主人が大事にしているハンカチがある。それは普通市販されているタオル地のハンカチよりやや小ぶりで使いやすくポケットにも入れやすい。秋物のシャツを買ったときゴールデンべヤーのサービス品として、貰った品である。だから、何処を探してもこのサイズでこの柄が付いたハンカチは手に入らない。大切にしながら毎日のように使っていた。
ところが、本日私が用事で外出した時間に濡らして使ったらしい。日曜日で、1日暇なので、何かすることは無いかと、考えたようである。洗面所で湯を出しハンカチを使って、顔を温め髭を剃った。終った後片手で絞りながら乾かしたのだ。私が帰って来た時にはまだ半乾きだった。それからしばらくして、良く乾いていないのが、ポケットに入っていた。私が良く乾かさないと匂いが付くと云い再び乾かした。
数時間後そのハンカチが姿を消した。ポケットや引き出しの中を調べたがない。トイレも調べた。ポケットから落ちていないか心配になったからだ。その時間新聞を読みに出かけたので新聞コーナーにも探しに行った。
今までも何回も紛失したが何時も出てきた。今回ばかりは、手の打ちようがなかった。本人はしょげているし私も気になって仕方がなく、落ち着かなかった。狭い部屋とは言え探すところがない。
疲れて横になろうとしたとき想像もしないところから出てきた。アンカにまいてあるタオルの中にあったのである。本人曰く、湿り気があったので、アンカで乾燥させようとしたのだと。こんな風に老夫婦の勘違いと物忘れが交互にやってきて毎日が過ぎてゆく。(E)
お気に入りのハンカチ
記事のタイトルを入力してください(必須)このブログを始めたころ、師匠に教えて頂いて作った画像。「もう少し井戸の底の水の部分(蛙の下の白いところ)を多くするように」とご指導いただいたのにごちゃごちゃになって修正できないまま......
このブログを始めたころ 苦労して作った井の中の蛙君のロゴが久しぶりに出てきてくれ喜んでいます。この井戸の写真は母屋の東南の角にあった我が家の井戸です.蛙君のお尻の下にある白い点はこの井戸の水です。ここをもう少し大きくして水と分かるよう修正した記憶がありますが。残っているのはこれだけで、小さい説明文を読むと師匠に教えて貰ったと書いています。今ではもう何もできません。全部忘れてしまいました。これで、小生の頭の質がわかります。
所で、本題の昭和歌謡ですが、「北上夜曲」「桜貝の歌」「アザミの歌」「勿忘草をあなたへ」『さよならはダンスのあとで」などです。この頃の歌謡はしみじみと日本人の情緒に迫るものがあって心だふるえます。それに引き替え最近の歌は、アメリカ歌謡の影響か、すぐに若い女性が足を挙げて踊るようなうたばかりで、情緒がありません。我が国も早く成長してアメリカのドタバタ文化を笑うようなくにになってほしいものです。トランプさん騒動をどう見るかです。(T)
今日は日曜日、「館内散歩と称してお決まりのコースを巡った。3階の出窓から「ヒコ生えの稲」も枯れていたが、その根元には雑草が新芽を出していた。そこへ、スズメの大群が舞い降り新緑の草の葉をついばんでいる。
「そうか!」と独り言。晩秋のこのブログで、スズメは越冬中の食糧をどうしているだろうと書いたが、スズメたちはなにも食べずに貯めこんだ自分の皮下脂肪だけで冬を乗り切り、今日のような春の日差しの日に若草の葉を食べに出てきたのだ、と推測した。若草の葉は美味しいだろうが稲の穂ほどカロリーがない。しかし、これから木の葉を狙って虫も出てくるから、それを食べれば十分体力は得られると思ったのだ。
大自然の仕組みは精巧だ。そんなことに感動しながら部屋へ戻った。
そういえば最近「地球温暖化」の警告をあまり聞かなくなった。人間は、特に、マスコミは忘れっぽい。化石燃料の使用は制限すべきだが、原子力発電をはじめ核分裂利用はまだまだ賛成できない。今らら30年ほど前は核融合反応によって無害なエネルギーが取り出せるとかいう話をよく聞いたものだが、どうやら、それほど簡単ではないようだ。どうやら、人間もスズメたちのようにもっと自然に融合して生きるべきで、別に冬海水浴をしなくて、よい。ということらしい。(T)
2がつの夕焼 東の空
今日は土曜日、10時チョット過ぎにお風呂だからエレベーターで1階に向かっていた。
3階くらいで小母さんが乗り込んできた。
このオバサンお喋りで、何階へ行くか用は何か、と聞いてくるのでお風呂のため1階へ行くと答えていた。このオバサンは2階で降りた。そのとき、1階へ行くにはどのボタンをどんな順に押すかを説明してくれ、更に「間違えて4や5を押すとまた元へ戻ってしまいますよ」とおっしゃる。
此処でようやく僕は気が付いた。 だらしない、格好で車いすに乗っている僕を、 痴呆の進んだ徘徊ボケ老人とみているのだなあ、と。
親切なお人であることは、間違いない。それにしては、僕は大いに傷ついた。
数学の問題を解いてやってもよいと思ったが、このオバサンは数学の問題が分からないだろうし、 それを解くということも分からないだろうから 余計ぼけ老人とおもうだけだろうなあ、と思い苦笑していた。
この苦笑が、このオバサンには、「統合失調症」におもえるだろうなあと気が付き苦笑を止めた。
しかし、考えて観れば、正常と痴呆を分けるものは何かと思うと意外とこれが難しい。
我が国は「集団痴呆になりやすい国民性があると思われるので、
このあたりを良く考えておく必要があると思われる。(T)
病み顔《やみがお》美人が流行だとか・・・。メイクのことである。
「リンゴのような頬」は健康そうで今では人気がないというのである。
オソマツ君が若い頃には結核と云う病気が若い人の間で大流行していて、本当に青い顔をして歩いているなよなよした若い娘さんが沢山お見えになったものだ。
彼女たちが若い男に人気があったとは聞いたことがない・それより、小学校で、ツベルクリン反応が陰性だとBCG注射をやられていた。これが、肺結核の予防注射だった。
BCG注射は太い針の痛い注射だった。BCGは長い間化膿したように痛みお風呂も大変だった。その跡は今も左腕に残っている。
「病み顔美人の流行」だなんて、オソマツ君世代には信じられない現象で、人間と云う生き物は信じられないほど奇妙な方向へも走り出す生き物らしい。昔中国で「纏足」が流行したことがあったというが、「病み顔美人」は「纏足」に負けるとも劣らない愚考であるとおもわれる。
《蛇足)「纏足」は中国の王朝期、貴族階級の間で流行した風習で、3~4歳の女の子の足の裏の骨をわざと折って小さな木靴を履かせ大人になるまで木靴を脱がせない。そうすると足の裏が小さい女性になって歩く時、御付の女官の肩に捕まって、なよなよ歩くことになる。それが色気があり上品だというこになり、こうした女性は、王宮へ勤めることになりやすいというのだ。かくして、3歳ぐらいの女の子は親の手によって足の緒らの骨を砕かれたという。
(T)
2がつ14日というと、バレンタインデーとか言って女性から好きな人にチョコレートを渡す日だとか、オソマツ君はこの日に全く興味を感じない、オソマツ君流に考えると、女性は好きな人に何時何を渡してもよいわけで、改めて年に一度渡す日を決める必要は全くない。
その一方で、2月14日は「煮干の日」だそうで、「煮干の日」は応援したい気分である。2.14で1をボーとよむと煮干の日となる。これは、九州の煮干製造業者が、最近、化学調味料に押されて煮干が全く売れないので、「煮干の日」を作った。一般家庭に煮干を普及させたいという意図でいろいろなキャンペーンをこの日に行うことにしたのだそうだ。
旧商店街の縄暖簾的な食事所では今でも大将が「うちの味付けは○○の煮干」といって煮干味をまもっておられるのだそうだが、そのほかの皿もの食堂では「味の素」とか「味一番」とかをサラサラふりかけ、あとは砂糖と醤油で味を調えるお店ばかりに、なったのだそうである。残念なことだ。
オソマツ君が育ったころは、母親に頼まれて活を節(かつをぶし)をよく削ったものだ。だから、母の味付けは活を節(かつをぶし)と砂糖と醤油だったと思う。これはまあ煮干と同じで反化学調味料と云えると思う。煮干派頑張れと声援を送りながら、この文章を閉じる(T)。
国際情勢は分からないことが多くて、着いていけません。解説者と云う人も本当に分かっていて解説しておられるのかしらと疑問に思えるようです。オソマツ君が気にしていることはただ一つ。我が国がアメリカと戦った時、国民はどう思ていたのか、本気に勝てると思ったのか、あるいは、有利な時点で休戦にしようとおもっていたのか?ということです。12月8日に真珠湾を攻撃したときの軍および政府の考えはどうであり、国民はどうみていたのかということです。(T)
春先の雪
1昨日の午後のことである。1階和室前に数人のスタッフが集まり大きな箱が積み上げられていた。何事かと思ったが、見に行くと邪魔になるので、二階の吹き抜けからウオーキングをしながら眺めていた。夕方近くになって、立派な七段の雛段とひな人形が出現していた。
昭和47年頃の購入の品で当時50万はしたと云う話もきこえてきた。どなたかが、寄贈されたものだろうか。重厚で品のある見るからに立派なお雛様である。
我が家にもお雛様がありほぼ同年代のものであるが、見るからに違いが判る。10年ほど前だろうか、この時期に娘が帰省し30年ぶりに蔵から出して飾った。久しぶりに見るお雛様であったが、少しも傷んでいないのが取柄でホッとしたのを覚えている。それ以来、また蔵の中にしまい込んだままである。
[飾る時期は立春のあくる日から2月中旬までが一般的]とネットに説明があったが、主人の母は飾る時期よりかたずける時期をとても気にしていたのを毎年この時期になると思いだす。
「春どなり」から「ひな人形」へと一気に春の真っただ中に、はいってしまった気がしていたが、昨日の朝は何と雪景色を見ることに。カーテンを開けた瞬間は驚いたが、真冬に降る雪とは違って、何だかぬくもりを感じるのは私の勝手な思い込みだろうか。
このまま春へと移行するかと思いきや、冬に逆戻り。そんな日もあり何だか振り回されているような、忙しい気がする時期である。(E)
ひな人形と御所車
昨夜来、気象情報で太平洋岸も雪、積雪も5~15センチと云っていましたので、心配になって、目覚めると直ぐ国道41号線を見に出かけたわけです。
そうしましたら、車も少なく、ゆっくりですが、確かにトラックも動いていました。よかったよかったと思い、やっと我が国も教養のある紳士の国になったか、という感じでした。気象情報によって、確かにトラックが少なく、とにかく、事故も渋滞も無いようで、ホットしました。
明らかに沢山のトラックが計画を変更して走行を中止したようです。豊かな国、大人の国はこれでなくてはいけない、というのが、僕の考えです。それでも、名神高速道路の関ヶ原付近では路面凍結による渋滞が発生し、交通警察が出動したとか言っていました。
こんな日はトラック輸送は延期して、世の中全体が安全第一で動くことが常識であるようなゆったりした社会になって欲しいと願っています。
まあ、どこかの国のように大統領命令が裁判所によって「憲法違反と云う判決を受けて執行停止になるよりまだましかもしれませんが、・・・・・。これを評してあるコメンテーターが「三権分立がかくりつしていますねえ」といっていたのには、呆れてものが言えませんでしたが。(T)
春先の雪 建国記念の日に
数日前季語・春どなりに魅了され気配を探して歩いたが、その後明治5年以前の旧暦の時代は、立春と元日は同じ日から始まったのかと云う疑問がわいた。そして、手持ちの本”日本の72候”と”日めくり72候”とをよむことになった。
2冊とも日本には1年を24等分した24節気と72等分した72候という季節があることが分かったが、私の疑問にははっきり答えてはくれなかった。
辞書も駄目であった。最後の頼みはネットでの検索である。
1時間半ぐらいかかって、やっと納得のいく答えを見い出した。
立春は春の始まりということで、旧暦1月1日と思いがちであるが、勘違いである、(30年に一度だけ重なる) 驚いたことに1年に2度立春があるときも立春が無い年もある、と記してある。
新暦では立春は2月4日とほとんどずれないが旧暦では立春の日は毎年かなりずれることも表から読み取った。
そこで、次のような機知にとんだ短歌を読んだ人もあったのである。
年内立春の歌
ふる年に春たちける日よめる
”年のうちに春は来にけり 1年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ” -在原元方ー
実はこの歌を目にするのは初めてではない。きっと高校時代に習ったと思う。よく覚えていればこの齢になって、立春と元日は同じ日から始まったかという疑問は持たないはず。恥ずかしいかぎりである。(E)
オソマツ君には一つ違いの兄がいる。その兄が昨日見舞いに来てくれ、よもやま話に夢中になった。
その時浄土宗のお経の話になり、兄が「このことが仏説阿弥陀経にでてくる」といいその本のことを話してくれた。
今日になって僕のところのファックス番号の問い合わせがあったが「ここにプリンターを持ち込んでいないので此処の事務室にファックスしてくれれば事務室がプリントアウトしたものを届けてくれると思う。」と答えた。
事務室に「僕宛のファックスが届いたら僕の部屋へ届けてください。お世話をおかけして申し訳ありません」と云に行った。
そうしたら、事務の女の子が「分かりました。大丈夫です」と答えて僕を驚かせた。何が大丈夫なのか分からない。
思えば最近の若い人はむやみに「大丈夫です」を使うようだ。本来「大丈夫」と云う言葉は何かの危険に対して使うべきだと思うが、この場合どんな危険があるのだろう?
思うにこれらは漫画の読みすぎからくる、混乱ではないだろうか。最近の漫画にはすぐに喧嘩や乱闘が出てきて、片手が取れて宙を舞ったり目が飛び出したりしている。思春期にこんな漫画ばかり見ていると人格形成にひずみが出てくると思うがどうだろうか。
いずれにしても無暗に「大丈夫」と云うことをやめてほしいと思う。(T)
「春はのみぞ風の冷たさ」は抒情歌「早春歌の一節ですが、丁度今の季節にピッタリである。
夕食後すぐにベッドに寝ては体に悪いと思い「館内散歩」と称して車いすを漕いで3階に行って広い窓から夜景を見に出掛けた。眼下に国道41号線と21号線が見える。と云っても流れる車のライトと信号機の赤いランプによってそれとわかるだけである。
ひっきりなしに走る大型トラック。終戦直後なら「逞しい復興の鎚音」とでも叫びたいところでしょうが、今ではとてもそんな気分になれず、「そんなに急ぐな、危ないじゃないか!」と叫びたくなる。
それにしても、大型トラックで、大きな荷台の側面を赤や緑の電飾で飾り立てた車の多いこと。聴くところによると、これらは、運送会社のトラックではなく、個人所有のトラックで時に「トラック野郎」と呼ばれるトラックのようである。
大手運送会社の下請けとして、若干条件の悪い仕事も引き受け、長距離運転も頑張って生計をたてておられるということだ。
3階の窓から流れるようなトラックのライトを見ていると、「どうか事故が起きないように!」と祈りたい気持ちになって、手を合わせてしまう。
暫く見ていて急に寒くなり体を震わせて部屋へ戻った。(T)
「アザミの歌」「桜貝の歌」「勿忘草をあなたへ」などなどです。賠償千恵子さんが歌っています。
ユー・チュブから入りました。もう少し具体的に書きますと、
インター・ネットで「「勿忘草をあなたへ」をユーチュウブで聴く」」として検索してたどり着き「お気に入り」登録をしておきました。
何度聞いても飽きません。老人の回顧趣味なのでしょうが、敗戦直後で何もない時代に一流の人たちに作詞。作曲を依頼し「ラジオ歌謡」と云うことで育ててくれたNHKの努力に感謝します。
今の若い人たちが80歳になったとき、しみじみと聞き返せる思い出の曲が今あるのでしょうか?
若かった自分を懐かしんでいるのではなく、曲そのものが内包する人生に対する情緒です。
「恋を恋する青春」の情緒です。僕の拙い説明よりも実際に上記の歌などをお聞きいただいてその歌が呼び起こす感動を今の若い人々は共有できるだろうかと心配になってきます。
日本語が持つ情感や情緒、それらを私たちたち世代は次の世代にキチンとバトンタッチしているでしょうか。
敗戦直後物不足からアッパッパと呼ばれたワンピースがありました。女性の衣服から和服が消えてアッパッパばかりになってしまった、いや、アッパッパばかりにしてしまったのが私たちの世代ではないかと心配しています。ここはやはりNHKさんに頑張っていただくしかないと思います。商業主義に汚染された民放と視聴率競争などせず。堂々と「高尚」「上品」を追求して頂きたものです。NHKの公共性が議論されるとき殆ど政治的中立の視点で議論されますが、実は大衆文化の内容や伝統文化尊重などの視点も大切と思われます。国際交流が進む中ウッカリしているとあっという間に軽薄な流行の後追いに終始することになってしまいます。
大きなテーマに踏み込んでしまって失礼しました。楽しみにしていた日曜日が雨で、少し欲求不満になっていた気配もありました。お許しください。(T)
雨で、、「雪にならなくてよかった」と云うのが大方の感想だ。
ここは、小さな車で通勤しておられるご婦人が多く、スノータイヤやチエンをお持ちでない方が多い。
雪の日は早く起きて自転車で通うという驚くべきご婦人も結構多い。
「雪でなくても、アイスバーンも気を付けてくださいよ」というと「なにそれ?」と聞かれてしまう。
スキーが好きで志賀高原まで車で入っていた小生は路面の色でいろいろなことを判断した。一番危険なところはトンネルを出たときのハンドル・アクセル・ブレーキの操作である。など話題は尽きない。
まあおばさん方は可愛らしい軽自動車だから、少し様子も違うだろうとあまり教訓的な話しはやめて雪でないよう祈ることにしている。(T)