つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

蓮ちゃんが亡くなって、おやすみなさいを言いたくない…

2020-04-30 02:01:31 | 太陽

愛猫太陽が亡くなって以来、つぶつぶタンタンの場をお借りして、太陽との話を綴ってまいりました。そして2020年4月29日14時50分頃、愛猫蓮が20歳で亡くなりました。蓮が亡くなった記事、3本連続で投稿しております。言葉があふれてきております。どうぞご容赦ください。どうもありがとうございます。

本日はこの記事で終わりにします。

蓮を看取ってくれた先生は太陽を看取ってくれた先生でもありました。あたしは太陽が亡くなる直前に先生に太陽を預けて以来、お会いするのが初めてでした。

太陽のこともお礼を言いました。「仕事もあったし」とおっしゃていましたが、太陽のことが心配で病院に泊ってくれていたようでした。とてもありがたかったです。やっぱりまだあたしのなかでは過去形になっていなくて、声がつまりそうであまり上手にお礼が言えませんでした。それは蓮についても同じです。

その先生にと決めていたわけではないのですが、自宅の花を少し摘んで新聞紙にくるんでいました。迷惑かもしれないけどなんとなく渡したかった。けれども渡すのを忘れていて帰宅後に気づきました。

病院でいただいた縦60センチの段ボール箱の中に蓮ちゃんを入れました。茶色地で白い水玉のフリース敷いて、病院で遺体をくるんでくれた薄手の不織布っぽい布に載せた状態で蓮を入れて、その上からベージュのフリース、そして再び茶色地で白い水玉のフリースをかける。
段ボールのなかに保冷剤をいくつか入れて、太陽の遺体をくるむときにも使った断熱シートで段ボールを覆いました。断熱シートはところどころ黄色のマスキングテープで留めました。心の準備ができないのですぐには火葬できません。棺桶にも取り掛かれません。

太陽のときよりも段ボールが大きいため、あたしの部屋のテーブルの上に蓮を入れたダンボールを置いたら、太陽の骨壺や花瓶を置く場所がなくなってしまいました。どうしようかなと考えながら、今部屋を片付けています。

玄関のあたりで強烈な悪臭がしました。うんちのようなにおい。どうもおしっこのようでした。昨日、蓮がトイレからはみ出てしてしまったものを片づける余裕がなくて、適当に床を拭いただけにしていたからのようです。今日は暖かかったから、そして蓮のために部屋を積極的に暖めていたから腐敗が進んだのでしょう。

蓮や太陽との思い出や、2匹が大切にしていた場所はしばらく残しておくつもりですが、猫トイレはいいかなとおもい、片づけました。本当は昨日まで太陽のためにビックトイレをとっておいたのですが、蓮がやりやすいように今日撤去したので、その流れに乗った感じもありました。
太陽が亡くなったとき、太陽が愛用していたビックトイレを片づけられなかったのだけど、蓮ちゃんが「僕が代わりに使います」と使いだしてくれてうれしかったなあ。蓮も太陽も、一度使われているトイレでは、掃除がされない限りまた使わない猫でした。だからデオトイレだけど、その上にトイレシーツと気持ち程度の猫砂を置いて、トイレのたびに取り換えていました。

けれどもやはりたまには下に染みることもあったようで、トイレ下のデオトイレシートを入れる引き出しに敷いてあるデオシートがシミだらけになっていました。なかなかの汚さで、知らないでしあわせでした。

トイレ、トイレ周りに敷いていたペットシーツ、蓮ちゃんのことを考えてこたつの下に敷いていたペットシーツはすべて撤去しました。なんというか蓮ちゃんが苦しそうだったときの最後の図であり、今蓮ちゃんのエネルギーがこの家にいたとしても、それは懐かしまないだろうなと。2階と酸素室についてはそのままです。
ついでにおしっこかけ除けの段ボールも撤去。もうおしっこをかける猫がいないのです。淋しい。

蓮ちゃんが横たわってけいれんしていたデオトイレの下の段をよくみると、おしっこがしてありました。がんがってトイレに行ったんだね。そのあと苦しくなって動けなくなったんだね。

ごめんね。なんかもう少しやりようがあったんじゃないか、様子見て食事を控えればよかったんじゃないかとおもうよ。そういう問題じゃないかもしれないし、そういう問題だったとしてもあたしはできなかったかもしれないけど、そうおもうよ。苦しかったね。ごめんね。

床に置いてあったこたつはエステベッドの上に戻しました。生前の2匹が家で暮らしていたときのように、エステベッドの上にこたつが2台乗っている状態。しばらくスイッチを入れておきたい。今の蓮ちゃんならポンと乗れるね。踏み台になるように黒くて低い椅子も置いてあるのだけど、蓮は亡くなる数日前までポンっと一気にエステベッドの上に上っていたときもあった。そうじゃなくても、ふらふらしながらも踏み台を利用して上り下りしていた。偉かったね。
亡くなる前日くらいは足を引きづるようにして歩いたり、立ち上がるという動作ができなかったり、ちょっとつつくと横に倒れてしまったり、途中で行き倒れてしまったりもあった。

亡くなる4日前に2階に自力で行ってたときはびっくりした、うれしかった。同時に体力はまだ大丈夫だとおもってしまった。

酸素室は蓮ちゃんはほとんど使っていなかったけれど、酸素目的はさておき、酸素室という存在は縄張りとして気にいったようなので、片づけようかどうか迷っています。酸素濃縮器と酸素を送るためのチューブはつまずきの原因になるので仕舞いました。

太陽は亡くなる直前まで元気だったから、すぐに元気な姿を思い出せる。一方の蓮ちゃんはここ数週間体調が悪かったため、今すぐは元気だったころのことが浮かばず、真っ先に思い出すのは病に臥せっていたときのこと。そのときの一生懸命な蓮ちゃんも覚えていたいけど、ときが経って元気なころの蓮ちゃんを思い出せるようになったら、そのときの蓮ちゃんのことも忘れないように書きたい。
そのときは、いつ思い出すのだろう。ここ数年と若いときではまた違うし、思い出せないことも多いかもしれない。

いろいろ書かないと忘れるな。また猫のことはあまり書かないようにしていました。だけれど、これからは逐一書いていくようにしたいとおもったり、でもなどうしようかなとおもったり、というところです。

猫はまた別の理由ですが、ほかのことについても積極的に書くかどうか迷います。

まずエネルギー調整や占いを受けてくださる方のプライバシーは極力書かないようにしています。それは個人名を出さなければいいとかそういう問題じゃなくて、物語を書いたら同じことな気がしていて、だから物語も書かない。みなに伝えたり、わかってもらったりするためには書いたほうがいいのかもしれないけど、あたしはあまりやりたくないです。良い悪いじゃなくて単なる好みです。今後もそのつもりでおります。

ただそれ以外の自分のことについては、なんというか演出(のつもり)だったり、プライドだったりで書いていないのは、書いていくのもいいのかなと。もちろん人によるとおもうのだけど、文章好きなあたしとしては書いてもいいのかなとおもわないこともない。保留。

蓮ちゃん、おやすみなさい。おやすみなさいって言いたくないけど、おやすみなさいっていうべきなのだろうか。おやすみなさいというより、旅立ちというかお別れというか、いってらっしゃいとういうか、そういうほうが好みだな。本当はそれすら受け入れたくない。ありがとうは何度でもいうよ。
ここ1週間くらいずっとつらかったよね。楽になったのを喜ぶべきなのかもしれないけど、喜べない。悲しい。蓮ちゃんありがとう、大好き。


明日のあたしはどうやって何を考えて生きているのだろう。蓮が死んでしまったなんてまだ信じられません。

また書く。

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

エネルギーサロン・タンタン
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