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凪良(なぎら)ゆうさんの小説「わたしの美しい庭」を読みました。
凪良(なぎら)とルビをふってしまうくらい、なじみがなかった。
先日の読書交換会に凪良さんの本をいくつも持ってきてくれた方がいました。
どうもありがとうございます。
本がいっぱい出ているのにわたし読んでみようとおもったことないなあと世界は広い(わたしは狭い)。
この機会にありがたく読ませていただこうと、読みましたところ面白い。
グサグサ刺さって、胸に響きました。
紹介してくれた方によると、生きにくさをテーマにしている方とのこと。「君の膵臓を食べたい」の住野よるさんのことを言及していました。
「君の膵臓を食べたい」は印象深かったけれど、「青くて痛くて脆い」はどうでもいいじゃないかと響かなかったんだよね。だから凪良さんも合わないかもとおもったのですが、
刺さった、刺さりすぎ、わかる。
前半はあんまりでした。
登場人物たちが人をカテゴリー分けするというか、断定的な人物描写でこういう見方をしていたら生きるの苦しいだろうなあ、小説を読んだ人たちが影響されなければいいなあ(←余計なお世話ですみません)とおもっていた。
けれども気づけばいつの間にか、わたしのなかの扉が開かれていて、主人公たちが極度の落ち込みで廃人になってしまったり、うつになってしまってそのあとの話の頃には共感していました。
わかる部分ある。
そして、廃人になった状態、うつの状態をそのまま描写した小説って今までわたし読んだことなかったかもしれないとおもった。
あったのかもしれないけれど、今回みたいな響き方をしたのは少なくともなかったな。
そして、扉が開き回路がつながった今となっては、「青くて痛くて脆い」もわかる。共感する。
どうでもよくない。
わたしもそういうところあるけれど、なんというか蓋して忘れていたことにしていた、あるいは今も見えないことにしていた、とおもったのでした。
さらには、個人的なことですが、うつの人のところでは、20年前に亡くなった父のことを思い出していました。
父はつらかったんだろうなと。生きにくさから病になったともいえるでしょう。
自分が生まれたときから大人である親のことを「生きにくさを感じている人」とみることは頭では理解していても結局のところ理解していなくて、
けれどもなんかその片鱗みたいなことを、今となってからではありますが、させてもらった気がする。
父はがんになり、亡くなりました。
がんになる原因が生き方だけとは言えないけれど、関係しているでしょう。
凪良さんの小説を読む人の心に音楽が響きますように。
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どうもありがとうございました。
今日もあなたにとってよい日でありますように。
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