宮尾登美子著「朱夏」(上・下)、読んでおります。
朱夏 (新潮文庫) | |
宮尾 登美子 | |
新潮社 |
宮尾さんの自伝的小説と呼ばれる「櫂」「春燈」「朱夏」。
出版されたのは「櫂」(1972年)、「朱夏」(1985年)、「春燈」(1988年)の順番ですが、時代的には、「櫂」→「春燈」→「朱夏」の順番です。
その「朱夏」は、綾子(宮尾登美子)が戦時中、教員の夫とともに満州に赴任したときのことが描かれてます。
小説のとおりだとすると、綾子は生後3か月の娘を満州に連れて行きました。すごいパワーですわねん~
女性の社会進出がそれほど進んでいない時代に一世を風靡した小説家だけあって、宮尾さんは女傑というか、負けん気が強いというか、すごすぎる。度肝を抜かれます
戦争・および戦後の悲惨さが描かれたこの作品。戦争だと過去のこととして捉えてしまうというのが正直なところなのですが、地震に被災したと考えると、ゾッといたしました。
途中までしか読んでいないのですが、モノが貴重品になっていたのが印象深いです。
生産や物流がままならないので保存のきかない食糧が貴重品であった様子が丁寧に綴られています。それと同時にこの時代特有かなとおもったのは、布や衣類の貴重さが描写されていたことでした。
現代と比べて、こんなに布や衣類が貴重だったか?
おそらく当時は、まだ石油があまり生産されていなかったからだと推察いたしました。
と申しますか、堺屋太一さんの「知価革命―工業社会が終わる 知価社会が始まる」(PHP文庫)の受け売りでございます。
当時、衣類になる繊維といえば、綿、絹、麻といった天然素材で、ポリエステル、アクリル、ナイロンといった合成繊維はありません(合成繊維が開発された年月日は把握していないのですが、少なくとも一般的ではありませんでした)。
最近、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化ために設置した日本初の模範器械製糸場「富岡製糸場」が、世界遺産に指定されましたよね。
富岡製糸場は、工業化により生糸の大量生産ができるようになったという象徴。世界遺産になるくらいですので、器械によって生糸を大量生産できるようになったというのはよほど画期的なことだったのでしょう!
それにもかわわらず、戦時中、衣類は貴重品になります。満州では食糧と取り換えてもらえるだけの価値を持ちました。
日本ではなく満州だったからというのもあるかもしれません。けれども、綾子は被災する以前から、日本でも満州でもその贅沢な衣装をみなに賞賛されてました。衣料品は高価だったからでしょう。
戦後、石油の産出量が増え、石油価格は大幅に下落します。それゆえ、石油を利用して、繊維を作ったり、ポリエステルに加工したりすることは、商業的にみて利益がある行為になりました。
合成繊維ができれば、綿、絹、麻は余り出します。また、石油などから作られた農薬の効果で、綿、絹、麻の生産量が増えたので、天然繊維・合成繊維ともに、希少性は失われます。余り出します。
昭和62年(1987年)3月、富岡製糸場は生糸値段の低迷などのため操業を停止しました。
器械化することにより、生糸の大量生産が可能になったとしても、採算が合わなくなったのです。確かに、発展途上国と日本との人件費の差もその原因でしょう。しかし、それと同時に、「知価革命」で指摘されるように、石油製品が作られるようになったことも大きいのです。
今、私たちは大量の衣料品を購入し、そして廃棄します。
(確か父が亡くなったときだったとおもいます。)私は衣料品を寄付しようとしたのですが、受け入れてもらえる場所が見つかりませんでした。USEDの衣類は余っているからです。震災のときも、私が寄付しようとしたときはすでに衣類の寄付は受け付けていませんでした(うる覚えの記憶です)。
時代の変化を感じながら、「朱夏」を読んでおりますデス。
◆臼村さおり twitter @saori_u
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