りの日で諦めて帰って来た次第である。

 それから3日後やっと散歩日和の日が訪れた。晴れ、気温13℃、風なし。日差しが暖かい。カメラ片手にいそいそと出かけ、6分咲きの白梅とあぜ道に咲いた可愛いいタンポポをカメラに収めた。

 そしてこの情報は、今頃海外出張の準備で忙しい娘にも携帯メールで送ろうと決めた。仕事のことで頭が一杯の娘にも季節の移ろいを感じるようなひと時を持ってほしいと思うから。(E)

               畦で見つけたたんぽぽ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「同音異字」

2017-02-28 | 気ままなる日々の記録

  何処で読んだか、、誰のエッセイだったか、どうしても思い出せないが、忘れられないエピソードがある。それは「思い込んだら命がけ」をずーと「重いコンダラ命がけ」と思い込み、何かコンダラという器具があって筋肉強化のため、命がけでその器具を動かしているのだと思っていたのだそうだ。

  今流に云えば、リハビリのために辛い筋トレをさせられる羽目になったという意味だと思い込んでいたというエッセイだった。

   こうした、同音異語は日本語の基礎発音単位が少ないために起こるのだそうだ。。日本語の場合基礎音はアィウエオノ50音と若干の拗音と濁音があるのみであるが、英語の場合発音記号を思いだせばわかる通り、基礎音が沢山あり、日本人には聞き分けも、発音も難しい。中国語の場合は同じ「あ」でも「-」や「最後を下げる」発音や「最期を挙げる発音」などがあり、基本発音が一挙に増える。

 よく京都では「雨が5種類も6種類もありそれを使い分けないと京都弁がはなせることにならない」と云われるが。其れとも違う。日本人が外国語学習に弱いのはこんなところに原因があるのかも知れない。(T)


イエスを十字架に掛けたのは誰か?

2017-02-26 | 気ままなる日々の記録

   晩年のイエスは、一切れのパンを突然何百ものパンにして大勢の飢えた人々を救ったり、感染力が強く当時の人々に恐れられていた天然痘と云う病気の人の中に入って看病もした。だが自分は感染しなかったり、随分神のような奇跡をおこなっていたので、そんな人を十字架に架ける王様もいないだろうに、とおもわれる。

 岩波新書の「キリスト教入門」に少しそのことに触れた部分があって、やっと合点した。最初に①イエスはユダヤ教徒であり、ヨハネによって、ユダヤ教徒としての洗礼を受けている。さらに、大工であったイエスは安息日に宣教活動をしながら村々を歩き、公会堂で人々に布教活動を始められたようである。ところがイエスは必ずしもユダヤ教を布教したのではなく、もっと広い視野で許し愛することの大切さを教えられたようである。

 そこで、イエスを憎んだのは当のユダヤ教の宣教師たちであったようだ。こうした対立状況の中でイエスは処刑される。つまりイエスを十字架に架けたのはユダヤ教の宣教師たちということになる。

 何しろ2000年も前のことで、イエスは文字を持たないユダヤ古語を話していて、弟子たちもそうであったので、記録に乏しく、残された記録も音写か意写かもわからない状態のようである。

 だから、諸説あって学問的研究よりも、今日的利害関係に普く(あまねく)拡大してしまって収集がつかず、更なる研究が待たれる状態のようである。宗教的な研究ではなく、歴史的一人の人間としてイエスを研究する立場を「ナザレのイエス研究」と云うのだそうだ。(T)

    ←前庭のチュウリップ

  それにしても、ユダヤ人には頭が下がる。沢山の民族が入り乱れるヨーロッパにあって、何処の民族とも融合してしまうこともなく、自分たちの宗教と民族を守り、よく勉強し、今世紀最大と云われる科学者や経済学者を生み出し、今彼らはアメリカで民族の花を咲かせている。

   アインシュタイン《相対性原理)ダーウイン《進化論》マルクス《経済学者)などみなユダヤ人と聞いている。選民思想と云うか、自分たちの民族は神によって選ばれた民族であり、神を裏切ると恐ろしい仕打ちが待っている、としんじているようだ。

  一方我が国は、アマテラス大御神から天皇につながる相当古い神話(古事記)を持つ国として其れを大切にしてよいと思うのだが、ヨーロッパの失業者や、小規模農民が移り住んだアメリカの真似をして民族の誇りを投げ捨てた御粗末な国になってしまった。世のオピニオンリーダー達よ、アメリカ崇拝はもうやめてくれ!第二次世界大戦に突入した間違いを民族の誇りに向けた自虐的平和論はもう沢山だ。(瘋癲老人、憂国論)(T)

            3分咲きの白梅

 

 


「鬼饅頭」

2017-02-25 | 気ままなる日々の記録

  ここでは時々「お茶会」のときに、「鬼饅頭」がでることがある。名前は懐かしい気がするが、味は格段の差がある。現代風にアレンジがしてあるのだ。

   実は子供の頃サツマイモの入った鬼饅頭もおかゆも、そんなに好きではなかった。その当時食糧が乏しい時代に好き嫌いなど言える贅沢さはなかった。黙って食べるよりしかたがなかった。そんなイメージがあるので「お茶会」が鬼饅頭の時は殆ど欠席していた。

 ところが。主人から子供時代の鬼饅頭の話を聞いた。皮つきの大きい薩摩芋が入っていてお釜で湯を沸かしせいろの上に饅頭を並べる。お釜から湯気が出てくるころ、とても良い匂いがただよったという。出来上がっても熱くてすぐに食べられないので家の周りを一周してから食べたそうだ。だから、主人の懐かしいイメージは、味にあるのだと気付き以来ずーっと出席している。

 子供の頃の鬼饅頭は大きかった。皮つきサツマイモがゴロゴロ入っていた。味も素朴であった。和菓子屋さんが造る現代の鬼饅頭は大きさも半分ぐらい。サツマイモに皮など付いていなくて見るからに上品。もっちりしていて、どちらかというと、和菓子に近い。味も主食の代用品の気がしない。十分にお菓子として対抗できる。そのせいかとても人気があるらしい。他にもサツマイモを使った和菓子やチーズやコーヒーまで入れた和菓子がでる。

  つくづく食生活は豊かになったと思う。そのうえ昨日は、新作のお菓子が出た。その名も”つくしの”。白い皮の上に土筆の絵がふたつ。其れだけで十分春の感じがでており、美味しくいただいた。(E)

      ”つくし野”

 

 

 

 

 

 

 

 


「昭和史のかたち」保坂正康[岩波新書)780円を読みました。

2017-02-23 | 気ままなる日々の記録

  昭和と云う時代は昭和元年12月25日から昭和64年1月7日までの62年と2週間ということになる。ところで、この62年と2週間が一つの顔で一つの政治体制で一つの価値観で動いてきた訳ではない。そこで、三つの時代に開けて考えてみることにする。すなわち、

昭和前期 : 昭和元年~昭和20年9月2日(注:8月15日ではなく、国際法的には無条件降伏文書に調印した日)

昭和中期 : 前期はアメリカを中心とする連合国の占領を受けた時期でありいわば国家主権を失っていた時期である。この期間は昭和27年4月28日まで続く。6年8か月である。

昭和後期 : 独立を回復した昭和27年4月28日から昭和64年1月7日までを、昭和後期と名付けていいだろう。この期間日本は新憲法のもと、戦後民主主義の名のもと経済大国を目指し、それを成し遂げたとみていいだろう。

  ここで、それぞれの時期を代表する総理大臣をあげるとすると、昭和前期の代表は、東條英機ということになり、中期を代表する総理は吉田茂であろう。問題は後期の代表である。

この期間吉田茂から竹下登まで13人の総理が誕生していて、代表を決めるのは難しいが筆者は田中角栄を選んでいる。

  最後に東條英機氏、吉田茂氏、田中角栄氏に共通するものは何か?

この問題は少し難しいが、以外にも、3人とも「獄に繋がれたことがある点である。東條さんは、GHQによって、吉田さんは、東條のころ、反戦運動疑惑によって、田中さんは、ロっキード社のワイロによって、です。詳しくは上記新書をご覧ください。(T)

      

              寒空に蝋梅が。


春一番

2017-02-22 | 気ままなる日々の記録

  2月20日春一番が吹いた。東海地方にである。

  私は昼ごろ振り込みのため外出した。そのとき、強い風など一向にふいておらず、どうしてかと不思議に思っていたらその日の夕方6時52分の気象情報の時に説明があった。気温と風力が関係しているらしい。ある地点の気温と風力が一定以上になると、いうそうだ。今年は静岡県内で二つの条件が当てはまったとか。それで、納得できた。東海地方のうち遠い地方で風が吹いたがこちらは吹かなかったと云う訳。

   気温の方は高い方がいいが日光浴の時風が吹いていると”いぶきおろし”といって、主人がとても嫌がる。当地方ではよくつかわれる言葉で真冬の肌に突き刺さるようなつめたいかぜをいう。私たちが住んでいる地方は伊吹山の東の方角に当たり丁度風の通り道にあたる。それで冬の時期は雪の伊吹山を越えた風が当地方に吹くことになるのだ。春一番が吹いたからと云って安心はできない。伊吹山にはまだまだ雪がたっぷりあるから。

 春一番は立春から春分の日までに吹く強い風のことを言い吹かないときもあるらしい。また春一番が吹いた次の日は寒い日が多いと”日めくり72候”に書いてあった。と云うことは今日は寒いということになる。中庭の「蓮池」に出られるか少々気がかりである。

 冬の季語「春どなり」と春の季語「春一番」はとても良い言葉だと思う。響きがいいし柔らかさも漂っている。そして、昔の人々が如何に春を待ちわびていたか、ひしひしと伝わる言葉でもある。

 2月19日の気象情報の番組では24節気の「雨水」についての説明もあった。降っていた雪がいつの間にか雨に替わり、積もった雪や氷が、本格的に解け始める頃だそうだ。

 この日予報士の人が近くの公園を散歩して、春を探したとか。

タンポポ、ハコベ、~エンドウの草花が写真に撮られ画面から少し早い春を頂いた感じがした。(E)


ヒット曲も造られたもののようである。

2017-02-20 | 気ままなる日々の記録

  ユーチュブでいろいろのヒット曲を聴き、誕生物語を読んでいて分かったのだがほとんどのヒット曲は各レコード会社のプロジューサーと呼ばれる人が企画し作詞家に依頼する。それを作曲家に届け曲を付けて貰い、歌い手も手配し、放送局に売り込む。それからレコード会社にキャンぺーンをやらせ、雑誌社に特集を組ませ、ついにレコードの売り上げを伸ばす。芸能界のホットニュースにきかくして、各都市でコンサートを開かせ、ブームを作り上げる。レコード会社のプロジューサーは、どんな曲調の物にするかまで考え、作詞家と作曲家まで決める。その曲の人気が上がれば、レコードが良く売れるので、そのプロジューサーの功績になる。オソマツ君は、レコードが良く売れてヒット曲になると思っていたが、そんなのんきな業界ではない。

 プロジューサーは、流行の動向を良く分析し、庶民の精神状態まで読み込んで、作詞を依頼し、作曲家を決め、歌手まで、決めていて、周到に準備して、レコードを売りだす。小説や芸術作品と違う点だ。歌手もプロジューサーの眼に止まらないと、ヒット曲に恵まれない。   作曲家は、歌手の得意な音域を良く計算して作曲する。実際はプロジューサーが曲調まで考え作曲家に作曲を依頼するようだし、作曲家は作詞家を選ぶ。相性のいい作詞家の詩は読んでいると曲が自然に浮かんでくるのだそうだ。そしてその時すでに誰に歌わせたいかも決めているのだそうだ。庶民はそうは思っていない。歌手の歌い方が上手いからヒットしたと思っている、良く売れたから人気が出たと思っている。しかし、実は真逆ですべては計算され全てを演出している手配師がいる。確かに資本主義社会だ。美空ひばりも、水前寺清子も全部プロジューサーの手の内で人気歌手に育てられたもののようだ。

 各レコード会社は数名の天才的なプロジューサーの活躍によって高配当を実現しているが、彼らが大衆の前に顔を出すことは無い。天才歌手の美空ひばりでさえプロジューサーあってのひばりであった。ヒット曲を生み出したプロジューサーの収入は各レコード会社とも社長に次ぐ高額だ。(T)