はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

なぜか心に引っかかる言葉

2022-01-08 23:06:57 | テレビ

レンタルで『フェンス』と言う映画を観た。

やたら主演のデンゼル・ワシントンがしゃべりまくってるだけのストーリーである。

商業映画と言うより

デンゼル自身が普段インタビューなどでは直接には言えない主張・意見を

映画と言う形で表現したのかな。

それともたんに

尊敬する亡き自分の父の残した言葉の数々を

私のファンあるいは世間に伝えたい

ということなんだろか。

どちらにしても

デンゼルの心には映画の中で述べた

膨大なセリフの一つ一つが忘れられないのだと推測する。

さて。

私にも

妙に引っかかっている言葉が

しかも

有名人の言葉がいくつかあって

それらを全てあげれば

一か月、いや1年はかかるが

今回は三つ紹介したい。

 

一つは

武田鉄矢のどん兵衛のCМの中のセリフ

「腰の痛みに緑のタヌキ。もう体力の限界だわ」

という言葉である。

おそらくアドリブで

つい「腰の痛みに緑のうんぬん」と言ってしまったが

痛み止めのクスリでもないのに緑のタヌキと発したことに

罪悪感というのも大げさだけど

ちょっと「しまった」と

そういうミスを照れ隠す心理が

「もう体力の限界だわ」

につながっていった・・・

それが真相だと私は分析する。

でも、ディレクターは結局

逆に自然で面白いということになって

このCМが流された。

結果的にこうして私の耳に残っているということは

他の人にも残ってるはずで

ヒットCМになった。

 

二つ目は

日本テレビのドラマ『太陽にほえろ』

の山村刑事(露口茂)のセリフである。

水谷豊を含めた3人の犯人グループに

捕らえられた山村刑事が

(犯人の運転する)クルマの中で呟くセリフだ。

「人間四十を過ぎると自分の限界が見えてくるものなんだよ」

40歳か。

今も心に引っかかる。

三つめは皆さんにもおなじみ

スキージャンプの高梨沙羅嬢である。

若い時は

『小柄なテレサ・テン』みたいな感じだぅたが

あれよあれよというまに美人になっていった。

彼女が、1年前か2年前か

なんかの番組で

「地球に生まれてありがとう」

と叫んだのである。

ええっ?

旅のレポーターが温泉に浸かって

「ウ~気持ちイイ。日本に生まれてよかった~」

みたいなのはよく聞くけど

地球に生まれてよかったって

どういうことっすか?

でも

なんかこう

今のこの境遇がうれしいという

素直に漏れ出た真実の言葉として

共感が持てる。

 

 

 

 

 

 

 


きょうの洋楽

2022-01-08 17:44:42 | 日記

今朝は

ルパート・ホルムス『him』(ヒム)

グロリア・ゲイナー『恋のサバイバル』

そして

ジェヴェッタ・スティール『コーリング・ユー』

とくに

3曲目を聴きながら

モーニングコーヒーをいただくのは

おとなの

なかなかの至福のひとときだと思う。

 

ふと。

日本の歌手でこの曲をカバーするとしたら

誰がいいかしらと考えた。

最初に浮かんだのが『北国行きで』の

朱里エイコ

でもそれじゃふつうすぎて面白くない。

歌手ではないが

アンガールズの田中なんて

意外と面白いと思う。

彼は

ザ・タイガースの曲でも

『十年ロマンス』や『花の首飾り』など

イケるとふんでいるが

ぜひとも

『コーリング・ユー』を

カバーしてほしい。

その後バッシングを受けるのは必然だろうが

コメディアンにとってバッシングは勲章のようなものだ。

 


病院うだうだ話②

2022-01-08 02:31:34 | 病院

20歳ですい臓からインスリンが出なくなり糖尿病。

25歳で服薬からインスリン注射開始。

合併症で目や腎臓が悪化してゆき

40歳、透析を始める。

毎日5回~7回のインスリン注射と週に3回の透析がちょうど10年間。

そして忘れもしない20011年5月1日。

50歳で、鳥取の60歳男性の脳死ドナーからすい臓と腎臓の移植。

以来約10年と6か月。

 

この40年は何もなさなかった40年と言ってよかった。

二十歳までの20年と以後の40年じゃ

前半の20年の方がむしろ中味が濃く充実している。

長い時間のように感じる。

後の40年を無意味なものにしないために

どう活かせるかはこれからにかかってると言えるが

もう還暦だからねえ。

どうしようか。

ジタバタしてもしょうがないし。

かといって

朽ち果てるのを待つしかないんじゃ寂しい。

 

 

アレ?

 

 

このセリフ

50歳になったばかりのときも呟いたような気がする。

その一か月後の5月に前述のように、確率2パーセントの

脳死ドナーからの移植のオファーが舞い込んできたのだ。

 

人間の運命はどう転ぶか解らない。

たんたんと生きていれば

何かいいことが起きるかもしれない。

そう思って

これからも生きてゆこう。